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9月13日 世界法の日(法務省)、司法保護記念日(司法保護事業団)、乃木大将の日
花ノ名前 花ことば 誕生花として
カワヤナギ 正直・自由 ×
クズ 治療・芯の強さ・恋の溜息 ○
タマスダレ(ゼフィランサス) 潔白な愛 ○
ヤナギ わが胸の悲しみ・愛の悲しみ・自由・従順・素直○
∞…∞ 9月13日・今日という日 ∞…∞
桐村萌絵 (1989) タレント
辻井伸行 (1988) ピアニスト
鈴木えみ (1985) モデル
ガオグライ・ゲーンノラシン (1983) ムエタイ
三船美佳 (1982) 女優、タレント
松坂大輔 (1980) 野球
市川みか (1980) タレント
赤平 大 (1978) アナウンサー
荒木雅博 (1977) 野球
ダイスケはん (津田大輔) (1977) マキシマムザホルモン、Vo.
木下貴信 (1977) タレント、パタパタママ
武田美保 (1976) シンクロナイズドスイミング
大久保勝信 (1976) 野球
ピーター・ホー (1975) 俳優
旭天鵬勝 (1974) 相撲
ケリー・チャン (1973) 女優
上条明峰 (?) 漫画家 「SAMURAI DEEPER KYO」
ゴラン・イワニセビッチ (1971) テニス
松岡由貴 (1970) 声優
サンコンJr. (1970) ウルフルズ、Dr.
千葉進歩 (1970) 声優
砂原良徳 (1969) ミュージシャン、元電気グルーヴ
小田切千 (1969) アナウンサー
中島宏海 (1967) 女優
マイケル・ジョンソン (1967) 陸上競技
三原じゅん子 (1964) 女優
SION (1960) 歌手
玉置浩二 (1958) 歌手、元 安全地帯
山崎 一 (1957) 俳優
谷村ひとし (1953) 漫画家
芦原すなお (1949) 作家
鳩山邦夫 (1948) 政治家
島木譲二 (1946) タレント
井上大輔 (井上忠夫) (1941) 作曲家、ブルーコメッツ
安藤忠雄 (1941) 建築家
はかま満緒 (1937) 放送作家
佐々木守 (1936) 脚本家、放送作家
山田洋次 (1931) 映画監督
佐山俊二 (1918) 俳優、コメディアン
大宅壮一 (1900) 評論家
佐久間勉 (1879) 軍人
アーノルド・シェーンベルク (1874) 作曲家
クララ・シューマン (1819) ピアニスト
杉田玄白 (1733) 学者
○ イギリスで最初の証拠指紋(1902)
○ 陸軍大将・乃木希典夫妻が明治天皇に殉死(1912)
○ 高柳式テレビジョンの公開放送(1936)
○ 講談落語協会が艶笑物・博徒物などの口演禁止(1940)
○ 立川飛行場拡張のための強制測量実施。反対派と警官隊衝突(砂川基地反対闘争)(1955)
○ 警視庁、日本初のSP(要人警護部隊(セキュリティ・ポリス))を発足(1979)
○ コンピュータ・ウイルス日本上陸(1988)
世界の法の日(9.13)
1965年(昭和40年)の今日、ワシントンで「法による世界平和」についての国際会議が開催されている。
この会議で国際間に法の支配を徹底させることで世界平和を確立しようという宣言が採択されたことを記念したもの。
9月13日は「世界法の日」です。
これは最初1961年東京で開かれた「法による世界平和に関するアジア会議」において提唱され、1965年ワシントンで開かれた世界平和に関する第二回世界大会で定められたものです。
第二次世界大戦が終わってからもう55年の月日が流れましたが、その間にも世界各地で多くの戦争が起きてきました。
朝鮮戦争、ベトナム戦争、中東戦争、カンボジアの内乱、ソ連のアフガニスタン侵攻、イラン・イラク戦争、ソマリア紛争、イラクのクウェート侵攻、ユーゴスラビア内戦……
それ以外にも強引な政治弾圧をする政府や過激な活動をするゲリラたちの為に多くの無関係な人の血が流されて来ています。
ペルーのセンデロ・ルミノソの活動、インドネシアからの東チモール自治権獲得紛争、中国からのチベットの自治権獲得紛争、プラハの春を踏みつぶしたソ連の戦車、イギリスのIRAのテロ活動、インドのシク教徒過激派の活動、インドとパキスタンの間のカシミール問題、ミュンヘンオリンピックを襲撃したゲリラ、旅客機を爆破した北朝鮮の工作員、反対派の弾圧を続けるミャンマー政権、中国の文化大革命、カンボジアのポルポト政権の恐怖政治、……
