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5月24日 ゴルフ場記念日
花ノ名前 花ことば 誕生花として
キランソウ 追憶の日々・あなたを待っています ○
フランスキク 寛大・忍耐 ×
ヘリオトロープ 愛よ永遠なれ・永久の愛・献身的な愛
熱望 ○
ムギワラギク 永久に・永遠の記憶・献身・思い出 ○
∞…∞ 5月24日・今日という日 ∞…∞
梅田えりか (1992) タレント
郡司あやの (1988) タレント
小林元樹 (1986) タレント
坂本弥太郎 (1982) 野球
松田晋二 (1978) THE BACK HORN、Dr.
塚原 愛 (1976) アナウンサー
河合我聞 (1975) 俳優
小野晋吾 (1975) 野球
小林雅英 (1974) 野球
與芝由三栄 (1974) アナウンサー
OKAMA (1974) イラストレーター、漫画家
白鳥雪之丞 (?) 氣志團、Dr.
上杉 昇 (1972) 元WANDS、Vo.
杉村 功 (1971) タレント、カンカラ
相沢なほこ (1969) タレント
北海ジャンジャン (1968) タレント
柴田亜美 (1967) 漫画家 「南国少年パプワくん」
小林聡美 (1965) 女優
藤田和日郎 (1964) 漫画家 「うしおととら」「からくりサーカス」
シベリア文太 (1964) タレント
哀川 翔 (1961) 俳優、元 一世風靡セピア
古賀森男 (1961) 元 レベッカ、G.
真保裕一 (1961) 作家
ヤン・ヨンソン (1960) サッカー
ペコちゃん (1960) タレント
瀬々敬久 (1960) 映画監督
岡田正義 (1958) サッカー審判員
鵜飼るみ子 (1950) 声優
加藤英司 (1948) 野球
田村 亮 (1946) 俳優
宮里 優 (1946) ゴルフ
青木エミ (1945) 元モデル
小沢一郎 (1942) 政治家
たかしまあきひこ (高島明彦) (1943) 作曲家
ボブ・ディラン (1941) 歌手
前田益穂 (1939) 野球
渡部恒三 (1932) 政治家
加藤 武 (1929) 俳優
村上不二夫 (1928) レポーター
安藤 昇 (1926) 俳優、元暴力団組長
マーティン・ディヒーゴ (1924) 野球
鈴木清順 (1923) 映画監督
藤間 紫 (1923) 女優、日本舞踊
ミハエル・ ショーロホフ (1905) 作家
南部忠平 (1904) 陸上競技、三段跳び
花柳章太郎 (1894) 俳優
駒杵勤治 (1877) 建築家
水野広徳 (1875) 軍事評論家、軍人
徳川家茂 (1846) 徳川幕府将軍
ビクトリア女王 (1819) 女王、イギリス
冷泉天皇 (950) 天皇
○ イギリス人、初めてアメリカへ移住(1607)
○ 独眼竜政宗、没。70歳(1636)
○ 老中・松平定信による寛政異学の禁(1790)
○ モールス、モールス信号を初発信(1844)
○ 日本初の盲あ学校、訓盲唖院開校(1878)
○ 12歳以上の男女混浴の禁止(1900)
○ 日本初のゴルフ場「神戸ゴルフ倶楽部」オープン(1903)
○ 日本商工会議所が創立(1928)
○ プロ野球で延長28回の珍記録(1942)
○ 年齢を満で数える法律公布(1949)
○ 天皇が蔵前国技館で初めて大相撲を観覧(1955)
○ 売春防止法公布(1956)
○ 太平洋岸にチリ地震津波襲来(1960)
○ 婦人解放運動の平塚らいてう没。85歳(1971)
ゴルフ場記念日
1903(明治36)年、日本初のゴルフ場「神戸ゴルフ倶楽部」がオープンした。
エンパイヤ・デー
1819年のこの日、イギリス女王ヴィクトリア1世がジョージ3世の孫として誕生。
後にウィリアム4世の後を継いで国王に就いた。
独立記念日(エリトリア)
1993(平成5)年、エリトリアがエチオピアから独立した。
ビチンチャ戦勝記念日(エクアドル)
英連邦の日(ベリーズ)
文化の日(ブルガリア)
で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ
ゴルフ場記念日
1903(明治36)年5月24日、日本初のゴルフ場「神戸ゴルフ倶楽部」がオープンした。
