戻る ▲トップページ
8月14日 専売特許の日
花ノ名前 花ことば 誕生花として
カッコウソウ 驚き ×
キョウチクトウ 危険・気をつけて・恵まれた人
注意・友情・用心・油断大敵 ○
ジャーマンダー 愛敬・淡白 ○
センニチコウ 安全・変わらぬ愛情・不変の愛・無事○
ノウゼンカズラ 栄光・名誉・華のある人生・女性 ○
∞…∞ 8月14日・今日という日 ∞…∞
浅利陽介 (1987) 俳優
理衣 (1980) モデル
三佳千夏 (千木留美子) (1979) 歌手
石原 聡 (1978) GOING UNDERG ROUND、Bass
徳永有美 (1975) アナウンサー
TAKUMA (1975) 10-FEET、G. Vo.
藤村さおり (1973) アナウンサー
小宮山雄飛 (テンフィンガー・ユウヒ) (1973) ホフディラン
RYO (岡本竜治) (1970) 元ZIGZO、元BY−SEXUAL、G.
星野敬太郎 (1969) ボクシング
コンバット満 (1969) タレント
平畠啓史 (1968) タレント、DonDokoDon
天久聖一 (1968) イラストレーター、漫画家
ハル・ベリー (1968) 女優
鈴木保奈美 (1966) 女優
岡田あーみん (1965) 漫画家 「お父さんは心配性」
岡村靖幸 (1965) シンガーソングライター
エマニュエル・ベアール (1965) 女優
中川比佐子 (1962) ファッションモデル
都並敏史 (1961) サッカー
サラ・ブライトマン (1960) 歌手
マジック・ジョンソン (1959) バスケットボール
井上純一 (1958) 俳優
阿部祐二 (1958) 俳優、レポーター
アゴ 勇 (1957) タレント
湯原信光 (1957) ゴルフ
東城けん (1949) 漫才師、Wモアモア
及川恒平 (1948) 歌手
片桐竜次 (1947) 俳優
谷口ジロー (1947) 漫画家
矢島純一 (1945) ボウリング
ヴィム・ヴェンダース (1945) 映画監督
杉良太郎 (1944) 俳優
桂 歌丸 (1936) 落語家
ゴーマン美智子 (1936) マラソン
江國 滋 (1934) コラムニスト
藤村富美男 (1916) 野球
相生垣瓜人 (1898) 俳人
小林和作 (1888) 画家
荒畑寒村 (1887) 社会主義運動家、評論家
アーネスト・トムソン・シートン (1860) 作家
秋月種長 (1567) 戦国武将
○ 続日本後紀」完成(869)
○ 仮名手本忠臣蔵、大坂で上演(1748)
○ 商人・高田屋嘉兵衛、クナシリ沖でロシア艦に捕らえられるが、日本に抑留中だったロシア艦館長との交換によって翌年、釈放。この間、自ら交渉にあたり紛争解決に貢献(1812)
○ 現在の北海道大学の母体となる札幌農学校、開校。W・クラークが教頭(1876)
○ サビ止め塗料、特許第一号を取得(1885)
○ 御前会議でポツダム宣言受諾を決定(1945)
○ 浅間山爆発(1947)
○ パキスタン独立(1947)
○ 世界初の完全自動化銀行システムに住友銀行が成功(1967)
○ 富士山砂走り登山道で落石事故。死者12人(1980)
○ 東京・中野区、護憲・非核都市を宣言(1982)
モロッコ王国発足(1957)
イングリッド・バーグマンとハンフリー・ボガード主演の名画「カサブランカ」の舞台ともなったカサブランカはモロッコ最大の都市です。
戦後、そのモロッコの王政が復古したのが1957年8月14日でした。
モロッコは北アフリカの交通の要所であり、古くからフェニキア人やローマ人が進出していました。
その後8世紀にイスラムの支配下に入り、アラブ系やベルベル系の王朝が盛衰しました。
現在の王朝につながるアラウィー朝が成立したのは17世紀のことです。
しかし19世紀にヨーロッパ諸国がアフリカに進出するための足がかりとして大量に流入し、1912年フランスとスペインが分割統治してしまいました。
これに対して民族自決運動が高まり、1956年3月2日やっとフランス領の部分が独立を回復、翌年8月14日にモハメド5世が即位してモロッコ王国となりました。
そして翌年にはスペイン領の部分も無事再併合をかちとり、現在に至っています。
モロッコは鉱物資源に富み、特にリンの生産は世界市場の6分の1を占めています。
首都はラバトですがこれはモロッコ第二の都市で、最大の都市は前述の通りカサブランカ。
そのほか南部の古都マラケシュが第三の都市です。
モロッコというと性転換をイメージする人がしばしばいるのですが、これはタレントとして有名になったカルーセル麻紀(1942.11.26釧路市生)がこのマラケシュ(魔羅消??)で1973年10月に友人と一緒にその手術を受けたためですが、この手術をした医師ジョルジュ・ブロー博士(1911生れ)はもう20年近く前に亡くなっています。
