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5月31日 世界禁煙デー(世界保健機関[WHO]1989)、そばの日(毎月末日)
花ノ名前 花ことば 誕生花として
カラー 乙女のしとやかさ・情熱・清浄
壮大な美・歓喜・素敵な美しさ ○
シラー(ツルボ) 不変・志操堅固・我慢強い ×
ヒゲナデシコ 器用・ていねい・義侠・細やかな思い
伊達男・勇敢・鋭敏 ○
フジ 歓迎・恋に酔う・佳客 ○
∞…∞ 5月31日・今日という日 ∞…∞
ノルベルト・セマナカ・ダ・ホッシャ (瀬間仲ノルベルト) (1984) 野球
成岡 翔 (1984) サッカー
野間口貴彦 (1983) 野球
勝村美香 (1980) 女優
松本博之 (1980) 俳優
松岡洋子 (1979) キャスター
そのまんま美川 (1978) タレント
エリック・ムサンバニ (1978) 水泳
河野 慶 (1977) 漫画家 「ユート」
有吉弘行 (1974) タレント、猿岩石
森 敦彦 (1972) サッカー
フランキー為谷 (1971) タレント、ふうりんかざん
杉浦 貴 (1970) プロレス
鈴木京香 (1968) 女優
田村明浩 (1967) スピッツ、G.
八神 健 (1966) 漫画家 「密・リターンズ」「ななか6/17」
ブルック・シールズ (1965) 女優
日高のり子 (1962) 声優
リー・トンプソン (1961) 女優
アンドレア・デ・チェザリス (1959) レーシングドライバー
生沢佑一 (弾ともや) (1956) TWINZER、Vo.
角富士夫 (1956) 野球
ローラ・ボー (1955) ゴルフ
高橋忠史 (1952) シンガーソングライター
白井幹夫 (1950) 元ザ・ハイロウズ、Key.
トム・ベレンジャー (1950) 俳優
ジョン・ボーナム (1948) レッド・ツェッペリン、Dr.
東 八郎 (1936) タレント
玉田元康 (1934) ボニージャックス
クリント・イーストウッド (1930) 俳優
蔵原惟繕 (1927) 映画監督
レーニエ三世公 (1923) モナコ公国元首
伊福部昭 (1914) 作曲家 ※戸籍上は3月5日生まれ
レイ・ダンドリッジ (1913) 野球
ウォルト・ホイットマン (1819) 詩人
赤間文三 (1899) 政治家、大阪府知事
○ シベリア横断鉄道工事開始(1891)
○ 東学党の乱鎮圧のため朝鮮が清に出兵求める(1894)
○ 義和団鎮圧のため日英米などの軍が北京入城(1900)
○ 浅間山が大噴火(1909)
○ 両国国技館、できる(1909)
○ 豪華客船タイタニック号進水式(1911)
○ 初のカトリック大学、上智大学が授業開始(1917)
○ ロンドン・オペラハウスに三浦環、日本人として初出演(1915)
○ 御前会議が大東亜政略指導大綱を決定する。マレー、オランダ領インドネシアに軍政をしき、ビルマ(ミャンマー)、フィリピンに形式的独立を与え、政略体制を強化する(1943)
○ 総理府・郵政省などを設置(1949)
○ 新制国立大学設置公布(1949)
○ 東ドイツが東西ベルリン間の境界線を封鎖(1952)
○ 巨人軍の川上哲治が史上初の2000本安打を達成(1956)
○ 南アフリカ共和国、成立(1961)
○ ペルー北部で大地震。死者7万1000人(1970)
○ 自動車重量税法公布(1971)
○ 劇団四季の「キャッツ」、1224回の上演記録(1987)
総理府設置記念日
1949年(昭和24年)に総理府(現在の内閣府)が設置された。
2001年(平成13年)に経済企画庁などとともに内閣府に統合された。
郵政省設置記念日
1949年(昭和24年)に逓信省が分離して、郵政省(現在の郵政事業庁)と電気通信省(後に電電公社、現在のNTT)が設置された。
世界禁煙デー
世界保健機関(WHO)が1989(平成元)年に制定。
国際デーの一つ。
1995年の段階で世界の喫煙者は10億1000万人で約5人に1人の割合となっている。
毎年世界で300万人が喫煙が原因とみられるがんや心臓病で亡くなっており、このままでは2030年代初頭には喫煙による死亡者が年間1000万人に達するとWHOは警告している。
(World No-Tabacco Day)
