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9月27日 世界観光日、女性ドライバーの日
花ノ名前 花ことば 誕生花として
オーク 歓待・愛国心・自由 ×
カシワ 愛は永遠に・愛想のよさ ○
コスモス 乙女の純潔・乙女の心情・真心・調和・美麗○
トレニア(ナツスミレ,ハナウリグサ) 温和・可憐 ○
ヒマラヤスギ あなたのために生きる ×
∞…∞ 9月27日・今日という日 ∞…∞
山口美沙 (1984) 女優
アヴリル・ラヴィーン (1984) シンガーソングライター ※9月24日説もあり
中田敦彦 (1982) タレント、オリエンタルラジオ
猪俣ユキ (1982) 女優
朝青龍明徳 (1980) 相撲
小野伸二 (1979) サッカー
山本惠美 (1976) タレント
フランチェスコ・トッティ (1976) サッカー
今立 進 (1975) タレント、エレキコミック
大路恵美 (1975) 女優
須川 基 (1975) Jackson Vibe、Dr.
小野砂織 (1975) モデル
益田大介 (1973) 野球
楢崎教子 (1972) 柔道
蛭子直和 (1971) タレント
八嶋智人 (1970) 俳優
羽生善治 (1970) 将棋棋士
四條 稔 (1966) 野球
リッキー・フジ (1965) プロレス
豊丸 (1965) 女優
川相昌弘 (1964) 野球
岸谷五朗 (1964) 俳優
新津健二 (1964) 元the FIELD OF VIEW、Bass
池田成志 (1962) 俳優
アンディ・ラウ (1961) 俳優
谷川貞治 (1961) K-1イベントプロデューサー
松永浩美 (1960) 野球
室山真理子 (室山まゆみ・妹) (1957) 漫画家 「あさりちゃん」
叶 央介 (1956) サーカス
マーティン・ハンドフォード (1956) 作家、イラストレーター
大杉 漣 (1951) 俳優
馬場鉄志 (1950) アナウンサー
辺見 庸 (1944) 作家
大木正司 (1936) 俳優
安西郷子 (1934) 女優
アイ・ジョージ (1933) 歌手
若山弦蔵 (1932) 俳優、声優
トム・ラソーダ (1927) 野球
宇野重吉 (1914) 俳優、演出家
名寄岩静男 (1914) 相撲
外山正一 (1848) 学者、詩人
武市瑞山 (1829) 土佐藩維新志士
ルイ14世 (1601) フランス国王
○ イギリスで世界初の蒸気機関車が開通(1825)
○ 日本人の編集による初の英字新聞「アングロ・ジャパニーズ・レヴィユ」が大阪で発行(1885)
○ 初の地下鉄(銀座線)起工式(1925)
○ クイーン・エリザベス号、進水式(1938)
○ 日独伊三国同盟調印(1940)
○ 昭和天皇、マッカーサー元帥を訪問(1945)
○ 日本最長の有料橋・琵琶湖大橋開通(1964)
○ 皇室史上初めての天皇の海外訪問 (1971)
○ 横浜ベイブリッジ開通(1989)
世界観光の日
世界観光機関(WTO)が制定。 WTO加盟各国で、観光推進のための活動が行われる。
女性ドライバーの日
1917(大正6)年、栃木県の渡辺はまさんが、日本の女性としては初めて自動車の運転免許を取得した。
鬼城忌
俳人・村上鬼城の1938(昭和13)年の忌日。
日本最初の地下鉄工事(1925)
大正14年9月27日、日本で最初の地下鉄となる東京の地下鉄銀座線の工事の起工式が行われました。
世界で14番目の地下鉄でした。
世界で最初に地下鉄を作ったのはイギリスのロンドンです。
当然当時は蒸気機関車ですので、煙抜きの穴があちこちにあいており、シャーロック・ホームズの推理小説のトリックで死体をこの穴から地下鉄の上に放り投げておき、どこかで振り落とされた時地下鉄に乗っていた客のように見えるというトリックがありました。
ジャズのスタンダードに「A列車で行こう」という曲がありますが、このA列車(A-train)というのはニューヨークの地下鉄です。
