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8月 3日 ハサミの日(山野愛子さん提唱1977)、ハサミ供養、
はちみつの日(全日本はちみつ協同組合1985)
花ノ名前 花ことば 誕生花として
キンセンカ 乙女の美しい姿・失望・悲しみ・用心深い
悲嘆・別れの悲しみ ○
ジャコウアオイ 柔和・温厚 ×
スカビオサ 恵まれぬ恋・朝の花嫁・風情・魅力 ○
センブリ 義侠の愛 ○
ポピー(ヒナゲシ) 七色の愛・慰め・乙女らしさ・感謝 ○
∞…∞ 8月 3日・今日という日 ∞…∞
熊井友理奈 (1993) Berryz工房
安藤 希 (1982) タレント
沖 裕志 (1979) Sound Schedule、Bass
大木伸夫 (1977) ACIDMAN、Vo. G.
伊藤英明 (1975) 俳優
なすび (1975) タレント
安住紳一郎 (1973) アナウンサー
稲葉篤紀 (1972) 野球
町 亞聖 (1971) アナウンサー
田坂和明 (1971) サッカー
鈴木正治 (1970) サッカー
行定 勲 (1968) 映画監督
志賀泰伸 (1968) タレント、忍者
バター・ビーン (1968) ボクシング
藤田朋子 (1965) 女優
石川 真 (石川功久) (1963) 俳優
西田真二 (1960) 野球
谷口高史 (1960) 俳優
田中耕一 (1959) 科学者、島津製作所社員
伴 一彦 (1954) 脚本家
オズワルド・アルディレス (1952) サッカー
黒鉄ヒロシ (1945) 漫画家
白保台一 (1942) 政治家
マーサ・スチュワート (1941) ライフコーディネーター
マーティン・シーン (1940) 俳優
平沼赳夫 (1939) 政治家
西山登志雄 (1936) 動物園園長
伊藤雄之助 (1919) 俳優
田島直人 (1912) 三段跳び
狩野探岳 (1859) 画家
後桜町天皇 (1740) 天皇
徳川家綱 (1641) 徳川幕府将軍
豊臣秀頼 (1593) 武将
伊達政宗 (1567) 武将
後冷泉天皇 (1025) 天皇
○ 大宝律令、完成(701)
○ 鑑真、唐招提寺建立(759)
○ 北条時頼、道元を招く(1247)
○ コロンブス第一回探検に出発。アメリカ本土への上陸はその2年後(1492)
○ フランス7月革命終わる(1830)
○ パナマ運河、完成(1914)
○ 第一回全国都市対抗野球大会開催(1927)
○ 公害対策基本法、発布(1967)
はちみつの日
8月3日の語呂合せから、日本養蜂はちみつ協会が1985年(昭和60年)に提唱した日。
ハサミの日
8月3日をハサミと読んで、日頃からハサミを使う職業に携わっている美容、理容、洋裁などの関係者がこの日に「ハサミ供養」を行う。提唱者は美容家の山野愛子さん。
ハモの日
大辰水産が制定。 鱧の関西での呼び方「は(8)み(3)」の語呂合せ。
破産の日
「は(8)さん(3)」の語呂合せ。
事務職労働者の日(エルサルバドル)
で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ
新渡戸稲造(1862-1933)
文久2年(1862)8月3日、5000円札の肖像で知られ、国連事務局次長や東京女子大初代学長などをつとめ「私は太平洋の架け橋になりたい」という言葉を遺した新渡戸稲造(にとべ・いなぞう)が、南部藩の盛岡で武士の家に生まれました。
新渡戸家は十和田地方の開拓に非常に貢献してきた家柄です。
曾祖父の維民は仕事上の失敗によってこの地に流されたのですが、その息子の伝は藩の勘定奉行を務めてこの地を開拓、伝の息子の十次郎、そして十次郎の息子で稲造の兄の七郎の三代で水路を開き土地を開いて、荒れ野だったこの地帯を穀倉地帯に生まれ変わらせました。
稲造は幼名を稲之助といいましたが、この開拓の土地に初めて稲が実ったのを記念して名付けられたものです。
札幌農学校に進んで「少年よ大志を抱け」のクラーク博士の教えを受けます。
博士に心酔して洗礼を受けキリスト教徒に。
東京帝大在学半ばにしてアメリカのジョン・ホプキンズ大学へ留学、更にドイツにも留学して農政学などを学びました。
明治32年に日本の武士道の精神を紹介する本「Bushido」を刊行、この本は非常に評判になって日本文化の海外への紹介に大いに貢献することになります。
帰国後、北海道の女子校北星学園の運営に関わり、同学園の命名者になった後、明治39年、第一高等学校の校長、大正7年東京女子大初代学長、を歴任。
更に昭和3年には女子経済専門学校(現東京文化学園)の初代学長にも就任しました。
このように新渡戸は明治・大正にかけての教育、特に女性の教育に多大の貢献をしています。
