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9月16日 マッチの記念日

花ノ名前      花ことば            誕生花として
ゼフィランサス   期待、潔白な愛           ○
アンズノ実 遠慮・気後れ・乙女のはにかみ・誘惑・慎み深さ×
ハゲイトウ     情愛・不老不死・見栄坊・気取り屋  ○
ヤマゴボウ     野生・元気             ○
リンドウ    的確・正義感・誠実・貞淑・悲しむ君が好き○

∞…∞ 9月16日・今日という日 ∞…∞

多岐川華子   (1988)  タレント
ダイアナ湯川   (1985)  バイオリニスト
溝呂木賢   (1980)  俳優
坪井慶介   (1979)  サッカー
森下純菜   (1978)  歌手
アンジェラ明日加 (樋口明日香)   (1976)  女優
ミーナ   (1976)  女優
森田 崇   (1973)  漫画家 「Clock Clock〜時の冒険者〜」
宮川大輔   (1972)  タレント、元チュパチャップス
永山邦夫   (1970)  サッカー
アルノ・ヴァンズワム   (1969)  サッカー
内野聖陽   (1968)  俳優
奥 浩哉   (1967)  漫画家 「HEN」
森田ガンツ   (1965)  俳優
永光基乃   (1961)  女優
園部啓一   (1960)  声優
メル・ホール   (1960)  野球
そのまんま東   (1957)  タレント
小山卓治   (1957)  シンガーソングライター
デビッド・カッパーフィールド   (1956)  マジシャン
ミッキー・ローク   (1956)  俳優
立石佳太   (1954)  漫画家 「超人キンタマン」
安藤まさひろ   (1954)  T-SQUARE
あんべ光俊   (1953)  歌手
須田正己   (1943)  アニメデザイナー
野田圭一   (?)  声優
中野誠也   (1938)  俳優
ジョージ・チャキリス   (1934)  俳優
山川千秋   (1933)  ニュースキャスター
古橋広之進   (1928)  水泳
ピーター・フォーク   (1927)  俳優
緒方貞子   (1927)  政治学者
B・B・キング   (1925)  歌手
ローレン・バコール   (1924)  女優
江見俊太郎   (1923)  俳優
川西三省   (1898)  アナウンサー
本郷かまと   (1887)  長寿
柳永二郎   (1885)  俳優
竹久夢二   (1884)  画家
小村寿太郎   (1853)  政治家、外交官
渡辺崋山   (1793)  画家

 ○ メイフラワー号、新大陸へ向けて出発(1620)
 ○ メキシコ革命、始まる(1810)
 ○ モース博士、6月20日に汽車の窓から見た場所を訪れ貝塚であることを確認(大森貝塚の発見)(1877)
 ○ 共立女子職業学校の設立(1886)
 ○ マッチが8年ぶりに自由販売になる(1948)
 ○ 中央競馬会設立(1954)
 ○ マレーシア連邦が独立(1963)
 ○ 全日本ラグビーが初のヨーロッパ遠征。イギリスとフランスを相手に2勝9敗(1973)
 ○ ニクソン元大統領、特赦される(1974)
 ○ 計量行政審議会が19年ぶりに曲尺(かねじゃく)・鯨尺(くじらじゃく)の製造・販売を許可することを決める(1977)
 ○ イスラエル軍によるパレスチナ難民キャンプ虐殺事件(1982)
 ○ 日本人宇宙飛行士毛利衛がスペースシャトル「エンデバー」から日本の子供たちに授業を行う(NHK)(1992)
 ○ アップルコンピュータ社が、マッキントッシュのオペレーティングシステムを他メーカーに公開すると発表(1994)

国際オゾン層保護デー
1995(平成7)年の国連総会で「9月16日を国際オゾンデーとする」ことを決議。国際デーの一つ。
1987(昭和62)年、「オゾン層を破壊する物質に関するモントリオール議定書」が採択された。
1999(平成11)年までにフロンガス等の消費量を半分にする方針が決定され、日本等24か国が議定書に調印した。(International Day for the Preservation of the Ozone Layer)

マッチの日
1948年(昭和23年)のこの日、それまで配給制だったマッチの自由販売が認められたことに由来。

競馬の日(日本中央競馬会発足記念日)
1954(昭和29)年、日本中央競馬会(JRA)が農林省(現在の農林水産省)の監督の下で発足した。
それまでは、農林省畜産部が運営する国営競馬だった。

エルトゥールル号遭難事件
明治23年(1890年)、トルコ国軍艦エルトゥールル号が和歌山県串本大島沖で遭難沈没し、乗組員の九割近くが死亡、生存者はわずか69名であった。
生存者はこの遭難に当たっての大島村(当時)住民の献身的な救護活動の様子をトルコに伝えたことから、この事件は日本とトルコの友好関係の起点として記憶されることになった。

独立記念日(メキシコ)
1810年、メキシコ中部・ドロレス教区の神父イダルゴが、教区民に「アメリカ万歳!独立万歳!悪しき政府を倒せ!」と叫び、メキシコ独立革命が始まったことを記念する。
現在もこの日、メキシコ大統領は国民広場のバルコニーでこの言葉を叫ぶ習わしとなっている。

