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9月 8日 サンフランシスコ平和条約調印記念日、国際識字デー(ユネスコ)、米の日(毎月)
花ノ名前 花ことば 誕生花として
マーガレット 誠実 ○
アロエ 健康・信頼・迷信 ○
カラシナ 無関心 ○
トリカブト 騎士道・厭世家・人間嫌い・敵意・美しい輝き○
ホウセンカ 私に触れないで・心を開く ○
マスタード 平静・無関心 ×
∞…∞ 9月 8日・今日という日 ∞…∞
LISSA (1987) 推定少女
本仮屋ユイカ (1987) 女優、タレント
秋定里穂 (1982) 女優
茂庭照幸 (1981) サッカー
高松大樹 (1981) サッカー
門脇 舞 (1980) 声優
木下さくら (?) 漫画家 「魔探偵ロキ」
広沢タダシ (1977) シンガーソングライター
秋本祐希 (1976) 女優
李 乙容 (イ・ウリョン) (1975) サッカー
むっちりむうにい (?) イラストレーター
真田アサミ (1974) 声優
江崎友基子 (1974) タレント
安孫子里香 (1973) 女優
関 智一 (1972) 声優
大石まどか (大石 円) (1972) 歌手
三上夏代 (1972) タレント
清水貴博 (1970) 俳優
くまいもとこ (1970) 声優
市場孝之 (1970) 野球
中西哲生 (1969) サッカー
盛本真理子 (1969) タレント
服部道子 (1968) ゴルフ
近藤真市 (近藤真一) (1968) 野球
高橋しん (1967) 漫画家 「いいひと。」「最終兵器彼女」
野見山正貴 (1964) 歌手
松本人志 (1963) タレント、ダウンタウン
土師孝也 (1962) 声優
松井常松 (1960) 元BOΦWY、Bass
鈴木亜久里 (1960) レーサー
紺野美紗子 (1960) 女優
平野啓子 (1960) キャスター
島津冴子 (1959) 声優
真咲よう子 (1957) 歌手
井上 鑑 (1953) 作曲家、編曲家
福井謙二 (1953) アナウンサー
木之元亮 (1951) 俳優
龍田直樹 (1950) 声優
ザ・グレート・カブキ (1946) プロレス
堀江謙一 (1938) ヨット探検家
小林昭二 (1930) 俳優
須川栄三 (1930) 映画監督
五十嵐喜芳 (1928) テノール歌手
ピーター・セラーズ (1925) 俳優
バック・レナード (1907) 野球
羽仁もと子 (1873) 教育者
木下尚江 (1869) 作家、社会運動家
池田菊苗 (1864) 物理学者
アントン・ドボルザーク (1841) 音楽家
朝山意林庵 (1589) 儒学者
リチャード1世 (1157) イギリス国王
○ 元号を明治に。これまでは天皇の即位の他、瑞祥や災異があったとき、また辛酉や甲子の年などにも改元。年号の軽薄感をなくすため岩倉具視が一世一元を発意し、天皇が許可(1868)
○ 君が代、初演奏。このときのはフェントンの作曲(1870)
○ 漱石、派遣教授のひとりに選ばれイギリスへ留学(1900)
○ アメリカ軍のジープによる東京進駐開始(1945)
○ 吉田茂全権大使がサンフランシスコ対日講和条約と日米安全保障条約に調印(1951)
○ 東京五輪の聖火リレーはじまる(1964)
○ 神奈川県大和市で米軍機2機墜落(1964)
○ 気象衛星ひまわりが初画像を送信(1977)
○ 長寿番付、発表。長寿日本一は故・泉重千代さんで当時106歳(1981)
サンフランシスコ平和条約調印記念日
1951年(昭和26年)のこの日サンフランシスコで日本と連合国との間で27ヵ条からなる「日本国との平和条約」が調印されたことを記念する日。
明治改元の日
1868年8月27日(旧暦)に睦仁親王が即位式をあげた。
この日に「明治」と改元された。
「明治」は『易経』の「聖人南面にて天下に聴き、明に嚮にして治む」からとって決定された。
聖母マリア誕生の祝日
キリストの母であり全人類の母である聖母マリアの誕生日を記念する日。マリアの両親は聖ヨアキムと聖アンナ。
ニューヨークの日
1664年。1626(元和16)年、オランダの西インド会社がマンハッタン島の南端にニューアムステルダムを開港し、1664(延宝2)年のこの日にイギリスの支配下に移行。