英語で地下鉄はsubway と思っている日本人が多いのですが、これはアメリカの用語でしてイギリスでsubwayというと地下歩道のことです。
イギリスで地下鉄はtubeになるそうです。
なおアメリカで地下歩道は underpass のようです。
銀座線は渋谷から浅草まで走っていますが、その経路は妙なカーブを描いています。
これは皇居の下に鉄道を通すなんて恐れ多い、ということで、それを回避して線路を引いたためです。
しかし実はわずかに敷地の中に入っているのではないかという説もあります。
銀座線は25年ほど前に新しい車両に生まれ変わりましたが、それ以前はとんでもない老朽化した車両が走っていました。
突然乗っていた車両の電灯が消えてしまったとか、つかまっていた吊革が切れてしまった、というのもあったそうです。
貴ノ花・輪島、大関昇進(1972)
1972年9月27日、大相撲で、貴ノ花と輪島が同時に大関に昇進しました。
当時は大鵬・柏戸時代が終了し、(柏戸引退1969年7月、大鵬引退1971年5月)次の世代を担うかと思われた北の富士・玉の海のダブル横綱が登場するも、その玉の海が虫垂炎の手術後急死するという事故があり、時代は更に新しいスターの登場を密かに期待していました。
貴ノ花(現二子山親方)は名横綱・若乃花(先代二子山親方)の実弟。
北海道の室蘭市生まれで、初め水泳選手でしたが「水泳では飯が食えない」と言って相撲に転向、兄の若乃花が主宰する二子山部屋で、親方の弟だというので、先輩力士たちにたっぷりと(良く言えば)しごかれ、相撲の力も精神力も大いに付けて、幕内まで駆け上がって来ました。
一方の輪島は石川県七尾市出身(輪島市出身ではない。輪島は本名)。
学生横綱になり幕下付出しからスタートして、トントンと順調に地位を上げてきました。
そして、このあとも翌年5月には横綱に昇進、やがてその後横綱になった北の湖とともに、北の湖・輪島時代を作り上げることになります。
これに対して、貴ノ花は軽量力士故に怪我にも苦しみ、結局大関在位50場所という立派な成績を残したものの、最後まで横綱になることはできませんでした。
貴ノ花は2度優勝しています。
1975年の3月場所と9月場所ですが、いづれも、北の湖を優勝決定戦で破ってのものでした。
3月の優勝の時は当時審判部の副部長であった実兄・若乃花が特例として優勝旗の授与役を任命され、兄から弟へと涙の優勝旗授与がありました。
引退後、鳴戸親方を襲名、後に藤島に名跡変更して、この部屋で安芸ノ島、貴闘力ら、及び実子の兄弟横綱、若乃花(3代目),貴乃花(2代目)を育て上げたことは言うまでもありません。
1993年には先代二子山親方の退職に伴い、旧二子山部屋と合併します。
一方の輪島も横綱在位中、ずいぶん怪我に悩まされ、何度も休場しています。
しかし、彼はそれでも常に存在感を示し続けました。
1978年にも9月場所休場のあとの11月場所。
13勝2敗という立派な成績を残しています。(この時の優勝は2代目若乃花で15戦全勝)
また1980年には1月場所と7月場所を休場。
もうこのまま引退か、とまでささやかれたのですが9月場所では11勝4敗であったものの11月場所は14勝1敗で14回目の優勝を飾って、輪島不滅をアピールしました。(しかし結局これが最後の優勝になりました)
引退後は花籠部屋を率いていましたが、年寄名跡が妹さんの経営するちゃんこ料理屋の借金の担保になっていたことが発覚して廃業。
その後はタレントとして活躍しています。
貴ノ花利彰 初土俵1965年5月場所 優勝 2 成績 726勝490敗58休
輪島大士 初土俵1970年1月場所 優勝14 成績 673勝234敗85休
なお、9月27日という日付は1989年に貴ノ花の実子の貴花田(元・横綱貴乃花、現・貴乃花親方)が17歳2ヵ月で、史上最年少の十両昇進を決めた日でもあります。
で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ
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