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5月23日 KISSデー、ふみの日(毎月)・ラブレターの日
花ノ名前 花ことば 誕生花として
カラー(白) 愛情・乙女の清らかさ ○
グラス 優しい思い出・追憶 ×
ゴデチア(イロマツヨイ) 変わらぬ熱愛 ○
チューリップ(黄) 希望のない恋・正直
実らぬ恋・母の日・名声 ○
∞…∞ 5月23日・今日という日 ∞…∞
石原 萌 (1986) Folder 5
タマモクロス (1984) 競走馬
久保裕也 (1980) 野球
鈴木啓介 (1980) タレント、冷やし中華はじめました
北島秀朗 (1978) サッカー
大谷靖夫 (1978) 作曲家
高橋邦彦 (1978) タレント、アホマイルド
平瀬智行 (1977) サッカー
イリヤ・クーリック (1977) フィギュアスケート
加藤 大 (1977) タレント
阿武法子 (1976) 柔道
宮崎景子 (1976) タレント
鈴木郁洋 (1975) 野球
小野田リカ (1975) 気象予報士
柴原 洋 (1974) 野球
飯塚悟志 (1973) タレント、東京03
ルーベンス・バリチェロ (1972) レーシングドライバー
浅田葉子 (1969) 声優
桂木麻智 (1969) 女優
杉浦正則 (1968) 野球
ウルフルケイスケ (1965) ウルフルズ、G.
山口勝平 (1965) 声優
上野博文 (1965) 元 T-BOLAN、Bass
ダニエル・マッサーロ (1961) サッカー
MAYA MAXX (1961) 画家
羽毛田丈史 (1960) 作曲家
高橋利幸 (高橋名人) (1959) ファミコン名人、ハドソン社員
西川峰子 (1958) 女優
根本 要 (1957) スターダストレビュー、Vo.
マービン・ハグラー (1954) ボクシング
勝部演之 (1938) 俳優
飯塚昭三 (1933) 声優
ユセフ・トルコ (1931) プロレスレフリー
高田がん (1930) 政治団体長
高橋 治 (1929) 作家
サトウハチロー (1903) 詩人、作詞家
跡見 泰 (1884) 画家
エレナー・ホグマン・ポーター (1863) 作家
オットー・リリエンタール (1848) 飛行家
跡見 泰 (1884) 画家
寺島宗則 (1832) 作家
カール・フォン・リンネ (1707) 博物学者
○ 東大寺大仏の頭が5月10日と11日の地震が原因で転落(855)
○ 蝦夷が松前城を襲撃(1528)
○ コペルニクス、地動説発表(1543)
○ 将軍・家綱が武家諸法度を改定、殉死を禁止(1663)
○ 5代将軍綱吉が大久保に広大な犬屋敷を設置(1865)
○ エジソン、電信機の音波を記録するとき偶然にテレフォンレコーダーを発明(1913)
○ 3円以上の納税者が選挙権を得る選挙法成立(1919)
○ GHQが皇族の財産に関する特権廃止を発表(1946)
○ 日本初のキスシーン映画「はたちの青春」封切り(1946)
○ ドイツ連邦共和国が正式に成立(1949)
○ 国立がんセンター診療開始(1962)
○ 初の「公害白書」出る(1969)
○ 黒沢明監督の「影武者」が第23回カンヌ映画祭でグランプリを獲得(1980)
火葬禁止令廃止の日
1875年(明治8年)のこの日、明治政府により制定された火葬禁止令が廃止された。
キスの日
1946(昭和21)年、日本で初めてキスシーンが登場する映画である佐々木康監督の「はたちの青春」が封切られた。
当時、映画製作もGHQの検閲下にあり、民間情報教育局(CIE)のコンデが、完成した脚本がその前に見せられたものと違うことを指摘し接吻場面を入れることを要求したもの。
主演の大坂史郎と幾野道子がほんのわずか唇をあわせただけだが、それでも話題を呼び、映画館は連日満員になった。
ラブレターの日
浅田次郎原作の映画「ラブ・レター」の公開初日にちなみ、松竹株式会社が制定した日。
また、この日は「こい(5)ぶ(2)み(3)」(恋文)の語呂合わせから。
丈山忌