一方、新渡戸は国際連盟の事務次長、知的協力国際委員会(現ユネスコ)の世話役なども歴任して、国際社会にも大きく貢献しています。
新渡戸自身当時の交通事情の中で7回もアメリカ大陸にわたっており、奥さんもアメリカ人で、メリー・パターソンといいました。
二人が結婚したのは丁度クーデンホーフと光子が結婚したのと同じ頃で、新渡戸は国際結婚のはしりでもあります。
これほど大きな活躍をした新渡戸がお札になるまで全く一般に知られていなかったというのは、非常に不思議なことですが、新渡戸が活動した時代、日本は戦争への道をひた走っていた状態で、このような国際人の存在は当時の軍部にはあまり嬉しくなかったためではないかと思われます。
今、5000円札の肖像に堂々と登場した、この明治の教育家を、再評価してその功績を讃える時が来ているのではないでしょうか。
なお、新渡戸は1933年(昭和8年)夏バンクーバーを「太平洋会議」出席のため訪れていた時腹痛を訴えビクトリア市内の病院に入院、10月15日20:35、急性膵臓壊疽のため死去しました。
71歳でした。
遺体は当地で荼毘に付され帰国現在東京の多麿霊園に眠ります。
同じ霊園の中には札幌農学校の同窓生である内村鑑三も眠っています。
はさみの日(8.3)
8月3日は語呂合わせで「はさみの日」です。
「はさみ」という単語は「はさむ」という動詞から変化したものと思われます。
英語ではシザーズ(scissors)といいますが、複数形です。
つまり刃が2枚あるから複数形でいうという発想になっています。
はさみが発明されたのはだいたいBC1500年頃のエジプトではないかと言われています。
この当時のはさみは、現在の日本の和鋏と似た形式で、ふたつの刃をU字型の金属で接続したものでした。
その後AD100年頃になってローマで、ふたつの刃を最初からクロスさせた形式のものが出てきています。
現代の洋鋏にみるように、ふたつの刃を支点で留めて、柄の操作で刃を動かす形式のものはだいたい5世紀頃に生まれたのではないかとみられます。
その後もU字型、支点型、両方のはさみが洋の東西をとわず使用されていたようです。
現代のわたしたちの感覚では支点型が使いやすく早々に普及してよいような気もするのですが、やはり製造が大変であるという問題があったものと思われます。
しかし、近世になると工業技術の発達により、支点型のはさみが量産されるようになり、急速に普及してU字型は西洋ではあまり見られないものとなっていきました。
このきっかけとなったのは、オレンジ色の柄がシンボルマークであるフィンランドの刃物メーカー「フィスカース(Fiskars)」で1649年の創業です。
日本に支点型の鋏が入ってきたのは室町時代初期ともいわれ、中国の鋏職人によりもたらされたので「唐鋏」とも呼ばれたとのことです。
各地でこの形式の鋏も生産されたようですが、本格的な普及は明治以降と思われます。
「博多鋏」「種子鋏」などは、この古い形式の「唐鋏」を今に伝えています。
ただ、鎌倉時代以前にも支点型のはさみは日本で使用されていたという説もあるようです。
この件は、どうしても事例を確認できませんでした。
現代では鋏はその用途により様々な形式と名称ができています。
・裁縫用の裁ち鋏・ピンキング鋏
・園芸用の剪定鋏・枝切り鋏
・華道用の花鋏
・料理用のキッチン鋏
・理容美容用のカット鋏・すき鋏
・羊などの毛刈り用鋏
・医療用の剪刀
また、現代では多くのはさみが錆びにくいステンレス鋼を使用していますが、他に子供用のプラスチック製のはさみ、またステンレスより更に硬く磁気を帯びないということからセラミック製のはさみも人気を呼んでいます。
多賀大社萬燈祭
毎年8月3日から5日まで、滋賀県多賀町の多賀大社で萬燈祭が行われます。
灯りのともった沢山の提灯が壁のように掲げられ、ちょっと秋田の竿灯にも似た感じも思わせるきれいなお祭りです。
多賀大社は日本の祖神である伊弉諾・伊弉冉(いざなぎ・いざなみ)の二神を祀る神社であり、伊弉諾・伊弉冉信仰の中心地でもあります。
古くは「お伊勢参らば多賀にも参れ。お伊勢お多賀の子でござる」と歌われ、全国から大勢の参拝者を集めていました。
古事記・日本書紀の神話では、天から伊弉諾・伊弉冉の二神が降臨して、日本列島と諸々の神々を生み出し、二人が最後に生んだ神(*)が、伊勢神宮の御祭神・天照大神(あまてらすおおみかみ)、先日出てきた氷川神社や八坂神社の御祭神・須佐之男神(すさのおのかみ)、そして月の神である月読神(つくよみのかみ)の三神であったとされます。
伊弉諾神は国生み・神生みをした後、この子供である三神に後事を託して引退したとされていますが、その引退して籠もった場所がここ近江(おおみ)の多賀大社なのです。
