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7月 9日 ジェットコースターの日、クジラの日(毎月)

花ノ名前      花ことば            誕生花として
アイビーゼラニウム 真実の愛情            ○
ツキヌキニンドウ  愛の絆・献身的な愛        ○
ツタバゼラニウム  結婚・婚約の贈り物        ×
ヒマワリ      あこがれ・熱愛
          あなたを見つめる・愛慕・光輝
          敬慕・敬老の日・情熱・輝き    ○
ボダイジュ     結ばれる愛・結婚・熱愛・夫婦の愛 ○

∞…∞ 7月 9日・今日という日 ∞…∞

滴草由実   (1984)  歌手
Anna (サントス・アンナ)   (1987)  BON-BON-BLANCO、Vo.
チョ・ジェジン   (1981)  サッカー
能海俊芸   (1980)  タレント、冷やし中華はじめました
中田浩二   (1979)  サッカー
濱中 治   (1978)  野球
アレファンドロ・ケサダ   (1978)  野球
志ガヤ一馬   (1976)  俳優
大和 心   (1975)  タレント、ボクシング
小川パンプキン   (1975)  タレント、カメレオンブラザーズ
草g 剛   (1974)  タレント、SMAP
神保れい   (1974)  シンクロナイズドスイミング
望月重良   (1973)  サッカー
津田雅美   (1970)  漫画家 「彼氏彼女の事情」
松山三四郎   (1970)  タレント
松下由樹   (1968)  女優
青柳 進   (1968)  野球
高河ゆん   (1965)  漫画家
可愛かずみ   (1964)  女優、タレント
高見知佳   (1962)  タレント
ヒロ杉山   (1962)   イラストレーター
浅野ゆう子   (1960)  女優
久本雅美   (1960)  タレント
布施辰徳   (1959)  タレント
南 流石   (1958)  振付師
野沢祐一   (1957)  レポーター
トム・ハンクス   (1956)  俳優
ハル常住   (1955)  ゴルフ
田代富雄   (1954)  野球
稲垣潤一   (1953)  シンガーソングライター
エド山口   (1948)  タレント
細野晴臣   (1947)  音楽プロデューサー、YMO
O・J・シンプソン   (1947)  アメリカンフットボール
松山英太郎   (1942)  俳優
笹川ひろし   (1936)  アニメーション監督
森南海子   (1934)  ファッションデザイナー
ドナルド・ラムズフェルド   (1932)  アメリカ国防長官
朝比奈隆   (1908)  指揮者
川路柳虹   (1888)  詩人
土佐光貞   (1738)  画家
堀河天皇   (1079)  天皇

 ○ 江戸に夏雪、降る(陰暦6月1日)。驚いた江戸町民は本郷に神社を建てて富士山の神をまつり、6月1日を例祭に(1615)
 ○ 幕府、日章旗を日本国総船印に制定(国旗として正しく制定されるのは1870年)(1854)
 ○ 第1回ウィンブルドン・テニス開催(1877)
 ○ 上田敏、没。41歳(1916)
 ○ 東京YMCAに初の温水プールがオープン(1917)
 ○ 森鴎外、没。61歳(1922)
 ○ モンゴル人民共和国独立(1924)
 ○ トーキー映画、昭和天皇が初視聴(1925)
 ○ 東京・後楽園遊園地オープン。ジェットコースターが初めて日本に登場(1955)
 ○ 徳島ラジオ商事件の富士茂子さんが無罪。刑事事件初の死後再審無罪(1985)

ジェットコースター記念日
1955年(昭和30年)のこの日、後楽園遊園地に日本で初めてジェットコースターが登場した。

独立宣言の日(アルゼンチン)
1816年、アルゼンチンがスペインから独立した。

聖母チキンキラの祭日
コロンビアの守護聖人。

鴎外忌
作家であり、陸軍軍医であった明治の文豪・森鴎外の1922(大正11)年の忌日。


で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ


延喜式の配布(967)
康保4年(967)7月9日、大納言藤原在衡が勅命により延喜式五十巻を畿内諸国司に頒布することを命じました。

延喜式というのは平安時代の律令の施行規則で、延喜5年(905)に編纂が始まったのでこう呼ばれます。
元々は醍醐天皇の命で藤原時平が編纂しはじめたものですが完成させたのは弟の忠平(諸輔の父)です。
ここにいたって白鳳時代から少しずつ作られて行っていた日本の法治制度が完成したということも可能でしょう。

延喜式の中で現代でもひじょうに重視されているのがこの中に含まれる「神名帳」です。
政府から各地の神社への使者の派遣などに関する要項が記されているのですが、ここに記されている神社というのは要するに
 (1)当時存在していた神社である
 (2)しかも中央政府にきちんと認識されていた重要な神社であるということになり、たいへんな格式のある神社であるとみなされ「式内社」と称されます。
(古い神社でも特殊な事情により、この神名帳に記されていない神社も存在します)

古い時代から信仰の途絶えていない神社に関してはこの神名帳の記載と現在の神社とがきれいに結びつくのですが、戦国時代の戦乱などにより移転を重ねたり兵火に遭ったりして、当時との結びつきが曖昧になっている神社も多数あります。
そういう場合、神名帳に載っている神社が現在のどの神社かというのに複数の説があるものも多くあります。

こういう場合、おそらくは有力な神社であるゆえに分社を重ねたものであったりまた昔は敷地が広かったのが、その後の周辺の事情の変化で神社の土地の中に他の建物が多数たってしまい、結果的に元々ひとつのまとまった土地であったのが分断されて、その分断された中にいくつかお社がのこっている場合などが多いものと思われます。100mか200m離れた程度の距離で2つの神社が本家争いしている場合はたぶんこの後者のケースです。

