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8月26日 ユースホテルの日、ふろの日(毎月)

花ノ名前      花ことば            誕生花として
ブーゲンビリア   情熱               ○
アンスリウム(白) 情熱・心は燃えている
          恋にもだえる心・炎のような輝き
          強烈な印象・煩悩・熱心      ○
コキンバイザサ   光を求める            ○
へチマ       剽軽な              ○
ベニバナ      区別・包容力・熱狂・夢中     ×
ユウゼンキク    若者に負けぬ元気・老いてもご機嫌 ×

∞…∞ 8月26日・今日という日 ∞…∞

宇野なおみ   (1989)  タレント
今江敏晃   (1983)  野球
木村 学   (1981)  チン☆パラ
マコーレー・カルキン   (1980)  俳優
浅田好未   (1979)  タレント、パイレーツ
松谷 卓   (1979)  ピアニスト、作曲家
関本健太郎   (1978)  野球
喬林 知   (?)  小説家
千葉紗子   (1977)  声優
田中優樹   (1973)  俳優
中島知子   (1971)  タレント、オセロ
曽我部恵一   (1971)  元サニーデイ・サービス
アル北郷   (1971)  タレント
田口昌徳   (1970)  野球
前田幸長   (1970)  野球
赤間麻里子   (1970)  女優
斉藤隆治   (1968)  俳優
佐々岡真司   (1967)  野球
国武万里   (1967)  歌手
村上隆行 (村上嵩幸)   (1965)  野球
石井明美   (1965)  歌手
阪倉裕二   (1965)  サッカー
つちやかおり   (1964)  タレント
石川ひろあき   (1961)  声優
山本英美   (1960)  シンガーソングライター
国府弘子   (1959)  ピアニスト
渡辺容子   (1959)  作家
野村万之丞 (五代目)   (1959)  狂言師
難波圭一   (1957)  声優
伊藤敏博   (1956)  シンガーソングライター
いがらしゆみこ   (1950)  漫画家
宮川俊二   (1947)  キャスター
入澤 肇   (1940)  政治家
内海賢二   (1937)  声優
小鷹信光   (1936)  作家、翻訳家
武村正義   (1934)  政治家
下条正巳   (1915)  俳優
尾上菊五郎 (六代目)   (1885)  歌舞伎役者
エマ・カウフマン   (1881)  宣教師
山鹿素行   (1622)  儒教者

 ○ シーザー、イギリス上陸(BC55)
 ○ 日本初の地図製作(738)
 ○ 江戸幕府、貿易船に朱印状を与える(1604)
 ○ 日本初の海洋気象台、神戸に開設。現在は函館・長崎・舞鶴を加え、全国4か所に(1920)
 ○ 米国・リンドバーグ夫妻、北太平洋横断、根室経由で霞ヶ浦に飛来(1931)
 ○ 国産機(三菱製作「日本号」)による初の世界一周飛行(1939)
 ○ バイニング夫人、今上天皇の家庭教師に (1946)
 ○ 百円紙幣廃止、すべて硬貨に(1966)
 ○ ミュンヘンオリンピック開催(1972)
 ○ 東京女子医大、日本初のCT開始(1975)
 ○ テレビで初の24時間チャリティー番組放送(1978)
 ○ 地ビール容認へ(1993)


人権宣言記念日
1789年のこの日、フランスの国民会議が「人権および市民権の宣言」を採択した。

シルマン・デー(ユースホステルの日)
1909年(明治42年)のこの日、当時ドイツの小学校教師であったリヒャルト・シルマンが子供たちとの遠足中に大雨に遭い、小学校で一晩過ごした。
その時の経験から若者たちが経済的な旅をしやすいようにユースホステル運動をはじめた。

レインボーブリッジの日
1993(平成5)年、レインボーブリッジが開通した。
レインボーブリッジは、全長798m、主塔の高さ126m、水面からの高さが50mの吊り橋で、上層が首都高速道路11号台場線、下層が臨港道路・遊歩道と新交通システム(ゆりかもめ)の二層構造になっている。

ナミビアの日
国連の制定した国際デーのひとつ。
1990年(平成2年)に独立したナミビアの解放闘争が始まった日を記念して制定。

英雄記念日(フィリピン 8月最終日曜日)


ヨハネ・パウロ1世(1912-1978)
1978年8月26日、バチカンでの全世界の(80歳未満の)枢機卿によるコンクラーベ(conclave,法王選挙)により、ヴェネツィア総大司教アルビノ・ルツィアーニ(Albino Luciani)が新しいローマ法王に選出され、ヨハネ・パウロ1世となりました。

これは15年間の在職の後同年8月6日に80歳で亡くなったパウロ6世の後を引き継ぐもので、ヨハネ・パウロ1世はまだ当時66歳。
当面は安泰と思われたのですが、全世界への就任の声明や人事異動の案を出したりしたものの、わずか33日後の9月28日突然亡くなってしまいました。
ホントにさてこれから仕事を始めようとしていた矢先のあまりにも早すぎる死でした。

彼の後任を決めるコンクラーベは10月14日に行われますが1回目の投票では決まらず決選投票の結果10月16日17:15、ポーランドのクラークフ大司教カロル・ヨセフ・ウォジュティーラ(Karol Josef Wojtyla 1920.5.18クラークフ生まれ)が選ばれヨハネ・パウロ2世となります。

ローマ法王は全世界10億人という世界最大の宗教であるローマン・カトリックの頂点に立つ精神的指導者であり、その初代の法王はキリストの弟子であった聖ペテロであるとされます。
そのため法王の職は「ペテロの椅子」とも呼ばれこのローマ法王がいるバチカンの教会はサン・ピエトロ(聖ペテロ)大聖堂です。

枢機卿はその法王を補佐する存在であり、バチカンの行政を担当するとともに全世界のカトリック教会を統括しています。
その定員は以前は70名でしたが、近年は大幅に人数が増え現在150名程にも及んでいます。
法王は終身制ですが法王が亡くなった場合は80歳未満の枢機卿により次の法王が選出されることになっています。
枢機卿の間には上下関係は一切なく全ての枢機卿は対等の立場であるとされます。
そこで「Cardinals are not counted first,second,third;but counted one,two,three.」と言われています。
非常に素晴らしい風習であると思います。

さて、ヨハネ・パウロ1世ことアルビノ・ルツィアーニは1912年10月17日イタリアのベルーノ(Belluno)生まれ。
生まれた時点で今にも死にそうな感じであった為すぐにその場で助産婦が洗礼を行うという非常措置が取られましたが、幸いにも生き延びることができました。
そのこともあったのか7歳の時点で神に仕える道に進むことを決め、小学校卒業後神学校に進学します。
1934年副助祭、1935年助祭となってベルーノの聖ペテル教会に入ります。

1937年から1947年までベルーノのグレゴリアン神学校の副校長。
その後もベルーノ教区の各種の教会役員を歴任して1958年ビットリオ・ベネート司教。
1969年ヴェネツィア総大司教。
1972年イタリア司教会副会長。
そして1973年枢機卿に任命されました。


で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ



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