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6月 6日 楽器の日(全国楽器協会)、おけいこの日、邦楽の日、ベビーディ(読売新聞社)
プロポーズの日(6月第1日曜日 全日本ブライダル協会1994)
花ノ名前 花ことば 誕生花として
アヤメ 神秘な人・よい便り ○
イチハツ つきあい上手・使者 ○
キショウブ(黄ショウブ) 信じるものの幸福 ○
ニオイイリス 恋人・情熱 ×
リーガルリリー(ユリ) 荘厳・威厳 ×
∞…∞ 6月 6日・今日という日 ∞…∞
村上 愛 (1992) タレント
平山相太 (1985) サッカー
大坂俊介 (1982) タレント
豊本明長 (1975) タレント、東京03
小澤征悦 (1974) 俳優
黒田倫弘 (1972) Iceman、Vo.
葛西紀明 (1972) スキー、ジャンプ
ジェフ・ウィリアムス (1972) 野球
大島直也 (1971) タレント、ドロンズ
垣内哲也 (1970) 野球
五島良子 (1969) 歌手
桜井秀俊 (1968) 真心ブラザーズ
斉藤一也 (1968) アナウンサー
吉田小南美 (吉田古奈美) (1967) 声優
菊地英二 (1967) THE YELLOW MONKEY、Dr.
緒方恵美 (1965) 声優
広瀬 治 (1965) サッカー
是枝裕和 (1962) 映画監督
ビョルン・ボルグ (1956) テニス
しいやみつのり (1954) 漫画家
高橋幸宏 (1952) 作曲家、元 YMO
ウガンダ・トラ (1952) タレント
中尾ミエ (1949) 歌手、タレント
中村勝広 (1949) 野球
堺 正章 (1946) タレント、歌手 ※戸籍上は8月6日生まれ
那須正幹 (1942) 作家
林美智子 (1939) 女優
谷山尚義 (1937) 集英社社長
内山田洋 (1936) 元クールファイブ
ダライ・ラマ14世 (1935) 宗教家
山田太一 (1934) 脚本家
篠沢秀夫 (1933) 大学教授
井原高忠 (1929) テレビプロデューサー
大瀧秀治 (1925) 俳優
新田次郎 (1912) 作家
アラム・イリイチ・ハチャトゥリアン (1903) 音楽家
アフメド・スカルノ (1901) インドネシア初代大統領
神近市子 (1888) 婦人運動家
トーマス・マン (1875) 作家
巖谷小波 (1870) 児童文学作家
ロバート・ファルコン・スコット (1868) 探検家
トーマス・グラバー (1838) 商人
アレクサンドル・セルゲイビッチ・プーシキン (1799) 詩人
ディエゴ・ロドリゲス・ベラスケス (1599) 画家
○ 長門に14万の軍勢で蒙古襲来。弘安の役(1281)
○ 出羽の大地震で名勝・象潟が隆起し陸地に(1804)
○ 高杉晋作が奇兵隊を結成(1863)
○ 労働団体友愛会が初めて婦人部を設ける(1916))
○ 連合国軍、ノルマンジーに上陸開始(1944)
○ 日本初の女子アパートが東京・大塚に登場(1930)
○ 東京の電話が50万台を突破(1958)
○ 日本サッカーリーグ開幕。当時の人気選手に釜本邦茂、杉山隆一など。初年度優勝は東洋工業(1965)
邦楽の日,楽器の日
昔から、踊りや邦楽などの芸事は、6歳の6月6日から始めると上達すると言い伝えられているところから設けられた。
その道具となる楽器も、全国楽器協会の提唱により、この日を記念日としている。
同様の主旨で「いけばなの日」「お稽古の日」でもある。
おけいこの日,いけばなの日
昔から、芸事は6歳の6月6日から始めると上達すると言われていることから。
ロールケーキの日
ロールケーキの「ロ」の音と、「6」の形がロールケーキの巻いている形状に見えることに由来。
小倉ロールケーキ研究会の提唱により平成17(2005)年に制定。
飲み水の日
1990年(平成2年)に東京都薬剤師会公衆衛生委員会が制定。
世界環境デーの翌日。
「薬だけでなく健康にかかわりあいのあるものに貢献していくのが薬剤師の仕事」として、東京の水道水の水源である利根川などの水質検査を行なっている。