社伝では両神は現在の社殿の東方4kmのところにある杉坂山に降臨したといわれています。
創建はあまりにも古く不明ですが、ひょっとすると伊勢神宮より古いかも知れません。
古くから延命祈願に霊験あらたかであるとされてきました。
なお、多賀大社にお参りするのは、新幹線を米原で降りて、近江鉄道に乗るのが便利です。米原は古くから多賀大社にお参りする人たちの拠点でもありました。
古事記ではこの三神(三貴子)は伊弉諾神が単独で生んだという説を採っていますが、日本書紀には両神が二人で生んだという説も入っています。
また、古事記でも、須佐之男神は伊弉冉神を母と呼んでいますので、基本的には三貴子は伊弉諾・伊弉冉の子供と考えてよいと思われます。
秋田竿灯(8.3-8.6)
8月4日からは秋田竿灯です。
俗に「東北三大祭」といわれる祭が8月上旬に続けて行われます。
8月2日〜7日 青森ねぶた祭
8月3日〜6日 秋田竿燈祭
8月6日〜8日 仙台たなばた祭
竿燈(かんとう)はその起源は青森のねぶた同様、「眠り流し」で眠気を払うための儀式から始まり、七夕・お盆の祭が合体してできたものとされます。
現在では12mものたかさの竹竿に多数の提灯が揺れていますが、起源をたどると、普通の盆提灯にたどりつくようです。
期間中、秋田市内は130万人の人出でにぎわいます。
竿灯は以前は8月4〜7日でしたが、平成13年から「8月3日から8月6日」に変更になりました。
みつばちの日(3月8日)
3月8日は語呂合わせで「みつばち」の日です。そして8月3日は「はちみつ」の日になっています。
どちらも、全日本はちみつ協同組合と日本養蜂はちみつ協会が定めたものです。
私たちが飲んでいる「蜂蜜」ですが、蜜蜂が集めてきたものを横取りさせてもらっているので「蜂蜜」と呼んでいますが、むろん元は花の蜜です。
特にレンゲやアカシアの蜜は日本人好みのクリアな味なので人気があります。
ミカンの蜜も、ミカン栽培と一体化して多く採取されておりLemon honeyの名前もあります。
ただ元々の花の蜜と蜂蜜では、実際に分析してみるとかなり成分が変わっています。
蜂が幼虫を育てやすいように花蜜の成分の中の蔗糖(分子量342)をブドウ糖や果糖(いづれも分子量180)に分解して消化しやすいものにしているようです。
更にはパテント酸やコリンなどの成分も加わり、また蜂の巣の中で貯蔵されている間に水分が蒸発して濃度の濃いものになっています。
蜂蜜の採取はアルタミラ洞窟の壁面にもその様子が描かれているので少なくとも1万5000年程度前には既に行われていたものと思われます。
古くは自然に営まれている蜜蜂の巣を見つけ出して採取していたものと思われますが、5000年頃前のエジプトには既に「蜂を飼う」という考え方が出てきていたようです。
しかし古いやり方では、蜂蜜を採取する時に巣を潰して蜜を絞り取っていたので、巣を潰された蜂たちはまたイチから巣を作り直さなければならず、蜂にとって負担が大きく、また採取する側としても効率の悪いものでした。
そういう養蜂(apiary)の技術に革命を起こしたのがLorenzo Lorraine Langstroth(1810-1895)で彼は1851年に初めて、巣を壊さなくても蜂蜜を取り出すことのできる巣箱を発明。
以降、世界の養蜂は継続使用可能な巣箱で蜜蜂を飼う方式が主流となりました。
この方法では巣箱の板を一枚ずつ取り出してはそこに付いている蜂蜜を採取し、また巣箱に戻すというのが基本です。
この時に現代ではこの板を遠心分離機に掛けて一気に蜂蜜を取る方式が最もよく行われています。
養蜂をする人たちはこの巣箱を持って花の咲いている所を求めてあちこち移動しながら蜂を飼っています。
レンゲ蜜とかアカシア蜜などと書かれて販売されているものは、レンゲやアカシアの花の咲く時期(5月頃)にその花の咲いている場所に蜂を連れて行って蜜を採取させたものですが、このように特定の花に由来する蜜だけを取り出せるのもひとえに近代的な巣箱のお陰です。
なお花の品種が特に書かれていないものは、色々な花由来の蜜が混じっていると考えられます。
★ローヤルゼリー
蜂蜜の中でも、女王蜂を育てる為に特別に調合されたものでひじょうに栄養価の高いものです。
免疫強化や老化防止などの作用があるといわれており、虚弱体質の人の体力増進などには確かに効果があることもあるようです。
★プロポリス
蜜蜂が巣を守るために塗りつけているニカワ状の物質です。
強い抗菌・消炎作用があり、飲むとウィルスに対する抵抗力を付ける力があるとされます。
癌や糖尿病・喘息などにも効果があるという説もあります。
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