なぜ人は争うのでしょうか。
なぜ人は自分の自己主張のために無関係の人まで殺すのでしょうか。
司法保護記念日
犯罪の予防と犯罪者に対する更正の道を見守る司法保護司や保護機関の働きについて、多くの人の理解を得る目的で設けられた日。
1933年(昭和8年)に各地の司法保護事業団が設けた「司法保護デー」がその始まりといわれている。
乃木大将の日
1912年(大正元年)のこの日、乃木希典大将が明治天皇の大喪の日に、夫人とともに殉死した。
自宅のあった地に、乃木大将を祀った乃木神社が建てられた。
白雄忌
俳諧師・加舎白雄の1791(寛政3)年の忌日。
宮内義彦(1935-)
オリックスのグループCEO宮内義彦は1935年9月13日、兵庫県に生まれました。
1958年に関西学院大学を卒業後アメリカに留学し、ワシントン大学でMBAを取得します。
帰国後日綿實業(後のニチメン)に入社、1964年のオリエントリース設立に参加することになりました。
オリエントリースは日綿と三和銀行が中心となり、日商、岩井、東洋信託銀行、日本勧業銀行、日本興業銀行、神戸銀行、が参加して共同で設立したものです。
当時高度経済成長やコンピュータ産業の隆盛で、工場機械設備やコンピュータなどのリースに対する潜在的なニーズが高まっていました。
ちなみに、日商と岩井はその後合併して日商岩井となり、更にニチメンと合併して双日となっています。
東洋信託銀行はUFJグループ入りしてUFJ信託銀行となっており、日本勧業銀行は第一銀行と合併して第一勧銀となった後、日本興業銀行と合併してみずほ銀行。
神戸銀行は太陽銀行と合併して太陽神戸銀行となった後、三井銀行と合併して太陽神戸三井銀行、改名してさくら銀行、更に住友銀行と合併して三井住友銀行となっています。
設立に参加した企業の合併の歴史がそのままここ40年ほどの日本経済史を反映しています。
しかしオリエントリースはそういった出資企業の合従連衡の波とは無関係に独自の発展を遂げていきました。
これには初代社長の乾恒雄の意志が強く反映されていたと言われています。
会社設立後、積極的に独自の社員採用を進め、6年後には親会社からの出向者がいなくなります。
この時期がオリエントリースの会社としての節目で、1970年大証二部に上場。
この年に宮内氏は取締役に就任しました。
そして1970年代後半、オイルショック後のいわゆる安定成長期への転化が進んでも同社は手広く様々な分野のリースに手を染めることによりかえって成長を続けていきます。
宮内氏は1980年にオリエントリースの社長に就任しますが、同社は1980年代も更にビジネスの範囲を広げていきます。
茜証券(現オリックス証券),大阪市岡(現オリックス・エステート)の買収などもありますが、大きなエポックとなったのが、1988年のプロ野球球団・阪急ブレーブスの買収でした。
それまではリースに関わるような仕事をしている人以外にはあまり知名度がなく「オリエント」という名前を聞くとオリエントファイナンス(現オリコ)を連想する人の方が多かったのですが、このブレーブスの買収でオリエントリースは一躍有名企業となります。
そしてこれと機を同じくして会社名をオリックスに改め、球団は阪急ブレーブスからオリックス・ブレーブスになることになりました。(1991年にブルーウェーブスに改称)
バブル崩壊後も同社は拡大路線を基本的に変更していません。
1991年にはオマハ生命の日本法人を買収してオリックス生命保険とし、通販によって顧客開拓を進め、1997年に破綻した山一証券の子会社山一信託銀行を引き取ってオリックス信託銀行とし、オリックスは総合的な金融グループとしての道を歩み始めます。
更には日本債券信用銀行が破綻すると、ソフトバンク、東京海上火災保険と共に受皿銀行を設立し、あおぞら銀行として、銀行業にも手を染めることとなりました。
宮内氏が社長を務めた20年間、オリックスはまさに拡大拡大の路線を走ってきたといえます。
2000年に会長に退きますが、その後2001年4月、総合規制改革会議議長、2004年4月には規制改革民間開放推進会議議長に就任。
「小さな政府」と「構造改革」に側面から協力しています。
国内ウィルス初報告(1988)
1988年9月13日、日本国内でコンピュータ・ウィルスの被害が初めて報告されました。
