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5月22日 ガールスカウトデー、夫婦の日(毎月)
花ノ名前 花ことば 誕生花として
アワモリソウ 熱心な気もち・恋の訪れ ×
オリーブ 平和・知恵 ○
ツリウキ草(フクシャ)熱烈な心 ○
フクシア 交友・激しい心・好みの良さ
上品な趣味・恋の予感 ○
レモン 愛に忠実・心からの思慕・熱意・誠実な愛○
∞…∞ 5月22日・今日という日 ∞…∞
徳永千奈美 (1992) Berryz工房
藤井彩香 (1983) タレント
アポロ・アントン・オーノ (1982) スケート、ショートトラック
原 史奈 (1981) タレント
田中麗奈 (1980) 女優
ムリーロ・ニンジャ (1980) 格闘家
井田 篤 (1979) 俳優
広瀬久実 (1979) タレント
中払大介 (1977) サッカー
シュナイダー潤之介 (1977) サッカー
府川唯未 (1976) プロレス
八馬淳也 (1973) アナウンサー
ゴリ (1972) タレント、ガレッジセール
野月貴弘 (1972) SUPER BELL"Z、DJ、Vo.
ナオミ・キャンベル (1970) モデル
げんしじん (1969) タレント
橋本 清 (1969) 野球
宇多丸 (1969) Rhymester、MC
水口哲也 (1965) ゲームデザイナー
dj honda (1965) ミュージシャン
錦織一清 (1965) 俳優、少年隊
MOTSU (?) move、ラッパー
嶋 大輔 (1964) 俳優
マイヤ・ウソワ (1964) フィギュアスケート
栃乃和歌清隆 (1962) 相撲
庵野秀明 (1960) 映画監督、脚本家
木屋善夫 (1960) プログラマー
阪口あや (1959) 声優
唐沢俊一 (1958) 評論家
森末慎二 (1957) 体操、タレント
関口シュン (1957) 漫画家
中村修二 (1954) 電子工学者、大学教授
車 範根 (チャ・ブンクン) (1953) サッカー
大竹まこと (1949) タレント
中村吉右衛門 (二代目) (1944) 歌舞伎役者
江田五月 (1941) 政治家
津島利章 (1936) 作曲家
御木本伸介 (1931) 俳優
関山耕司 (1929) 俳優
佐野 洋 (1928) 作家
ローレンス・オリビエ (1907) 俳優
藤山愛一郎 (1897) 政治家
中 勘助 (1885) 作家
アウニ・エリザベス・ヌオリワーラ (1883) 作家
アーサー・コナン・ドイル (1859) 作家
坪内逍遥 (1859) 作家
リヒャルト・ワーグナー (1843) 音楽家
○ 鎌倉幕府が滅亡(新田義貞が稲村ケ崎から鎌倉へ突入し、北条高時は自刄)(1333)
○ ヴァスコ・ダ・ガマがカルカッタに到着(1498)
○ ワットが新発明の蒸気機関の特許を取得(1775)
○ 西郷従道が征台軍を率いて台湾上陸(1874)
○ ドイツ社会主義労働者党が結成(1875)
○ エジソン、活動写真を公開(1891)
○ 大元帥を辞任した孫文が日本へ亡命(1918)
○ ガールスカウト、始まる(1920)
○ 第1次吉田内閣が成立(1946)
○ セイロンがスリランカと国名を改称(1972)
○ 江東区議らが、杉並区のゴミの搬入を実力阻止。東京ゴミ戦争(1973)
○ 第一回ワールドカップ・ラグビーが開幕(1987)
ガールスカウトの日
1947年(昭和22年)の今日、ガールスカウト運動の再興をめざして準備委員会が発足したのを記念して、ガールスカウト日本連盟が制定したもの。
(ボーイスカウト創立記念日は1月24日)
国際生物多様性の日
1994(平成6)年の「生物の多様性に関する条約」締約国会議で制定。国際デーの一つ。
当初は12月29日だったが2000(平成12)年から5月22日に変更された。(International Day for Biological Diversity)
夫婦の日
毎月の22日。
「22」を「フーフ」にかけた語呂合わせによる。
夫婦対話で明るいマイホーム作りをと1987年に毎日新聞が提唱し、制定。
イエメン・ナショナルデー(イエメン)
1990年(平成2年)のこの日、イエメン・アラブ共和国とイエメン民主人民共和国が統合され、イエメン共和国となったことを記念する日。
首都は、サナア。
で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ
鎌倉幕府滅亡(1333)
元弘3年(正慶2年,1333)5月22日。
鎌倉幕府最後の執権・北条高時は鎌倉東勝寺にて一族ともども自刃、「いい国作ろう」1192年に出来た鎌倉幕府が
滅亡しました。
鎌倉幕府は源頼朝が創設したあと、頼朝直系の血は早々に途絶えてしまい、4代将軍以降は藤原家や宮家から名目上の将軍を立て、実際の権限は執権の北条家が行使するという二重体制のもとで続いて来ました。