兄の日
姉妹型、兄弟型の研究で知られる漫画家の畑田国男さんが提唱。
双子座のほぼ中間日に当たる6月6日を記念日としたもの。
補聴器の日
1999年(平成11年)5月に全国補聴器メーカー協議会と全国補聴器販売店協会が制定。
6を2つ向かい合わせにすると耳の形に見えることから。
恐怖の日
新約聖書の以下の一節に因みます。
また凡ての人をして、大小・貧富・自主・奴隷の別なく、或はその右の手、あるいは其の額に徽章を受けしむ。
この徽章を有たぬ凡ての者に賣買することを得ざらしめたり。
その徽章は獸の名、もしくは其の名の數字なり。智慧は茲にあり、心ある者は獸の數字を算へよ。
獸の數字は人の數字にして、その數字は六百六十六なり。
ヨハネの默示録13:16〜18。
ヨーヨーの日
ヨーヨーを世界的に有名にした立役者であるアメリカ人のドナルド・F.ダンカンの誕生日。
4月4日にもヨーヨーの日があるが、こちらは語呂合わせ。
コックさんの日
「かわいいコックさん」の絵描き歌の中に「6月6日」が出てくることから。
かえるの日
1998年(平成10年)に「かえる友の会」の会員で作家の矢島さらさんが制定。
かえるの鳴き声「けろ(6)けろ(6)」の語呂合わせと6月は梅雨と言うことから。
ほんわかの日
1995年(平成7年)に読売テレビが制定。
1993年(平成5年)に人気番組「大阪ほんわかテレビ」が放送を開始したことから。
ほんわかした空気を大切にし、もう一度家族の姿を見つめ直すことをコンセプトに家族にまつわる問題を取り上げていくという。
日付け及び記念日名の制定者は、番組の主役、笑福亭仁鶴氏。
唐招提寺開山忌
唐の高僧で、日本に渡って日本律宗を開いた鑑眞の763(天平宝字7)年の忌日を記念して、その月遅れの月日を中心に行われている。
戦没者慰霊日(Memorial Day)(韓国)
で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ
ヨーヨーの日(4.04)
実はヨーヨーの日というのは2種類あります。
ひとつがこの語呂合わせで4月4日となったもので、これを定めたのは最近ハイパーヨーヨーをヒットさせたバンダイです。
もうひとつはそれ以前からあったもので、ヨーヨーをアメリカで普及させたDonald
F.
Duncan(1892.6.6-971.5.15)の誕生日にちなみ6月6日とするものです。
ヨーヨーは元々は遙か昔に狩猟用具として生まれたもののようですが、やがて世界各地でその小型のものをおもちゃとして使うようになっていったようです。
ヨーヨーという言葉自体はタグログ語で「戻ってくるもの」という意味だそうです。
しかし現在につながるブームができたのはアメリカでした。
1866年にHaven
and
Hettrickがヨーヨー(当時はbandalore)の特許を取得していますので、その頃から一部では使われていたようです。
1904年にはセントルイスのワールドフェアで鉄製のbandaloreが販売されています。
1923年、フィリピン系移民のPedro
Floresという人がフィリピン伝来の作り方でヨーヨーを制作して販売を始めました。この時のヨーヨーは木を削ってあの形にするものでした。
1928年にはサンタ・バーバラに工場を作って本格的な生産を始めます。
そのころまでのヨーヨーは今で言うアタッチ・ストリング型でした。
つまり紐が軸に固定されていますので、簡単に戻って来はしますが、空回りさせて「犬の散歩(Walk
the
Dog)」などをすることはできません。
しかしFloresのヨーヨーはスリップ・ストリング型といい、紐は軸に輪状にまきつけてあるだけなので空回りさせて色々な技(トリックという)をさせることができました。
ちなみに昭和28年生まれの私が子供の頃遊んでいたヨーヨーもアタッチ型です。
当時スリップ・ストリング型を持っている子は近所におらず、テレビでそれを初めてみたのは1970年代になってからだったと思います。
このFloresが自社のヨーヨーで様々なトリックをしているのを見て感動したのが
Donald F.