鶴岡八幡流鏑馬(9.16)
毎年9月16日には鎌倉の鶴岡八幡宮で流鏑馬(やぶさめ)が行われます。
流鏑馬は、馬で走りながら的に矢を射るという勇壮な行事です。
テレビでよく取材しますから実物を見ていなくてもテレビでそのシーンを見たことのある方は多いでしょう。
永長元年に鳥羽殿で行われたのが最初で、鶴岡八幡のものはその古い形をそのまま伝えているといわれています。
これは例大祭(9月14-16日)の中の行事として行われるものです。
この時期には他にも流鏑馬をやる神社があります。


競馬の日
9月16日は競馬の日です。これは1954年9月16日に日本中央競馬会 (JRA - The Japan Racing Association) が設立されたことを記念したものです。

JRAは任意団体と思っている方も多いようですが、実は日本中央競馬会法(昭和29年7月1日法律第205号)に基づく特殊法人で、政府全額出資の公共企業です。
そして、これはご存じの方が多いと思いますが、農水大臣の管轄になっています。
これは基本的に馬といえば農耕馬というのが伝統的な考え方であるからで、設立趣旨にも『馬の改良増殖その他畜産の振興に寄与するため』という文章があります。
むろん足の細いサラブレッドに農耕は無理です。

日本の競馬は中央競馬と地方競馬に分かれます。
JRAが主催するのが中央競馬で、各地の地方公共団体が主催するのが地方競馬です。
地方競馬を行っている自治体は集まって地方競馬全国協会 (NAR - The National Association of Racing) を作っています。両者は基本的には別々ですが、最近は色々な交流が行われています。

中央競馬にはG1,G2,G3と呼ばれる重賞レースがあり、特にその中でもレベルの高いG1レースは春と秋に集中するため、これを一般に競馬の春のシーズン、秋のシーズンと言っています。



ピーター・フォーク(1927-)
「刑事コロンボ(Lieutenant Columbo)」シリーズで有名なピーター・フォーク(Peter Falk)は1927年9月16日にニューヨークで生まれました。
3歳の時に癌のため右眼を摘出、義眼を入れていることは有名です。

オシニング高校をクラスでトップの成績で卒業したあとコネチカットの予算局で働いていました。
1950年代前半に俳優の仕事に憧れ、演技の勉強をします。
そして1955年にニューヨークでプロの役者になりました。

しばらくブロードウェーで活動した後1958年にWind Across the Evergladesで映画デビュー、1960年のMurder Inc. 1961年のPocketful of Miracles で2年連続してアカデミー賞の助演賞にノミネートされました。
そして1962年にThe Price of Tomatoesでエミー賞獲得。彼の演技は確実に評価されていきました。

大ヒットTVシリーズ「刑事コロンボ」の第一作は1968年のPrescription Murder(殺人処方箋)です。
日本では1972年に放送されました。

通常のミステリーでは最初に犯行が呈示されるものの犯人は映されず、謎のまま物語は進行して、最後の最後で名探偵が犯人を指摘する、というのが王道とされています。
しかしこの「刑事コロンボ」シリーズでは、逆に最初に犯人側の映像を流してしまい、逆にそこから探偵が犯人に迫っていく様子を、犯人・探偵両側から描いていくという大胆な手法が取られています。そしてその過程で、完璧の
ように見えていた犯人のトリックが崩れていくのが見所となっています。

またよれよれのレインコートを着た、いかにもうだつがあがらないような風体、「あ、それからもうひとつ」「うちのかみさんがね」などといった多発する決まり文句に、このシリーズは非常に高い人気を得ました。

ただし最初の作品は単発で終わっており、第二作が作られたのはなんと3年後の1971年です。
ですから実際に人気が高まったのはその2作目Ransom for a Dead Man(死者の身代金)以降なのかも知れません。
その後は1977年までNBCの Sunday
Mystery Movieの枠で、だいたい3〜4週に1度のペースで制作されています。
(その後も散発的に制作されている)

「死の方程式」「ロンドンの傘」「溶ける糸」「別れのワイン」「意識の下の映像」「逆転の構図」「祝砲の挽歌」「さらば提督」などなど、タイトルを聞いただけでストーリーを思い出される方も多いのではないでしょうか。

なおコロンボのセリフの中にだけ登場し、一度も画面には登場しなかった「うちのかみさん」ですが、作中ではなくピーター・フォークの現実の生活のほうでは、彼は1960年に最初の妻 Alice Mayo と結婚していますが1976年に離婚。
この時は日本の新聞は「コロンボ、うちのかみさんと離婚」などと報道しました。その後1977年にShera Daneseと再婚。子供はAliceとの結婚時代に養女にした子が2人います。

なおピーターフォークのコロンボシリーズ以外の作品では彼が一転して泥棒役を演じた1978年の「ブリンクス(The Brink's Job)」、ホームズ・ポアロなど5人の名探偵がディナーに招かれた中で殺人が起きるという1976年「名探偵登場(Murder by Death)」などが有名です。



で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ




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