青峰忌
俳人・嶋田青峰の1944(昭和19)年の忌日。
新興俳句運動に理解を示していたことから、1941(昭和16)年、治安維持法による新興俳句派に対する弾圧事件「俳句事件」に連坐して起訴される。
留置場で喀血して釈放されましたが、病状が悪化し死去。
で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ
三浦環の蝶々(1915)
1915年のこの日、ロンドンのオペラハウスに三浦環が日本人として初めてプリマドンナとして出演、プッチーニの「蝶々夫人」を歌いました。
三浦環(1884.2.22-1946.5.26)は東京芝で公証人柴田猛甫と妻の永田登波との間に生まれました。
日本初の公立小学校であった虎ノ門の鞆絵小学校、そして同じく虎ノ門の東京女学館を出たあと東京音楽学校(現・東京芸大)を卒業、そこの教師を務めたあと帝国劇場に移りオペラ歌手としてデビュー。
結婚後1914年留学のためドイツにわたりますが、翌年ロンドンでのこの出演で一躍スターになりました。
彼女はこれをきっかけにヨーロッパとアメリカを中心に2000回以上も「蝶々夫人」を演じています。
1920年には作曲者のプッチーニ(1858-1924)と対面、プッチーニから「わが夢」と称賛されました。
また、アメリカではメトロポリタン歌劇場でエンリコ・カルーソーと共演したこともあります。
この劇場にプリマとして立った日本人は彼女が最初です。
1936年には帰国し、その年歌舞伎座で2001回目の「蝶々夫人」を演じています。
蝶々夫人の舞台となった長崎のグラバー園には現在、三浦環の像とプッチーニの像が並んで立っているとのことです。
「蝶々夫人(マダム・バタフライ)」はJ.L.ロングの原作(1895)で、明治中期の長崎を舞台に、士族の娘お蝶とアメリカ海軍のピンカートン中尉との愛と悲劇を描いています。
1904年にミラノで初演されました。
二人は恋をし結婚して子供までもうけます。
しかしピンカートンが帰国することになって、彼はその内戻るからといって単身でアメリカに行ってしまいまし
た。
お蝶は彼を待ちますがなかなか戻って来ません。
やがて3年の月日が流れますが、やっとピンカートンはまた長崎にやってきました。
しかし彼の側には向こうで結婚したケイトが付き添っていたのです。
お蝶はショックを受けこのまま侮辱を受けるよりは武士の娘として高貴な死を選ぼうといって自刃して果てます。(お蝶が芸者になっているのはアルベール・カレの改変版)
第二幕の「ある晴れた日に」のアリアは有名。
キーの高い曲が多くソプラノ泣かせの難曲と言われています。
この物語は実話を元にしているとされ、そのグラバー園のトーマス・グラバー(1838-1911)と夫人の鶴さんがモデルではないかという説もあります。
が実際にはこの手の話は随分多かったのではないでしょうか。
なお、実際のグラバーは帰国せず高島鉱業の所長を務めたり、キリンビールの創業に関わったりした後、東京麻布で亡くなっています。
(原作をベラスコと書いてある文献もありました。実際どうなんでしょか。)
「蝶々夫人」というと横溝正史の「蝶々夫人殺人事件」が推理ファンにとっては外せない作品です。
この物語は戦後の読者におなじみの金田一耕介ではなく戦前の耽美な作品で活躍した由利先生が探偵をつとめる作品です。
トリックは現代ではもう使い古されたものですが、コントラバスのケースから突如現れる死体、出没する男装の麗人、楽譜の暗号、二重三重のどんでん返し、最後に探偵が関係者全員を集めて「さて」という古典的な演出、本文の最後の一行で明らかになる意外な犯人。
そして由利先生のシリーズはこれで終わりだよ、というかのような、微笑ましい後日談、とサービスたっぷりの名作に仕上がっています。
その最大のトリックはクリスティーが某有名作品で使用したものですが、クリスティーの元の作品よりこちらの方がずっといい仕上がりだと言う人が多い様です。
長崎のグラバー園には現在、三浦環の像とプッチーニの像が並んで立っている。
その、像も乗っているグラバー邸のHPです。
参考に。
http://susono.jugem.jp/?eid=1897
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