また式内社がひじょうに多い地帯というのがあって、たとえば北部九州沿岸から壱岐対馬にかけての地域はかなりの集中地帯になっています。
これは昔の大陸との交易路にそって、朝廷を支える有力海洋氏族(水軍)が分布していたのと、やはり交易経路の無事を祈って頻繁に公式な祈願がおこなわれていたことと密接に絡んでいるのでしょう。


浅草ほおづき市(7.9-7.10)
毎年7月9日・10日は浅草の浅草寺でほおづき市が開催されます。

これは源頼朝が奥州征伐の帰り、この地で日射病で参っている兵士にほおずきの実を食べさせた故事にちなむものだそうです。
しかし昔はほおずきではなく赤いぶどうであったという説もあるようです。

また7月10日は全国観音様の縁日・四万六千日にもあたるため、浅草寺には参拝客が多数押し寄せたいへんな賑わいになります。
四万六千日というのは、この日に参拝すれば四万六千日参拝したのと同じだけのごりやくがある、とされる日です。
7月18日を四万六千日にするところもあります。

浅草寺境内には都内や茨城県などの園芸農家から続々と植木鉢が運び込まれ、ほおずき屋や屋台など約450店の売店で埋まります。

ほおずき市の日は「四万六千日(しまんろくせんにち)」と呼ばれ、浅草寺の功徳日にも当たり、この日にお参りすると「四万六千日、日参したのと同様の功徳を得られる」との言い伝えがあります。

四万六千日の功徳日は7月10日ですが、10日に一番乗りをしたいという民衆心理から、前日の9日から多くの人出があったようで、7月9日、10日の両日が、四万六千日のご縁日と受け止められるようになったのだそうです。
したがって、ほおずき市もこの2日間にわたって開催されています。
2日間で60万人の人出があるといわれるほおずき市です。
ほおずき市は8時頃から開催されます。

ほおずき市では、「丹波ほおずき」「千成ほおずき」の2種類のほおづきが販売されております。
「千成ほおずき」は、この2日間を目指して江戸川区で栽培されますが、天候に左右されるため、栽培は大変難しいそうです。
「丹波ほおずき」はその大半が茨城県三和町で生産されているそうです。
かつては薬用で実の青い「千成ほおずき」が殆どでしたが、現在では観賞用で実の赤い「丹波ほおずき」が主流になっています。

ほおずき市では例年、ほおずき鉢を片手に、ほおずき娘たちが呼び込みをしています。
ほおずきの値段は、風鈴付きで2000円〜2500円で、2日間で約10万鉢のほおずきが売られるそうです。

ほおずき市は200年近く昔の、明和年中に起こったといわれております。
山東京伝の「蜘蛛の糸巻」によると、芝青松寺の門前ら武家屋敷に奉公していた仲間(ちゅうげん)が、6月23日の朝、庭を掃除中に一株の千成りほおずきを発見し、前夜愛宕権現の霊夢にあずかったことを思いだし、「6月24日の功徳日に青ほおずきの実を、愛宕の神前で鵜呑みにすれば、大人は癪の種(腹の立つ原因)を切り、子供は虫の気を封ずる。」というお告げがあったと吹聴したそうです。

これを早速、翌24日に試みる人があり、不思議と効能があったため、いつしか境内に御夢想の虫薬と称して、青ほおずきの市が立つようになったといわれています。
6月24日は愛宕権現の本地仏「地蔵様」のご縁日で、しかも四万六千日の縁日と呼ばれていました。

四万六千日は観音様の功徳日であったところから、浅草にもほおずきの市が立つようになり、愛宕をしのぎ盛大になったのだそうです。
因みに青ほうずきは漢方では、解熱剤や婦人の胎熱に特効があるとして、江戸時代に薬用として用いられて来ましたので、満更いわれのないことではないようです。

室町時代末期から仏さまのご縁日のほかに功徳日が設けられました。
この特別の日にお参りすると100日とか1000日分のお参りの価値があるとして広まったものです。
観音様の功徳日の中で一番日数が多いのが7月10日で、46000日に相当するといわれ、江戸時代から特にお参りが盛んになってきました。

四万六千日とは、この日に参拝すると四万六千日分参拝したことと同じ功徳があるというご縁日のことなのです。
数字の由来は不明ですが、白米一升の米粒が四万六千粒あるとされ、これを人間の一生にかけていると、言われています。
年数になおしますと百二十六年に近い年数になります。
人間が心身に気をつけ、病気や事故にあわなければ、人間はこのぐらい長生きでき、一生を無病息災で過ごせるようにと願った数字と伝えられているようです。

四万六千日という数字の由来については、このほかに、四六時(1日)の千日分が四万六千で、これが根拠になったとか、源頼朝が石橋山の合戦に敗れ、源氏ゆかりの将兵を集めて、浅草寺境内に陣したときが7月10日で、その軍勢が四万六千騎あったことからとか、人間の最高寿命を指すとか、いろいろといわれておりますが、すべて茶飲み話の域をでないのだそうです。

ほおずきは枝にぶら下がっている実の中に、球形の「ほんとの実」があります。
この実の中身を楊子などで掻き出して皮だけにしたものを、口に含んで鳴らして遊んだ人も多いかと思います。
ほおずきという名前は、「ほほつき」(頬突き)の意で、子供が口にして鳴らす頬の様子からという説もあります。

昔の方言で「オホ」という名前の亀虫がつきやすかったことから「オホヅキ」となり、それがしだいに「ホオヅキ」になった、という説もあるようです。

「鬼灯」:この漢字を読むことができますか。ほおずきだそうです。

「鬼燈」、「酸漿」とも書くようで、いずれも読むのが難しい漢字です。





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