漢詩人・書家の石川丈山の1672(寛文12)年の忌日。
で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ
コペルニクスの地動説(1543)
1543年5月23日、コペルニクスが「天球の回転について」を発表。
この中で事実上地動説を提唱しました。
数学的には回転運動に中心点は存在しませんので(回転する平面はどこを中心点とみなしても構わないのが数学上の定理です)地球と太陽の内どちらがどちらの回りを回っていると考えた方がいいのかについては、古来議論があ
りました。
しかし中世のヨーロッパでは偏った宗教論議によって、太陽が地球の回りを回っているという考え方(天動説)のみを教会は認めていました。
このため、コペルニクスの100年後に登場したガリレオなどは地動説は異端であるとして宗教裁判に掛けられており、その名誉が回復されたのは現代になってなんと1985年のことです。
この天動説をもとにした場合、惑星の動きは「周転円」という複雑な手法で計算されていました。
各惑星は地球のまわりを回る円の上に中心をおく回転する円の上を動いている、というややこしい話です。
地球と太陽の相互関係においてはどちらがどちらのまわりを回っていると考えても構いませんが、他の惑星は太陽との関係で運動していますので、地球から見ると、こういうめんどくさい話になってしまう訳です。
ここでコペルニクスは逆に地球の方が太陽のまわりを回っていると考えた方がすっきりすることに気づきました。
しかしコペルニクスは今はまだそれを世に問う時期ではないと判断、これを単なる「天体位置の簡易計算法」とし
て発表します。
お陰で彼はガリレオのように面倒な目にあわずにすみました
キス・キス・キス!5月23日はキスの日
5月23日がキスの日だということをご存知ですか?
5月23日の「キスの日」は1946(昭和21)年、日本初のキスシーンが登場する映画『はたちの青春』の公開に由来しています。
ほんのわずかに唇をあわせただけのものでしたが、当時の観客には衝撃だったらしく、映画館は連日満員!主演の二人はガーゼで口をガード。
決死の覚悟ででキスシーンに挑んだということです。
ちなみにこの映画でキスシーンが登場した背景にはGHQの検閲が関係しています。
『はたちの青春』の前に公開された映画『ある夜の接吻』で恋人がキスをするシーンを洋傘で隠して撮影したために、「ラブシーンなのにキスを見せないのは不自然」とGHQから映画会社に抗議がはいったことが日本初のキスシーン誕生のきっかけなのです。
外国映画はずっと早く1896年のアメリカ映画で監督ウィリアム・ヘイズ、出演メイ・アーウィン、ジョン・C・ライスの『接吻』は、キスシーンが始まると、ざわめきが起こり、観客の中には口笛をふくものもいたということです。
公序良俗に反すると新聞雑誌に書き立てられた本作は上映禁止処分となった史上初の検閲映画です。
最も長いキスシーンだと言われたアルフレッド・ヒッチコック作品『汚名』
ヒッチコック監督の、当時(1940年代)のプロダクション・コードには「キス・シーンは3秒まで」という規定があり、それ以上の口づけを映画で見せることは禁じられていました。
しかし、ヒッチコックはこの規定を逆手に取り、イングリット・バーグマンとケイリー・グラントがバルコニーで愛し合うシーンでは、二人に3秒以内の短いキスを何回も続けさせます。
その結果、このキス・シーンは2分半にも及ぶ官能的なものとなりますが、個々のキスは3秒以内だったため検閲を無事にパスしたわけです。
映画が公開されると批評家からは絶賛され、観客もこの映画に魅了されて興行的に大ヒットを記録。
第19回アカデミー賞では助演男優賞と脚本賞の2部門にノミネートされますが、受賞は逃しました。
キスシーンが印象的な映画
記憶に残る名キスシーンのある映画は、今井正監督の『また逢う日まで』は、窓ガラス越しのキスシーンがあまりにも有名な一篇です。
他には『スパイダーマン』の逆さまのキス。
『地上より永遠に』の海岸でのキス。
ビリー・ワイルダー監督の『昼下りの情事』のラストシーンのキス。
