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6月23日 沖縄慰霊の日、オリンピックデー、ふみの日(毎月)
花ノ名前 花ことば 誕生花として
タチアオイ 大望・野心・単純な愛・熱烈な恋・平安
威厳・高貴・豊産・野望・大志 ○
ムラサキツユクサ 貴び ○
ユスラウメ 輝き ○
∞…∞ 6月23日・今日という日 ∞…∞
大橋正博 (1981) サッカー
石橋けい (1978) 女優
和田竜二 (1977) 競馬騎手
藤本景子 (1977) アナウンサー
久瑠あさ美 (1974) 女優
Ryu (1974) ミュージシャン
中西永輔 (1973) サッカー
大岩 剛 (1972) サッカー
ジネディーヌ・ジダン (1972) サッカー
藤井一子 (1970) タレント
愛知治郎 (1969) 政治家
上地 等 (1968) BEGIN、Key.
山本英夫 (1968) 漫画家 「殺し屋1(イチ)」
南野陽子 (1967) 女優、タレント
永田ルリ子 (1967) タレント、元おニャン子クラブ
渡辺智男 (1967) 野球
龍興山一人 (1967) 相撲
ヘンスリー・ミューレン (1967) 野球
本並健治 (1964) サッカー
茅原ますみ (1964) アナウンサー
智乃花伸哉 (1964) 相撲
高田みづえ (1960) 歌手
中島陽典 (1960) 俳優
ジョージ高野 (1958) プロレス
叶 正子 (1952) サーカス
二宮さよ子 (1948) 女優
仲宗根美樹 (1944) 歌手
志摩れい子 (1944) 鹿児島県議、アナウンサー
リチャード・バック (1936) 作家
筑紫哲也 (1935) ニュースキャスター
浅井信雄 (1935) 国際政治学者、大学教授
森下洋一 (1934) 松下電器産業会長
二葉百合子 (1931) 歌手
妹尾河童 (1930) 作家、舞台美術
広瀬正一 (1918) 俳優
呉 昌征 (石井昌征) (1916) 野球
ウィンザー公 (エドワード8世) (1894) イギリス元国王
岸田劉生 (1891) 画家
三木露風 (1889) 詩人
水野忠邦 (1794) 江戸幕府老中
林 述斎 (1768) 儒学者
○ タイプライター、誕生。最初のタイプライターはクルミ製。ピアノに似ており、キーが二列並びで大文字のみ(1868)
○ 北海道屯田兵制度を設ける(1874)
○ 国際オリンピック委員会(IOC)パリで創立。創始者はフランスの体育家クーベルタン男爵(1894)
○ 夏目漱石、教職を辞し、朝日新聞に「虞美人草」連載開始(1907)
○ 洞爺湖南岸で噴火、昭和新山誕生(1944)
○ 80日にも及んだ沖縄戦が終結。犠牲者およそ20万人。この日、第32軍の牛島満司令官、長勇参謀長が自決(1945)
○ 「ララミー牧場」放映開始(1960)
○ 新安保条約批准書交換(1960)
○ 英ポンド、変動相場制に移行(1972)
○ 東北新幹線、大宮〜盛岡間開業(1982)
○ 海部首相、首相として初めて沖縄戦没者追悼式に出席(1990)
沖縄慰霊の日
1945年(昭和20年)のこの日、太平洋戦争の沖縄戦が終結されたとされることから。
20万人におよぶ犠牲者の霊を慰め平和を祈念する日として、琉球政府時代の1961年(昭和36年)から沖縄ではさまざまな行事が行われてきた。
オリンピックデー
1894年(明治27年)のこの日、国際オリンピック委員会(IOC)がパリで創立したことを記念したもの。
インテリアの日(毎月第4土曜日)
ナショナルデー (ルクセンブルク)
君主の誕生日を公式に祝う日。
獨歩忌
作家・詩人の國木田獨歩の1908(明治41)年の忌日。
で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ
オリンピックデー(6.23)
1894年6月23日、クーベルタン男爵の提唱によりパリでオリンピック復興に関する国際会議が開かれ、1896年にアテネでオリンピックが行われることが決まりました。
これを記念して6月23日は「オリンピックデー」に定められています。
オリンピックは古代ギリシャのオリンピアの町で行われていたスポーツ大会で、4年に一度ギリシャ全土から選手が集まって各種の競技で競いあっていました。
約400年間続いていたとされます。
近代オリンピックはその精神にのっとり全世界のスポーツマンが一同に会してその技と力を競うものです。
第一回大会では古代オリンピック同様男子のみの大会でしたが、第二回からは女子も参加するようになりました。
また、古代オリンピックはオリンポスの神々の前ということで全員裸で競技をしていましたが、近代オリンピックは無論着衣のまま競技します。
1924年からは冬季オリンピックも開かれるようになり、1994年以降は冬季オリンピックは夏季オリンピックの中間の年に実施されるようになりました。
日本では1964年の夏季オリンピックが東京で、1972年の冬季オリンピックが札幌で、そして1998年には長野で冬季オリンピックが開かれました。
また、2008年の夏季オリンピックに大阪が立候補を表明しています。
いいふみの日(11.23)
毎月23日は「ふみ(文)の日」ですが、特に11月23日は「いいふみ(良い文)の日」になっています。
「ふみの日」は郵政省(現郵政公社)が1979年に定めたもので「手紙の楽しさ、手紙を受け取るうれしさ」を通じ、文学文化を継承する一助となるようにとの趣旨のものです。文月23日ということで7月23日も重視されています。
1979年当時は電話がようやく国民一般に行き渡ってきた頃で、コミュニケーションの主役が手紙から電話に移ろうとしていた時期。
それに対する危機感もあったのでしょう。それが15年後には今度は電子メールへと移っていくことを誰が想像したでしょうか。
その通信関係の企業を統括していたのも郵政省でしたが、20年前に郵便局が民営化されていたら、今はNTTグループに拮抗する、巨大な通信会社になっていたかも知れません。
(NTT<電電公社も郵政公社も、元をただせば逓信省で戦後分割されたもの)
現在手紙といえばほとんどがビジネスレターと年賀状・暑中見舞などの儀礼的なものになってしまいました。
知人に用事があれば、だいたい電話するかメールするか。手紙で送らなければならないのは、概してかなり角の立つ用件です。
ラブレターも紙に書いて渡すというのは中学生の最初の告白の時だけ、という感じで、親しくなってしまえば電話か携帯メールというのが普通になってしまいました。
郵便受けに入っているのは、チラシ・広告・DM・通販カタログ・請求書、あるいは封筒に入る程度の品物が送られてたケースです。
しかし昔は遠くに住む人とのコミュニケーションは手紙以外の手段がありませんでした。
どこの国でもある程度政治的に落ち着いた地区では、駅の制度を作り、リレー方式で手紙が送られるシステムを確立していました。
江戸時代の日本でも宿場ごとにそういう拠点が作られ、特に急がない手紙は飛脚が馬に多数の郵便物を積んで引いて次の宿場まで歩いて運んでいました。
なお、いわゆる「飛脚」のイメージにある、文箱をくくった棒を持ち走っていくようなものは、特別料金を払った「速達」です。更に急ぐものは早馬を仕立てていました。
この場合、駅ごとに馬を替えてリレーするので、今ならバイクで運ぶくらいの速度で手紙を運んでいたようです。
「忠臣蔵事件」では江戸から赤穂まで、主君切腹の報せが届くのに4日もかかっていますが、これは生類哀みの令のおかげで早馬が使えなかったためだそうです。
ほんとにあの時代に外国が攻めて来なくて良かったです。
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