戻る ▲トップページ
9月23日 不動産の日(全国宅地建物取引業協会連合会)、ふみの日(毎月)
愛馬の日(毎年秋分の日)(日本中央競馬会(JRA)と馬事公苑)
花ノ名前 花ことば 誕生花として
ダリア 華麗 ○
イチイ 慰め・高尚・悲しみ・残念 ○
ヒヨドリバナ 延期・清楚 ○
マンジュシャゲ 悲しき思い出・陽気な気分 ○
∞…∞ 9月23日・今日という日 ∞…∞
木村 了 (1988) 俳優
谷内伸也 (1987) Lead
廣田詩夢 (1986) 声優
後藤真希 (1985) タレント、モーニング娘。
かわい綾 (1981) タレント
城咲 仁 (1977) タレント、元ホスト
三浦しをん (1976) 作家
金丸義信 (1976) プロレス
先野久美子 (1975) バレーボール
井上晴美 (1974) 女優
服部年宏 (1973) サッカー
普天間かおり (1973) 歌手
渡部 建 (1972) タレント、アンジャッシュ
松田賢二 (1971) 俳優
一条寺奈美 (1971) タレント
出口雄大 (1971) 野球
初田啓介 (1970) アナウンサー
鈴木杏樹 (1969) 女優
肥後ノ海直哉 (1969) 相撲
枡野浩一 (1968) 歌人
島袋 優 (1968) BEGIN、G.
阿部和重 (1968) 作家
中山雅史 (1967) サッカー
木村世治 (1967) ZEPPET STORE、Vo.
叶 美香 (1967) ライフスタイルアドバイザー
ヤン・スギョン (1967) 歌手
稲葉浩志 (1964) B'z、Vo.
床嶋佳子 (1964) 女優
イジリー岡田 (1964) タレント
川平慈英 (1963) タレント
藤原カムイ (1959) 漫画家 「ロトの紋章」「雷火」
村地弘美 (1959) タレント、モデル
レオン・テイラー (1955) ベンチャーズ、Dr.
都築 譲 (1950) 政治家
ブルース・スプリングスティーン (1949) ミュージシャン
小野聖心 (小野進也) (1949) 俳優
フリオ・イグレシアス (1943) シンガーソングライター
御手洗冨士夫 (1935) キヤノン社長
保利耕輔 (1934) 政治家
レイ・チャールズ (1930) 歌手
福本和也 (1928) 作家
林 昌二 (1928) 建築家
宝とも子 (1923) ラテン歌手
金子兜太 (1919) 俳人
吉田秀和 (1913) 音楽評論家
葛飾北斎 (1760) 画家
オクタヴィアヌス (BC63) ローマ帝国皇帝
○ ベルリン天文台のガレ、海王星発見(1846)
○ 米人宣教師ヘボン来日(1859)
○ 第一回全日本ヨット選手権開催(1933)
○ 世界初のタイムカプセル、ニューヨーク万博会場の片隅の土中に(1939)
○ 日本軍・北部仏印に進駐(1940)
○ 巨人の王貞治、55本のホームラン日本新記録(1964)
○ 国内で29年ぶりにして沖縄で今世紀最後の金環食観測(1987)
○ 札幌にビール醸造所が開業(1876)
海王星の日
1846年、ベルリン天文台のガレが海王星を発見した。
1781年の天王星の発見以降、その軌道がニュートンの天文力学に合わないのは、その外側にさらに惑星があるためだと考えられていた。
そのため天王星の軌道の乱れ等を元に未知の惑星の大きさや軌道・位置の計算がなされ、その中のフランスのル・ベリエが計算した場所に新しい惑星が発見された。
イギリスのアダムスも独立にその場所を突き止めていたため、ル・ベリエとアダムスが共同発見者とされ、栄誉を分かち合った。
万年筆の日
1809年、イギリスのフレデリック・バーソロミュー・フォルシュが金属製の軸内にインクを貯蔵できる筆記具を考案し、特許を取得した。
不動産の日
全国宅地建物取引業協会連合会(全宅連)が1984(昭和59)年に制定。 秋は不動産取引が活発になる時期であることと、「ふ(2)どう(十)さん(3)」の語呂合せから。
建国記念日(サウジアラビア)
川柳忌(せんりゅうき)
柄井川柳(からい せんりゅう)の忌日(寛政2年9月23日(1790年10月30日))。
川柳の菩提寺、龍宝寺で法要が行われる。
王貞治の55号ホームラン(1964)
1964年プロ野球のセリーグで巨人の王貞治一塁手が年間55本のホームラン記録を達成しました。
昨年大リーグではマーク・マグワイアが70号、サミー・ソーサが60号ホームランを打ちましたが、日本ではこの昭和39年の王貞治の55号が現在でも年間最多本塁打記録になっています。
ちなみに同数の55本で同率1位は、他に2001年タフィ・ローズ(大阪近鉄バファローズ)2002年アレックス・カブレラ(西武ライオンズ)といますが、56本以上打った人はいません。
1980年に近鉄のマニエルがものすごいペースで本塁打を打ち、王の記録を更新するのは確実....と誰もが思っていたらデッドボールで骨折し、リタイアを余儀なくされて、48号に留まりました。
4位は1985年の阪神のバースの54号、5位は1985年のロッテの落合と1963年の南海(現ダイエー)の野村克也の52号です。
(ついでにいえば、野村が南海監督としてパリーグ優勝を果たしたのが1973年。この年は巨人のV9の最後の年です。)
王貞治の経歴については、わざわざ語るまでもないと思います。
1940年5月20日・東京生まれ。
早稲田実業で甲子園に4回出場。
特に高2の春は、ピッチャーで4番の大活躍で同校を甲子園Vに導きました。
川上哲治が現役を退いた年に巨人に入団。
当時の新聞記事には「川上の引退は巨人にとって大きな損失だが、その穴はきっと王が埋めてくれるだろう」と書かれています。
しかし、王は当初なかなか芽が出ませんでした。
その新聞記事に書かれたように、川上が守っていた1塁を守ることになるのですが、全くヒットが打てません。
しかし川上は彼を我慢して使い続け、とうとう26打席ノーヒットのあと、1959年4月26日、やっと出たプロ初ヒットが彼の第1号ホームランでした。
その後の彼のバッティングの性格を象徴するようなできごとでした。
しかしその後も打撃が低迷していた中、運命の師・荒川博に出会います。
彼は王の打撃のタイミングの取り方のまずさに注意し、これを改善するために極めて非常識な「一本足打法」をやらせます。
これが見事に当たり、4年目の1962年、いきなり年間38本のホームランを打って、本塁打王のタイトルまで獲得しました。
彼はその後13年間、このタイトルを他人に譲りませんでした。(1975年に阪神の田淵に破られる。しかし1976-1977は奪還)
そして1964年の輝かしい55号ホームランのほか、現役中に打ったホームランの総数は868本。
ちなみに通算ホームランの上位6人は下記の通りです。
2位以下に大きく差を付けています。
1.王 貞治 868本 2831試合
2.野村克也 657 3017
3.門田博光 567 2571
4.山本浩二 536 2284
5.清原和博 525 2338
6.落合博満 510 2236
それから余談ですが、この王の55号ホームランにちなんで名前をつけてデビューしたお笑いのコンビが、萩本欽一と坂上二郎の「コント55号」でした。
で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ
▲このページの先頭へ戻る
戻る ▲トップページ