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5月30日 文化財保護法公布記念日(文化庁)、530(ゴミゼロ)デー(東京都など1982)
消費者の日(消費者保護会議1978)、お掃除の日(1986)、掃除機の日
児童福祉法公布記念日、業平忌、みその日(毎月)
花ノ名前 花ことば 誕生花として
オダマキ のろま・移り気・勝利の誓い・不品行
心配して震えている・愚鈍・負け知らず
別れた恋人・かならず手に入れる ○
オリーブ 平和・知恵 ○
シラー 志操堅固・辛抱強さ・多感な心
悲しい・哀れ・不変 ○
ライラック(紫) 愛の芽生え・初恋 ○
∞…∞ 5月30日・今日という日 ∞…∞
内田朝陽 (1982) 俳優
釘宮理恵 (1979) 声優
DJ BOTS (1978) Dragon Ash、DJ
唐橋 充 (1977) 俳優
宮崎一成 (?) 声優
大向美智子 (1975) プロレス
七緒 香 (1975) 歌手
富井 彦 (1973) スキー、ノルディック複合
町田浩徳 (1973) アナウンサー
保志総一朗 (1972) 声優
中元綾子 (1972) アナウンサー
門奈哲寛 (1970) 野球
北村龍平 (1969) 映画監督
河瀬直美 (1969) 映画監督
矢口史靖 (1967) 映画監督
松本玲二 (1966) TUBE、Dr.
吉川十和子 (1966) 女優
森下和哉 (1965) アナウンサー
向井政生 (1963) アナウンサー
宮嶋茂樹 (1961) ジャーナリスト、カメラマン
酒井敏也 (1959) 俳優
宇野 勝 (1958) 野球
相沢早苗 (1958) アナウンサー
中村勘三郎 (十八代目) (1955) 歌舞伎役者
神崎 愛 (1954) 女優
庄司智久 (1953) 野球
三ツ木清隆 (1953) 俳優
火野正平 (1949) 俳優
ヒロ・ヤマガタ (1948) 画家
大林雅美 (1947) タレント
宮園純子 (1943) 女優
田上 雄 (1943) 脚本家
大野雄二 (1941) 作曲家
左とん平 (1937) 俳優
小坂一也 (1935) 俳優
寺本圭一 (1933) 歌手
竹中 労 (1930) 評論家
小坂太郎 (1928) 詩人
柳亭痴楽 (1921) 落語家
安岡章太郎 (1920) 作家
幸田宗丸 (1920) 俳優
安芸ノ海節男 (1914) 相撲
ベニー・グッドマン (1909) ジャズクラリネット奏者
ヴィンセスラオ・デ・モラエス (1954) 海軍士官、外交官
ダンテ・アリギエーリ (1265) 作家
○ ジャンヌ・ダルク、ルーアンで火あぶりの刑に処せられる。19歳(1431)
○ 新撰組の沖田総司が老咳(結核)のため没。25歳(1868)
○ アメリカ自動車レース 第一回インディ500開催(1911)
○ 逓信省が浜地常康に私設無線電話を許可する(初のアマチュア無線の認可)(1921)
○ 最後の戦犯仮出所。「巣鴨プリズン」消える(1958)
○ 英労働党が保守党を破り、初めて第1党となる(1929)
○ 間島で朝鮮人の反日武装暴動起こる(1930)
○ ドイツ民主共和国憲法が成立し、東ドイツが誕生(1949)
○ 米原子力潜水艦、横浜に初寄港(1966)
○ 消費者保護基本法が公布施行(1968)
○ テルアビブ空港銃乱射事件。日本人ゲリラらが26人殺害(1972)
○ 消費者保護基本法公布(1968)
文化財保護法公布記念日
1950年(昭和25年)のこの日、全文130条からなる「文化財保護法」が公布されたのを記念して設けられた。
消費者の日
1968年(昭和43年)の今日、消費者の利益を守ることを目的とした消費者保護基本法が公布・施行されたのを記念してその10周年にあたる1978年(昭和53年)に政府が制定したもの。
ゴミゼロの日,環境美化の日
各都道府県の環境美化推進協議会が実施。
「ゴ(5)ミ(3)ゼロ(0)」の語呂合せ。
掃除機の日
日本電機工業会が1986(昭和61)年に制定。 ダニや黴が多く発生する梅雨どきに向けて、掃除の大切さを呼びかける日。
で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ
ジャンヌダルク(1412-1431)
1431年5月30日、ジャンヌ・ダルクがイギリス軍の手により宗教裁判にかけられ異端者として火あぶりの刑に処されました。
『オルレアンの少女』ジャンヌ・ダルク(Jeanne
d'Arc,1412.1.6-1431.5.30)は百年戦争の戦況を転換させた英雄です。
百年戦争は1338年から1453年まで115年にわたって続いたイギリスとフランスの大陸における領土争いの戦争で、当初はイギリスが優勢でした。
1422年にはフランス王シャルル6世が死去しますが、皇太子シャルルは正式に王位につけないまま各地を転々として、1428年にはフランス中部シノンに来ていました。
既にフランスの北3分の1と南西部のボルドー付近はイギリスの手に落ちていました。
そして10月イギリス軍は北部の駐留地とボルドーとの連絡の拠点にするため中部の町オルレアンを奪取しました。
この時、ドムレミという小さな村に住む羊飼いの娘ジャンヌ・ダルクが「立って祖国を救え」という神の声(大天使ミカエルの指示とも)を聞きます。
彼女は翌年2月シノンのシャルルの元へ行き、祖国の為に戦いたいと申し出、まずはオルレアンからイギリス軍を追い出したいので軍隊を貸して欲しいと申し入れました。
皇太子は半信半疑でしたが、とりあえず数千人の兵を預けます。
彼女に率いられたフランス軍は4月末にオルレアンの近くに集結、5月頭にイギリス軍の砦を襲ってこれを撃退しました。
これでフランス軍は大いに志気を盛り返し、以後連戦連勝をすることになります。
トロワ、シャロンと勝利を続け、7月にはとうとうランスの町まできます。
ここで皇太子はランスの大司教の手により戴冠式を行うことができ、やっと正式に国王シャルル7世となります。
そして9月にはパリまで到着しました。
翌年5月に敵軍につかまるまで、ジャンヌ・ダルクの活躍でフランスは国土の大半を取り戻したのです。
彼女が敵軍につかまったのは1430年5月23日コンビエーニェでした。
彼女を捕らえたのはブルゴーニュ軍ですが、ブルゴーニュ軍は彼女を1万フランでイギリス軍に売り渡してしまいます。
フランスにとって英雄でもイギリスにとってはジャンヌ・ダルクは憎き相手、彼女は魔女として宗教裁判にかけられてしまいました。
裁判は一応1431年5月24日ジャンヌが自分の誤りを認める書類にサインして終了しますが、28日更に難癖をつけられて、とうとう30日火あぶりの刑に処せられてしまいました。
百年戦争自体はこのジャンヌ・ダルクの1年にわたる大活躍でフランスの勝利がほとんど確定、その後状況が変わることはなく1453年和平が成立しました。
ジャンヌ・ダルクは戦時中のこととはいえ一応魔女として処刑されたためその後ずっと魔女のままになっていましたが、近年になってやっと名誉回復、聖人に列せられています。
ジャンヌ・ダルクがフランス軍を指揮していた時、女の子が大将だと聞き、夜彼女の寝床に忍び込む兵士もよくあったそうです。
しかしみな彼女の神々しい雰囲気に圧倒され一切手を出すことができなかったといいます。
彼女はやはり神に愛された少女だったのでしょう。
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