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6月27日 日照権の日、女性雑誌の日

花ノ名前      花ことば            誕生花として
アガパンサス    恋の季節・恋の便り・恋の訪れ   ○
トケイソウ     宗教・信仰・宗教的情熱・聖なる愛
          信心・聖なる愛          ○
バーベナ      家族の和合・家族愛・柔和・魔力
          魅惑する・魅了する        ○
ビワ        治療               ○

∞…∞ 6月27日・今日という日 ∞…∞

塩野谷宏子   (1986)  12.ヒトエ、トランペット、コーラス
小阪由佳   (1985)  タレント
柴木丈瑠   (1982)   俳優
優香   (1980)  タレント
天川紗織   (1978)  タレント
アンラッキー後藤   (1977)  タレント
トビー・マグワイア   (1975)  俳優
kiyo   (?)  Janne Da Arc、Key.
栃栄篤史   (1974)  相撲
六角慎司   (1972)  ジョビジョバ
スクラッチ田中   (1972)  タレント
能田達規   (1970)  漫画家
片岡篤史   (1969)  野球
ビクトール・ペトレンコ   (1969)  フィギュアスケート
ゾウ・モウ   (1967)  ゴルフ
渡辺真理   (1967)  アナウンサー
剣晃敏志   (1967)  相撲
高 正云 (コ・ジョンウン)   (1966)  サッカー
嶋田章弘   (1966)  野球
猪俣 隆   (1964)  野球
トニー・レオン   (1962)  俳優
益荒雄広生   (1961)  相撲
青山正明   (1960)  ライター
ツートン青木   (1959)  タレント
大高洋夫   (1959)  俳優
伊藤克信   (1958)  俳優
矢萩 渉   (1957)  安全地帯、G.
ユン・ピョウ   (1957)  俳優
西本 聖   (1956)  野球
内海みゆき (内海美幸)   (1957)  歌手
永山則夫   (1949)  死刑囚
ハンス・オフト   (1947)  サッカー
ブルース・ジョンストン   (1942)  ビーチボーイズ、Bass、Key. ※1944年6月24日生まれ説も
前島秀行   (1941)  政治家
横尾忠則   (1936)  画家
レオナルド熊   (1935)  タレント
メル・ブルックス   (1927)  映画監督
霧島 昇   (1914)  歌手
伊藤 律   (1913)  社会運動家
秋好 馨   (1912)  漫画家
ヘレン・ケラー   (1880)  社会運動家
小泉八雲   (1850)  日本研究家、作家
後小松天皇   (1377)  天皇

 ○ 銀閣寺完成(1483)
 ○ 幕府が、風俗を乱すとして若衆歌舞伎を禁じる(1652)
 ○ ロンドンで女性向けの雑誌が初めて発行(1693)
 ○ ロシアの黒海艦隊の戦艦ポチョムキンの反乱(1905)
 ○ 第1回漫画祭り、開催(1915)
 ○ アメリカ軍、朝鮮戦争に参戦(1950)
 ○ ソ連式無痛分娩が日本で初めて成功(1953)
 ○ 世界初の工業用原子力発電所がソ連で運転開始(1954)
 ○ チャップリン、オックスフォード大学より名誉博士号授与(1962)
 ○ 新潟地震のため国体夏期大会中止(1964)
 ○ 最高裁、初の日照権承認の判決(1972)
 ○ 上野動物園でパンダが誕生するが、43時間後に母親の下敷きで圧死(1985)
 ○ 松本市で猛毒ガス発生。7人死亡。7月3日にこのガスが化学兵器に使われる神経ガス「サリン」であることが判明(1994)

奇跡の人の日
アメリカの社会福祉事業家、ヘレン・ケラーの1880年(明治13年)の誕生日。
生後19か月で、猩紅熱(しょうこうねつ)のために目・耳・口が不自由になったが、家庭教師アン・サリバンの厳格かつ献身的な教育によって読み書きを覚えて大学を卒業し、「奇跡の人」と呼ばれた。

女性雑誌の日
1693年(元禄6年)にロンドンで世界初の女性向けの週刊誌『ザ・レディース・マーキュリー』が創刊されたことによる。

演説の日
1874年(明治7年)のこの日、わが国初の演説会が慶應義塾内の三田演説館で行われた。

日照権の日
1972年(昭和47年)のこの日、最高裁が日照権を法的に保護する権利として認める判決を下した。

秋成忌
国学者・上田秋成の1809(文化6)年の忌日。


で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ


其角の雨乞い祈願(1693)
室井(榎本)其角(1661-1707,むろいきかく)は医師の息子で松尾芭蕉の弟子となり、彼の十大弟子(蕉門の十哲)の筆頭とされました。
初期の頃榎本の姓を名乗っていたため、事典などにはそちらで出ていることも多いようです。

軽妙な句風を得意とし、芭蕉の死後は、よりしゃれ・とんちに走った時期もあり、彼のその時期の傾向の都会的な句を作る人たちを後に『江戸座』と称しました。
今風に言えば『東京ファッション』ということですね。
其角は次のような俳句をのこしています。

うぐひすの 身をさかさまに 初音かな
鐘ひとつ 売れぬ日はなし 江戸の春
この木戸や 鎖のさされて 冬の月
名月や たたみの上に 松のかげ
越後屋に きぬさく音や 衣更(ころもがえ)

最後の句などはまさに都会の歌。芭蕉の『閑(しづ)かさや岩にしみ入る蝉の声』などと対比すると面白い。
芭蕉のこの句は東北の霊山・立石寺で詠んだもの。
一方、越後屋は当然現在の三越につながる越後屋呉服店でしょう。
越後屋が江戸に出店したのは1673年です。

さて、その其角について、ユーモラスなエピソードが伝わっています。

元禄6年6月27日、其角は数人の門人とともに三囲稲荷に参拝しましたが、そこで大勢の農民が集まり雨乞いの祈願をしていました。

すると坊主頭の其角を見た農民たちが
「和尚様。よいところへ。このところ日照り続きで難儀しております。雨乞いの祈祷をしていただけませんか」
と言ってきます。
驚いた其角、
「いや私は坊主ではなくただの俳人なのです」といいますが、農民たちは
「構いませんから」と言います。

何が構わないのか分からないところですが…(^^;
ここで開き直った其角、一句詠みます。

夕立や 田を三囲の 神ならば

するとこれを詠んだ途端、たちまち雨が降ってきて農民たちは大喜び。
奇跡というものはあるものだと思いとまどいながらも一緒に喜ぶ其角一行でした。





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