文永11年(1274)と弘安4年(1281)の元寇は若き執権北条時宗(1251-1284)の力で乗り切りますが、その時宗が34歳の若さでこの世を去ると元寇のため幕府の財政が極端に悪化したこともあり、幕府の支配体制にゆるみが出てきます。
そんな中、天皇家にも少し問題が起きていました。
後嵯峨天皇のあとの天皇家の血筋が持明院統と大覚寺統とに分裂し、両派対立する中、双方から一代おきに天皇を出しましょうなどという変則的な体制が成立します。
93 100
89 92 +−後伏見−光厳−後光厳−後円融−後小松
+−−後深草−−伏見−−−+ 95
88 | 【持明院統】 +−花園
後嵯峨−+ 94 98
| 90 91 +−後二条 +−長慶
+−−亀山−−−後宇多−−+ 96 97 | 99
【大覚寺統】 +−後醍醐−後村上−+−後亀山
そんな中、文保2年(1318)後醍醐天皇が即位しました。
天皇は天皇家も変則的、幕府も二重構造といった体制を変革し、天皇親政の世の中を実現しようと考え、クーデター計画を立てますが、これがあっけなく事前に露見します。
元亨4年(1324)9月19日、天皇の下で計画を進めていた日野資朝・俊基が逮捕され、土岐頼兼らが討ち取られます。
天皇は「自分は知らない」としらを切り通し責任追及を逃れました。(正中の変)
天皇はこれに懲りず、逮捕されたものの翌年赦免された日野俊基を中心に再度倒幕の計画を進めますが、元徳3年(1331)5月5日、天皇に謀反の計画ありという密告に対して幕府は速やかに兵を差し向け俊基らを逮捕します。(元弘の変)
ここで追求を逃れきることはできないと考えた天皇は8月24日突然三種の神器を携帯して奈良へ脱出、27日に笠置山に入ります。
これに呼応して9月14日、楠木正成が天皇を支援する兵を起こしました。
これに対して持明院統の後伏見上皇は皇太子の量仁親王に皇位継承を指示、親王は9月20日践祚して光厳天皇となります。
先行して8月9日改元も行われて元弘元年となっています。
後醍醐天皇の側はこの時は持ちこたえることができませんでした。
笠置山はあっけなく陥落し、後醍醐天皇はやむなく三種の神器を光厳天皇に譲り、翌年3月後醍醐上皇は隠岐に流罪になりました。
日野資朝・俊基も処刑されます。
光厳天皇は3月正式に即位、4月にはまた改元が行われ正慶元年となります。
しかし上皇側はこれで引き下がりはしませんでした。
その年の秋、楠木正成らが再度挙兵すると、翌正慶2年(1333)閏2月24日上皇は隠岐島を脱出します。
これに対して幕府は足利尊氏らを鎌倉から討伐に向かわせます。
このとき、幕府は尊氏が寝返るかも知れないという情報があったため、尊氏の子千寿丸を人質に取るのですが、尊氏は家族の命より時代の流れを優先しました。
もう鎌倉幕府の命数は尽きていると考えていた尊氏は後醍醐天皇側に寝返って、光厳天皇を京都から追い出してしまいます。
こういった動きに、新田義貞も呼応して関東で挙兵しました。義貞は自力で幕府の手から脱出した千寿丸(後の足利義詮)と共に幕府軍と交戦、5月21日稲村ヶ崎から上陸して鎌倉に攻め入り市内で激しい戦闘を繰り広げます。
そして22日、もうかなわないと見た北条高時らは葛西ヶ谷まで逃れ、東勝寺で一族280名とともに自害して果てました。
高時は時宗の孫にあたります。
ここで6月4日後醍醐上皇は京都に戻り「自立登極」します。
こういうことをした天皇は他にいないのでこれがどういう意味を持つかは議論の多い所ですが、基本的には重祚になるものと思われます。
しかし通常の重祚ではなく2年前の退位を取り消したような形をとったようで、元号も元弘3年に戻してしまいました。
結果歴史から本来正式に即位したはずの光厳天皇は正式な天皇としての地位を消去されてしまいます。
そして翌年1月29日建武に改元。
これが建武の中興です。
しかし建武3年、後醍醐天皇の親政と貴族中心の政治運営に不満を持った武士たちは光厳天皇の弟の豊仁親王を新たに天皇に擁立(光明天皇)。
天皇は足利尊氏を征夷大将軍に任命。
ここで天皇家がふたつ並立するという前代未聞の事態になりました。
この「南北朝」の時代はこのあと60年も続きます。
なお、日野資朝らの日野家からは後に代々足利将軍の妻を出すようになります。
中でも日野富子は有名です。
また日野家の傍系から浄土真宗の開祖親鸞が出ています。
この家は藤原北家の分家の一つにあたります。
(日野俊基の家系がよく分かりません。日野資朝と必ずしも近い親戚ではないようです。)
また足利尊氏・新田義貞は清和源氏の末裔、北条氏は平家の一門です。
この時代の武将の中で一番目立った活躍をした楠木正成は庶民の出身で、当時流行していた「悪党」の一人でした。
彼は伊賀の忍者のルーツとも関わっています。
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