1988年8月下旬、PC-VAN(現BIGLOBE)の事務局は、電子掲示板に意味不明の文字列が書き込まれたまま長期間放置されているのを発見し、その書き込みのIDの人に「一般の人に読めないものは書き込まないでください」との注意のメールを送りました。
この手の書き込みは春ごろから時々あったもののすぐ消去されていたので、事務局では仲間内のゲームか何かのデータの交換ではないかと判断していました。
しかし今回はずっと消されないままになっていたため、注意のメールを送ったものです。
しかし、注意のメールを受け取った会員はそんな書き込みをした覚えはありませんでした。
同様の注意のメールを受け取った会員数人と事務局との間で情報交換がなされた結果「これはウィルスのしわざでした」と事務局は会員に通知することとなります。
この情報が9月13日に一般の人々も知るところとなりました。
厳密にいうと、この時の「ウィルス」は実際には単なるトロイの木馬であって、ウィルスではありません。
被害にあった会員は5月頃からある人物からバイナリーメールを受け取っており、それを解凍するとプログラムが出てきたため、何だろうと思って実行しています
(これは大変危険な行為です)。
すると「何も起きなかったので、イタズラか?と思って」放置していたそうです。
ところがこのプログラムは通信ソフトに改変を加え、本人のIDとパスワードを電子掲示板に暗号化して書き込むようになっていました。
犯人はその掲示板に書き込みを見るとそこからIDとパスワードを取得し、そのIDでログインしてすぐに書き込みを消去していました。
そのため長いこと発覚しなかったのですが、さすがに8月頃になると消すのが面倒くさくなってその作業を怠るようになり、そこから被害が明らかになったようです。
また、犯人は固定料金制の会員だけを選んで、ハッキングしたIDを使用していたため、被害者も全く気づかない状態が続いていました。
なお犯人はそのようにして獲得したIDでまた同様の電子メールを出して新たなIDを獲得するということを繰り返しており、この時は結局たどっていっても犯人には到達することができなかったようです。
正確にはウィルスというのは自己増殖型のソフトであり、副作用として上記のようなIDのハッキング、ディスクの破壊、特定の画像やメッセージの表示などの症状を持ちます。
1988年9月に報告されたこのソフトは自己増殖性はなく、いわば犯人が手動で増殖させていました。
少しプログラムのできる人なら通信ソフトを改変する時に、同時にそのIDから自分自身を自動的にメール配信するようにできますが、この犯人はあまり騒ぎにならない程度に、少しだけ他人のIDが欲しかったのでしょう。
ウィルスの原型はコンピュータの黎明期にあちこちの研究室で行われていたメモリーの陣取りゲームだといわれています。
当時夜になって誰も外部の利用者がいなくなってから、プログラマーが数人自分の作った「作品」を持ち寄り、誰のプログラムが最も多く増殖して、他のプログラムを駆逐し、コンピュータのメモリを独占してしまうか、というのが競われていました。
当時はプロセス間のメモリ保護機能は弱いですし、あってもこのレベルのプログラマーには問題になるものではありませんので、他人のソフトが使っている場所でも取り放題です。
しかし油断すると自分自身が他のプログラムに食われてしまいます。
しかし現代のネットワークにつながったコンピュータで同様のことをされれば、これはとんでもない被害が出ます。
一般に最近のウィルスの動作は次のようなものです。
・一般に他人からもらったフロッピー/MO/ZIP/CD/電子メールなどから感染し、感染するとシステムを改変して、そのマシンで作られたフロッピー/MO/ZIP/CD/電子メールにウィルスを潜ませる。
・一定の「潜伏期間」をおいて「発病」することが多い。
・今年の春問題になったメリッサなどはアドレス帳の上から50個に自動的にメール発送したので、数時間で社内サーバーがパンクしたような企業もあった。
・ディスクを全部消去してしまうようなウィルスも多い。
・ウィルス発見駆除ソフトに見つからないような「ステルス機能」を供えたものも多数ある。ただし、発覚次第発見ソフト側もそれを見破る機能を搭載している。
現代のコンピュータウィルスの被害は1986年にアメリカで初めて報告されました。
しかしアメリカのウィルスはほとんどがIBM-PCで動作するため、NEC-PC9801の天下である日本ではすぐさま被害が及ぶことはありませんでした。
