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7月13日 ぼん迎え火、オカルト記念日

花ノ名前      花ことば            誕生花として
へビイチゴ     可憐               ○
ボクソウノハナ(牧草ノ花)  実利・効用       ×
ホテイアオイ    恋の悲しみ・恋の愉しみ      ○
ラベンダー(紫)  用心深い             ×

∞…∞ 7月13日・今日という日 ∞…∞

道重さゆみ   (1989)  タレント、モーニング娘。
五嶋 龍   (1988)  バイオリニスト
上野なつひ   (1985)  タレント
井川 慶   (1979)  野球
鈴木紗里奈   (1977)  タレント
内藤裕子   (1976)  アナウンサー
KOHKI   (1975)  BRAHMAN、G.
川本 成   (1974)  タレント、あさりど
大地洋介   (1972)  タレント、ダイノジ
MOOMIN   (1972)  レゲエミュージシャン
X-パック   (1972)  プロレス
すぎ (杉山貢一)   (1972)  タレント、インスタントジョンソン
遠藤章造   (1971)  タレント、ココリコ
ヒデカズ (渡辺秀一)   (1971)  野球
角田英介   (1970)  俳優
石毛博史   (1970)  野球
岩泉 舞   (1970)  漫画家
西野健一   (1969)  タレント、MANZAI-C
葉山レイコ   (1969)  女優
南 央美   (1968)  声優
北斗 晶   (1967)  プロレス
石川秀美   (1966)  歌手
本広克行   (1965)  映画監督
中森明菜   (1965)  歌手
青山真治   (1964)  映画監督
エリック宮城   (1963)  ミュージシャン
水野 良   (1963)  作家
橋口亮輔   (1962)  映画監督
ファンキー末吉   (1959)  爆風スランプ
松苗慎一郎   (1957)  アナウンサー
丹波義隆   (1955)  俳優
達川晃豊   (1955)  野球
三宅民夫   (1952)  アナウンサー
福間 納   (1951)  野球
長谷川きよし   (1949)  シンガーソングライター
あしべゆうほ   (1949)  漫画家 「悪魔の花嫁」
中山千夏   (1948)  タレント、女優
日野てる子   (1945)  歌手
かぜ耕士   (1944)  放送作家、ディスクジョッキー
エルノー・ルービック   (1943)  数学者
関口 宏   (1943)  司会者
ハリソン・フォード   (1942)  俳優
堺屋太一   (1935)  作家
石川 進   (1933)  俳優、歌手
青木 繁   (1882)  画家
森 有礼   (1847)  政治家

 ○ 後鳥羽上皇、隠岐に流される。以後、王朝国家の自律性はなくなり皇位決定権は幕府の手に(1221)
 ○ 豊臣秀吉、小田原城に入り、徳川家康に関八州を与える(1596)
 ○ 京都に大地震、伏見城など倒壊(1596)
 ○ 幕府が京都町奉行を創設し、京都の直接支配の体制を整える(1668)
 ○ 江戸下谷種痘所を官立とし、幼児に種痘を命ずる(1860)
 ○ 東経135度を日本の標準時として3年後の1888年1月1日より実施すると公布(1886)
 ○ 第一回サッカー・ワールド・カップ大会。開催国であるウルグアイチームがアルゼンチンを2対1で破り、初優勝(1930)
 ○ 優生保護法公布(1948)
 ○ 日本中に集中豪雨の被害(1972)
 ○ 伊東市沖合3キロ付近で高さ30メートル直径約100メートルの水柱が噴き上がる大規模な海底噴火が6回起こる(1989)

盆迎え火
盆の初日。 夕方に祖先の精霊を迎える為に、芋殻、麻幹などをを門口で燃やして、煙を焚きます。

優生保護法の日
1948年(昭和23年)のこの日「優生保護法」(現在の「母体保護法」)が公布され戦前の「国民優生法」が、戦後の日本の状況にあわせて「優生保護法」に改正された。
「優生保護法」は、1996年(平成8年)に性思想に関する条項がすべて削除されて「母体保護法」となった。

ナイスの日
「ナ(7)イ(1)ス(3)」の語呂合せ。 ナイスなこと、素敵なことを見附ける日。

生命尊重の日
医師・法律家・教育者・主婦などで構成される実行委員会が1984年(昭和59年)から実施。

オカルト記念日
1974(昭和49)年、映画『エクソシスト』が日本で初公開され、オカルトブームの火附け役となりました。

艸心忌,吉野秀雄忌
歌人・吉野秀雄の1967(昭和42)年の忌日。住居の名「艸心洞」から「艸心忌」とも呼ばれる。


日本標準時制定記念日(7.13)
日本の時刻制度は江戸時代までは各地の地方時で行われていましたが、明治時代になって電信や鉄道などの新しい技術が導入されるにつれ、国内各地で別々の時刻を使用するのは非常に不便になってきました。
ここで幾つかの動きが出て、電信局は全国で東京時刻を使用することにし、また気象台では全国で京都時刻を使用することになりました。

しかし明治17年(1884)ワシンシンで国際会議が開かれ、各国はできるだけ子午線の度数が15度の整数倍の所の地方時を使用することになります。
そこで日本でも東経135度線、つまり明石時刻が使用されることになりました。
この会議の結果を受けて明治19年(1886)7月13日勅令51号により明石時刻が日本標準時と定められ、明治21年1月1日から施行されました。
これを記念して7月13日が日本標準時制定記念日とされています。

なおこの135度線は明石を通過しているということは当然淡路島も通過しているということで、日本の起源神話において日本で最初に生まれた島とされている所を通っている子午線の時刻が日本を代表する時刻になっているというのは、なんとも不思議な縁です。

で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ




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