ブロー博士は合計7000人くらいの手術を手がけたそうです。
このマラケシュは多数の行商人が集まって市場が賑わうことで知られており、900年の歴史を持つ古い町です。
日本人の観光客もモロッコを訪れる際は大抵カサブランカとマラケシュを見ていくようです。
グダニスクのスト(1980)
1980年8月14日、ポーランドのグダニスクで、造船労働者1万6千人のストライキが始まりました。
その時、これが大きな歴史の流れの1ページを飾ることになるとは、このストライキを始めた労働者をはじめとして誰もが予想しなかったことでしょう。
このストライキの背景には深刻な食糧不足によりやむを得ずこの年実施された食肉の値上げがあります。
そして多くの人々の予想を越えてこのストライキは長期間継続。やがて、運動の中から『自主管理』労働組合「連帯」が産まれました。
その委員長に選ばれたのは、そのグダニスク造船所の溶接工、レフ・ワレサでした。
そもそも共産主義というのは、労働者が自ら生産手段を掌握して経済活動を行う社会であり、本来なら資本家と交渉するための組織である労働組合というのは必要ないはずです。
しかし、多くの「社会主義」を名乗る国家群では、実際問題として政府が勝手に決めた計画に沿って生産が行われるという硬直した経済が行われ、このため実際の労働者の意志は経済活動に全く反映されず、多くの人々が労働意欲を失っているという状態に陥っていました。
その中で、そういった硬直した政府と交渉して労働者の権利を守ろうとする「連帯」の運動というのは、たいへん勇気のあるものであり、またポーランドの労働者の意欲というものを感じます。
当局はこの連帯と時に対決し時に妥協しながら政局運営を行いますが、だれもうまく行かずに次々とトップが交替。
やがて翌1981年2月、もう彼でダメならもう後がいないと誰もが思ったウォイチェフ・ヤルゼルスキー国防相が首相の座に付きます。
ヤルゼルスキーは連帯とねばり強く交渉を続ける一方で、「プラハの春」のようなソ連の介入を防止するために国内に戒厳令を施行。
一部の反発を受けながらも事態の沈静化に務めました。
1983年ワレサにノーベル平和賞。
これはワレサとともに全てのポーランド国民に対して与えられたものといってもいいでしょう。
ポーランドはその後少しずつ民主化が進行。
やがて1989年社会主義政権下としては初めての自由選挙が実施。
連帯が勝利してマゾビエツキが首相。
ヤルゼルスキーは新設の大統領に移ります。
そして1990年にはワレサ自身が大統領に就任しました。
ポーランドは約1000年の歴史を持つ国ですが、東はロシア、西はプロシア(ドイツ)、南はオーストリア、という大国に囲まれ、度々領土を侵されてきました。
現在の国境も本来のポーランドの領土の一部をソビエト時代のロシアが強権をちらつかせて奪い取り、その「代りに」ドイツの領土を少し削り取って与えたものです。
ただし現在のドイツ政府はその問題でポーランドに領土返還を要求することはしないとしています。
むろん、ロシアは簡単にはポーランドに領土は返してはくれないでしょう。
(東西ドイツが統一された時に、元々ドイツ領だった時の地主がポーランドのその地区に戻ってきて現在の地権者に返還要求をするのではないか、という噂が立ち、軽いパニックが起きたことがあります。)
こういったポーランドの民主化運動の波はその他の多くの東欧諸国の人々に勇気を与え、時代は大きく動いていきます。
1985年ゴルバチョフがソ連書記長に就任してペレストロイカ開始。
1989年ベルリンの壁崩壊。
1990年ドイツ統合。
1991年ソ連崩壊。
聖マクシミリアン・コルベ神父の祝日
ポーランドの織物職人の子として生まれた聖マクシミリアンは、フランシスコ会に入り、1930年から6年間日本で宣教活動を行った。
帰国後、その教えがナチスの思想と相反したものであったことからゲシュタポに捕えられ、アウシュビッツ強制収容所に送られた。
そこで、みせしめの為に処刑される見ず知らずの他人の身代りとなって餓死刑となり、「聖母の被昇天祭」の前日の8月14日に亡くなった。
1982年10月17日、教皇ヨハネス=パウルス2世により、「愛の殉教者」として聖人の列に加えられた。
特許の日
1885年(明治18年)のこの日、日本で最初の専売特許が免許されたことにちなんで。
ちなみに第一号は錆止め塗料とその塗り方。
独立記念の日(パキスタン)
1947(昭和22)年、パキスタンがイギリスから独立しました。
で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ
▲このページの先頭へ戻る
戻る ▲トップページ