『タンポポ』での役所広司と黒田福美の糸引きの生卵キス。
『探偵物語』の松田優作と薬師丸ひろ子の成田空港での身長差キス。
『脱出』はハンフリー・ボガードとローレン・バコールの初共演作で、知り合ったばかりのヒロインが「確かめたいの」と言ってキスをして、そのまま現実に結婚。
『ニュー・シネマ・パラダイス』では映画のキスシーンばかりを集めて、つないだ1本のフィルムがあります。
主人公が育った村で上映される映画は、キスシーンをすべて牧師がカットさせていました。
映写技師はそのカット部分をたんねんにつなぎ、今は映画監督として成功している主人公に遺します。
ジーンとくるフィルムに焼き付いたキスシーンの名場面集です。
最近の忘れ難い美しいキスには『コールド・マウンテン』のニコール・キッドマンとジュード・ロウ。
豪華客船の船首で交わす『タイタニック』のケイト・ウィンスレットとレイナルド・ディカプリオのキス。
新作ではウォン・カーワァイ監督の『マイ・ブルーベリー・ナイツ』では、寝ているノラ・ジョーンの口についたケーキのクリームを拭うようにするジュード・ロウのキスも印象に残りました。
映画の中のキスシーンは枚挙に暇がありません。
ほんの一部の作品です。
キスシーンといえば「キスの名場面」ばかりを集めた『KISS』というビデオもあります。
キスに関する昔話(グリム童話)白雪姫
むかしむかし、とっても美しいけれど、心のみにくいおきさきがいました。
おきさきは魔法のカガミを持っていて、いつも魔法のカガミにたずねます。「カガミよカガミよ、この世で一番美しいのはだれ?」
おきさきは、カガミがいつものように、「あなたが一番美しいです」と、答えるのを待ちました。
しかしカガミは、「あなたの娘、白雪姫(しらゆきひめ)です」と、答えたのです。
おきさきは、白雪姫の2度目のお母さんです。
おきさきは激しく腹を立て、白雪姫を猟師(りょうし)に殺させようとしました。
でも、心のやさしい猟師は、白雪姫をそっと森の中にかくして、おきさきには白雪姫を殺したとうそをついたのです。
白雪姫は、森に住む七人の小人たちと暮らすことになりました。
そして小人たちが山に働きに入っている間、そうじやせんたくや針仕事をしたり、ごはんを作ったりして、毎日を楽しくすごしました。
「白雪姫、わたしたちが仕事にいっている間、だれも家に入れちゃいけないよ。あのこわいおきさきに、ここが知られてしまうからね」と、いつも小人たちはいうのでした。
ところがある日、「カガミよカガミよ、この世で一番美しいのはだれ?」と、おきさきがカガミに聞くと、「山をこえたその向こう、七人の小人の家にいる白雪姫です」と、答えたのです。
「なんですって!! あの猟師、うらぎったね! よし、こうなれば」自分で白雪姫を殺そうと考えたおきさきは、物売りのおばあさんに化けると、毒リンゴを手に 七つの山をこえて、小人の家に行きました。
そして、まどをたたいて言いました。
「美しい娘さんに、おくりものだよ」
「まあ、何てきれいなリンゴ。おばあさん、ありがとう」
けれど、そのリンゴを一口かじるなり白雪姫はバタリとたおれて、二度と目をひらきませんでした。
白雪姫が死んだことを知った小人たちは悲しみ、せめて美しい白雪姫がいつでも見られるようにと、ガラスのひつぎの中に白雪姫を寝かせて、森の中におきました。
そしてある日、1人の王子が森で、白雪姫のひつぎを見つけたのです。
「何てきれいな姫なんだ。まるで眠っているようだ」王子は思わず、ひつぎの中の白雪姫にキスをしました。
するとキスしたはずみで、毒リンゴのかけらが白雪姫ののどから飛び出したのです。
目を開けた白雪姫は、「わたしは、どこにいるのかしら?」と、王子にたずねました。
「ずっと、わたしといっしょにいるのですよ。姫」王子と結婚した白雪姫は、ずっと幸せに暮らしました。
ラブレターの日 松竹が制定。
「こい(5)ぶ(2)み(3)」(恋文)の語呂合せと、浅田次郎原作の映画『ラブ・レター』の公開初日であったことから。
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