この際にヨーク公に因んで名前をニューヨークに改名した。
国際識字デー
1965年(昭和40年)のこの日、イランのパーレビ国王が軍事費の一部を識字教育に回すよう提案したのを記念して、ユネスコが制定。
ファミリーカラオケの日(9月第2土曜日)
千代尼忌,素園忌
加賀の俳人・千代(千代尼,素園)の1775(安永4)年の忌日。
君が代初演奏(1870)
明治3年9月8日、「君が代」が初めて公開の場で演奏されました。
この日東京の越中島で薩摩・長州・土佐・肥前という初期の明治政府を支えた四藩の兵を明治天皇が閲兵しました。
あいにく天候が悪く天皇のお立ち台の近くまで水浸しの状態であったため、式は途中で中止になってしまいましたが、この時天皇をお迎えするのに「君が代」が演奏されました。
君が代は元々古今集に収録されていた詠み人知らずの古歌(巻7賀歌の冒頭)ですが、おめでたい歌として、神事・仏事・宴席などで盛んに歌われて来ました。
単に抑揚を付けて歌われたこともあれば、田楽や箏曲などに乗せて歌
われたこともあるようです。
むろん昔にパンクがあればパンクに乗せて歌った人もあったでしょう。
昔の田楽(でんがく)というのは今でいえばロックのようなもの。
通俗舞踊です。
(余談ですが、豆腐の田楽というのは、その形が田楽を踊っている人に似ているということから付けられた名前です)
義経の愛妾・静御前が捕らわれて鶴岡八幡宮で舞を舞わされた時も、実はこの「君が代」を歌ったのだそうです。
有名な「しずやしず。。。」というのは、そのアンコールで歌ったものとのこと。
この歌は最初の形は
わが君は千代に八千代にさざれ石のいはほとなりて苔のむすまで
(角川文庫「古今和歌集」による)
だったのですが、長い間歌われ続けて来た結果いつの間にか「わが君は」が「君が代は」に変化してしまいました。
ここで「君」が誰を指すのかについては意見が分かれます。
「君」で天皇を指す例は確かに多いのですが、結婚式などで歌われていたことを考えますと、むしろ民衆の間ではその場にいる宴席の主人公を指すと考えられていた可能性が高いと思います。
(結婚式ならその夫婦、天皇の前でなら当然天皇、静御前の場合は形式的には頼朝ですが、心情的には義経だったのでしょう)
明治になって日本でも西洋諸国にならって国歌を作るべきだという話になった時、このおめでたい伝統の歌を使うことが思いつかれました。
そのまま伝統的な旋律に乗せても良かったと思うのですが、ここはやはり西洋諸国に負けないものを作りたいということから、イギリス人の軍楽隊長ジョン・ウィリアムス・フェントンに改めて作曲が依頼されました。
かくして出来上がった歌が1870年のこの日、初披露されたわけです。
ところが、このフェントンの曲はすこぶる評判の悪いものでした。
日本語が元々持っているリズム・抑揚に詳しくないフェントンは歌詞の単語の単位を無視して、「きみ/がよ/はち/よに。。。」などという変な旋律を付けてしまいました。
そこで、これは良くないということになり、10年後に今度は宮内庁の林広守が自ら純和風・今様風の旋律を付けたのが今日の「君が代」です。
この林版の君が代にはまた実に様々なアレンジが存在するようで、中にはメロディーの音が一部異なるものもあります。
元々多くの人が好きなように歌ってきた歌ですから、ある意味それは当然のことでしょう。
一般には海軍軍楽隊のドイツ人フランツ・エッケルトが編曲したものが定着しています。
この歌は事実上の国歌として扱われて来ましたが、法的な根拠は当時付けられず、明治26年に祝日大祭日唱歌(学校等の祝祭の日に歌うための歌)として定められただけです。
この歌は日本の民衆に1000年もの期間愛され続けて来た歌ですが、その精神を踏みにじったのは、昭和初期の軍国主義者たちでした。
今やっと国歌に関する法律が定められ、「君が代」は正式に国歌として認定されましたが、いにしえから祝いの席でこの歌を歌ってきた何十億もの人々の平和を愛する心を、この機会に取り戻したいものです。
で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ
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