1988年の10月には有名なカスケード(画面の文字が滝のように落ちていく現象が出るもの)が登場して猛威をふるいますが、日本ではほとんど被害が出ていません。
(カスケードは1988年の10〜12月しか発病しませんが、感染報告自体は現在でもしばしば出ているようです)
そのほか、初期のウィルスで有名なものとしては、13日の金曜日になると発病する「13日の金曜日」(1988年5月13日初発病)や、夕方になるとアルプス一万尺を演奏する「ヤンキー・ドゥードゥルドゥー」、日曜日にマシンを起動すると「どうして日曜にお仕事なんかするの?」というメッセージが表示される「サンデイ」などがあります。
ヤンキー・ドゥードゥルドゥーなどは、夕方終業時刻になると演奏されるので、誰かが気を利かせて便利な時報のソフトを入れてくれたのかと思って、誰もウィルスだということに気づかなかったという例も多いそうです。
またMacintoshの場合は、フロッピーを挿入しただけで感染するというウィルスも存在するため、潜伏期間の長いウィルスが誰にも気づかれないまま広い範囲に広まっていたケースもあります。
あるウィルスの場合は某国のパソコンショップ店主が犯人でした。
彼はその店にコピーもののソフトを買いに来たアメリカ人にウィルス入りの媒体を売っていました。
そして自国の客には入っていない媒体を売っていました。
彼の言い分はこうです。
その国ではソフトのコピーは違法ではないが、アメリカでは違法である。
だから、アメリカ人には悪いことをする奴に罰を与えるためウィルス入りの媒体を渡したのだと。
1986年から1994年頃までというのは、一般にまだウィルスに対する認識が甘かったため、ひどい被害が出た例があります。
新聞社のデータベースがまるごと蒸発したケースや、大学のホストがやられて、そこにアクセスした全米の研究者のパソコンに感染したケースなどもありました。
この時は何年分もの研究資料を失って呆然とした研究者などもいたそうです。
現代ではさすがにみんなウィルスのことを知っており、またパソコンを販売する時にたいていウィルス対策ソフトがプリインストールされていたりするようです。
しかしウィルスは毎月新種がいくつか発生しています。
常に最新のウィルス・パターン・ファイルを入れていないと意味がありません。
時々、3年も4年も前のウィルス対策ソフトを使っている人を見ることがありますが、私はその度にゾッとします。
また以前はソフトを入手する先としてはNIFTYやPC-VAN(BIGLOBE)などの大手ネットの中の大手のフォーラム/SIGが主流でした。
そういう所の管理者はウィルスに関する知識も豊富なので、必ずそ最新のウィルス発見ソフトでチェックしています。
(NIFTYやBIGLOBEといえどもソフトをあまり扱っていないフォーラム/SIGでは管理者が不慣れなので安心できない)
しかし近年はインターネットからのダウンロードが主流であるため、その中にはきちんとチェックされていないソフトが掲載されているサイトも多数あるようです。
昨年だったかも大手の周辺機器メーカーで公開されていたドライバーソフトにウィルスが混入していたことがありました。
また毎年雑誌やビジネスショーで配布されたCDにウィルスが入っていたことが、あとから判明するという事件も起きています。
基本的には外部から取り込むデータは、たとえ大手メーカーや大手出版社から提供されたものであろうと、また親友からもらったものであっても、必ずウィルスチェックを掛けない限り使用しないことが必須です。
また電子メールの添付書類なども注意が必要です。
また毎月1回くらいは最新のウィルスパターンファイルをダウンロードして、全ディスクのスキャンをすることをお勧めします。
また、ウィルスが感染するのはソフトだけと思っている人もあるようですが、ここ数年被害が多いのはワープロやExcelなどのデータ中に潜むものです。
またマッキントッシュの場合は画像データやテキストファイルのリソースフォークに潜んでいるケースもあります。
スキャンする時は時間がかかっても面倒くさがらずに全ファイルを対象にすることをお勧めします。
で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ
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