日本でのゴルフは六甲山から始まった。
神戸港開港以来、神戸の居留地での居留地外国人によるスポーツの、起源を辿ると、明治3年A・C・シムによって創設されたKRAC(神戸レガッタ・アンド・アスレチック倶楽部)の活動に始まが、その若かったKRACの会員が30年も経過すると体力も衰えて、激しい競技スポーツに参加できないことを知ったイギリス人の茶貿易商A・グルーム(アーザー・ヘスケス・グルーム)は、ある会合で友人達と談笑中、自然の中でしかも仲間と楽しめるゴルフの必要性を感じ早速彼は友人を誘って、低廉な六甲山頂の土地を確保し1901(明治34)年に4ホールだけのゴルフ場を作った。
これは文字通り、日本最初のゴルフ場で、2年後の1903(明治36)年5月には9ホールに拡張し、ホールの開場式は服部知事や坪野市長を招いて行った。
会員も120人に増えて、日本初の神戸ゴルフ倶楽部が発足した。
そして、明治37年には、18ホールに拡大して1907(明治40)年には、横浜対神戸のインターポート試合と、日本アマチュア選手権を実施した。
また、神戸ゴルフ倶楽部(KGC)は冬の4ヶ月間閉鎖される不便を補うため、英国人ウィリアム・ロビンソンが、37年に横屋ゴルフアソシェーションを創設した。
日本初のプロゴルファーや日本婦人選手権の初代チャンピオンが誕生したのも神戸である。
六甲に別荘があった室谷藤七(同GCの理事長などを歴任した人)は、第1回関西アマチュア選手権で優勝した名プレーヤーで、日本人初のスクラッチプレーヤー(ハンデ0)となる。(※参考のJGAハンディキャップの制定と目的(プロゴルファーにもハンディーがあった時代)を参照ください。)
又、神戸ゴルフ倶楽部では、六甲山麓(ろく)に住む子供たちが小遣い銭稼ぎに山道を登ってキャディーを務めていた。
横屋、その後出来た鳴尾でも近所の子供がバッグをかついでいた、この中から数々のプロが誕生したが、プロ第1号が福井覚治である。
因みに、日本人最初のゴルファー(1907年=明治40年)は、小倉正太郎で、日本人女性で最初にゴルフをしたのもその妹で、神戸女学院生であった小倉末子(14歳:後のピアニスト)であった。
現在のハウスは、1931(昭和6)年〜1932(昭和7)年にかけて改築されたもので、当時の百貨店や関西学院、神戸女学院などを手がけていたアメリカの設計家ウイリアム・メレル・ヴォーリスによるものである。
明治の時代は、神戸開港とともに始まった。
開港と同時に、外国人居留地が出来、西洋の文化が、そこから発信されだした。
そのため、神戸には、日本初のものが多くあり、この神戸倶楽部もその一つ。
神戸っ子のお国自慢の一つである。
又、神戸倶楽部のある六甲山のよいところは、市内にそびえていることと、日本の山にありがちな求道性や哲学がないことだと、司馬遼太郎さんが書いている。『司馬遼太郎追想集・ここに神戸がある』(月刊神戸っ子)の一節。
名山と評される日本の多くの山は、たいていの場合、修験者によって開かれた。
富士山、御岳、大峰山、葛城山…。
しかし、六甲山は、そうではない。
登る者に圧迫するような観念的な要素がなく、明るい緑の空気のなかで、若い人は安心して恋を語ることができるし、中年の男性は仕事のことを忘れてゴルフクラブを振ることができる…。
それこそが六甲山の値打ちだと・・・。
神戸を訪れた時は是非、六甲山を登ってくださいね・・・。(画像、『グルームのパッティング』明治40年ごろ。市民のグラフ神戸より)
参考
JGAハンディキャップの制定と目的(財)日本ゴルフ協会
http://www.jga.or.jp/bulletin/vol69/special/sp1_3...
日本最初のゴルフ場《神戸ゴルフ倶楽部》
http://ohto.ciao.jp/koubegolf.html
クラブハウス探訪
神戸ゴルフ倶楽部
http://www.golfdigest.co.jp/gdo/column/chouse/0101..
摂津物語紀行:六甲山:日本最古のゴルフ場がある多彩な山の表情がある
http://www.toyro.co.jp/library/kikou/n_17.html
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