Duncanでした。
彼はこのおもちゃの将来性を見抜き、1930年、Floresの会社を買い取り、全米に大々的に宣伝しはじめます。
そしてヨーヨーはこの時期から1960年代までどんどん売れ続け、当時の全米の子供の数よりも多く売れたといわれます。
Duncan社は初め木製(楓)でFlores式のヨーヨーを生産していましたが、1932年には金属部分を加えていわゆるホィッスルタイプの音が出るヨーヨーを開発。
そして1954年にはプラスチック製の軽いヨーヨーを販売しました。
Duncan社はYo-Yoを自社の登録商標にしていましたので、他の会社は別の名前でこの商品を販売せざるをえませんでした。
そこで何とかYo-Yoの名前を使いたい各社は裁判所にYo-Yoの登録商標としての権利を取り消すよう求める訴訟を起こします。
この裁判は1965年に決着が付きDuncan側が敗訴。
Yo-Yoはこの時点から普通名詞として誰でも自由に使えるようになりました。
しかしこの結果Duncanの販売成績は落ち始め経営が行き詰まります。
会社はいくつかに分割されて買収され、その中でDuncanブランドを買い取ったのは同社のプラスチック製ヨーヨーの製造を行なっていたFlambeau社でした。
日本には1930年代にはアメリカから輸入されて話題になっていたようですが最近では1967年に森永コーラスの景品としてヨーヨーが提供されブームが起きたとされます。
私がヨーヨーで遊んでいたのもひょっとしたらこの時期かも知れませんが、もう少し前1965年頃だったような気もします。
次のブームは1970年代前半で、コーヨー社が「アメリカン・ヨーヨー」の名前でブームを仕掛けました。
この時の子供たちの間での人気のすさまじさは記憶がかすかにありますが、地方ではこの「アメリカン・ヨーヨー」は入手困難でした。
クラスの中でこれを入手した人は2〜3人しかいなかったと思います。
これはスリップストリング型です。
次のブームは1976〜1980年頃で、コカコーラのキャンペーンでブームが起きました。
1985〜1986年にはテレビで「スケバン刑事」が放送され、麻宮サキ(初代=斉藤由貴,2代目=南野陽子,3代目=浅香唯)の華麗なヨーヨーの技(特に南野)が披露されますと、これに刺激されてまたブームが起きました。
この時期オートリターン型のヨーヨーが開発されています。
そして1990年代に入ると、ヨーヨーはボールベアリング内蔵など更にハイテク化し、バンダイが中心になったハイパーヨーヨーのブームが起きて、1998年にはJYYA(Japan
Yo-Yo Association)が設立され公認のトリックなども定められ、多くの競技会が開催されるようになりました。
楽器の日(6.6)
6月6日は楽器の日だそうです。
日本の楽器メーカーといえば、ヤマハとカワイというのが双璧なのですが、これは元々一緒にスタートした企業です。
明治時代に外国からオルガンが入って来たときに、ある時このオルガンが故障しまして、当時それを直せる外国の技術者がいなかった為、時計職人の山葉寅楠と河合小市がその修理を請け負いました。
この経験を元に二人は明治21年3月「山葉風琴製造所」を設立、これが現在の「ヤマハ」の前身です。
最初は二人で一緒にやっていたのですが昭和2年になって、河合小市がここから独立、「河合楽器製造株式会社」を設立しました。
この二つの企業からは更に多くの技術者が独立して会社を興しており、彼らの働きにより、現在浜松市は国内の楽器の一大生産地になっています。
ピアノ用の木材を乾燥させているところの様などは壮観のようです。
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