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5月18日 国際親善デー、ことばの日、頭髪の日(毎月)、米食の日(毎月)
花ノ名前 花ことば 誕生花として
サクラ草(オックスリップ)初恋・勝者の寛容
少年時代の希望・神秘な心
青春の歓びと悲しみ ○
セイヨウサンザシ 一度きりの恋 ×
バイカウツギ 気品・品格 ○
ユリノキ 見事な美しさ・幸福 ○
∞…∞ 5月18日・今日という日 ∞…∞
宇野あゆみ (1987) 声優
中村七之助 (二代目) (1983) 歌舞伎役者
杉山彩乃 (1983) 女優
島本理生 (1983) 作家
無法松 (1974) タレント、北京ゲンジ
宇川 徹 (1973) バイクライダー
カズ・ハヤシ (1973) プロレス
信田美帆 (1972) 元T&Cボンバー、体操
谷口信輝 (1971) レーシングドライバー
槙原敬之 (1969) シンガーソングライター
飯田哲也 (1968) 野球
ハコ (箱崎 昇) (1965) 元SALLY、Sax.
ジミー・ウィリアムズ (1965) 野球
望月 聡 (1964) サッカー
成田 剣 (1964) 声優
飯島真理 (1963) 歌手、タレント
尾崎直道 (1956) ゴルフ
チョウ・ユンファ (1955) 俳優
大友龍三郎 (1952) 声優
カルメン・マキ (1951) 歌手
東尾 修 (1950) 野球
井上コオ (1949) 漫画家
弘田澄男 (1949) 野球
寺尾 聰 (1947) 歌手、俳優
日高てん (1946) タレント、チャーリーカンパニー
姿三千子 (1945) 女優
ジミー・スヌーカ (1945) プロレス
土屋嘉男 (1927) 俳優
ヨハネ・パウロ2世 (1920) ローマ法王
ペリー・コモ (1912) 歌手
北沢 彪 (1911) 俳優
フランク・キャプラ (1897) 映画監督
吉田鉄郎 (1894) 建築家
桜間弓川 (1889) 能楽師
ヴァルター・グロピウス (1883) 建築家
バートランド・ラッセル (1872) 哲学者
ニコライ2世 (1868) ロシア皇帝
行観 (1241) 僧侶
近衛天皇 (1139) 天皇
令子内親王 (1078) 皇族
○ バスコ・ダ・ガマ、インドを発見(1498)
○ 豊臣秀吉が長崎からキリシタンを追放(1588)
○ 英が仏に宣戦布告し、7年戦争始まる(1756)
○ ナポレオンが皇帝になる(1804)
○ 函館五稜郭で榎本武揚が無条件降伏、戊辰戦争が終結(1869)
○ オランダのハーグで第1回平和会議、開催(1899)
○ 料理店の元女中の阿部定が、荒川区尾久町の待合で情夫の料理屋主人石田吉蔵(42)を殺害して局部を切り取る(阿部定事件)(1936)
○ ファイティング原田、2階級制覇(1965)
○ 国籍・戸籍法改正案成立(1984)
国際親善デー
1899年(明治32年)のこの日、オランダのハーグで第1回平和会議が26カ国の参加により開催され、国際紛争平和的処理条約が結ばれた。
これを記念して設けられ、日本では1931年(昭和6年)から行われている。
18リットル缶の日
18リットル缶(通称・石油缶、一斗缶)は、従来5ガロン缶と呼ばれていたが、18リットル缶に名称が統一された。
そこで5ガロンの5と、18リットルの18から5月18日が全国十八リットル缶工業組合連合会により記念日として制定された。
ことばの日
5月(こ)18日(とば)の語呂合せから生まれた記念日で、ことばを正しく使うように心掛ける日。
ラス・ビエドラスの戦いの日(ウルグアイ)
で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ
ナポレオン皇帝就任(1804)
ナポレオンはフランス革命(1789)が起きたとき、ジャコバン党に参加。
急進的な改革を支持していました。
そのため1794年のテルミドールの反動でロベスピエールが処刑されジャコバン派が失墜すると彼も投獄されますが、この時期に獄中でジョセフィーヌと知り合い、やがて結婚することになります。
(この時期二人とも獄中にあったようなのですが時期が一致しているのか少しずれているのかはよく分かりません。投獄されたジョセフィーヌをまだ自由の身であったナポレオンが取り調べたのが縁だという説や二人は双方出獄後舞踏会で出会ったという説などを聞きますが、だいたい1794〜1795年頃のことではあるようです)
革命軍に復帰して1796〜1797年のイタリア遠征を指揮、1798年はエジプト遠征でロゼッタ石を発見しますが軍役的には失敗。
しかし国内の動乱を聞いて急遽帰国、混乱して機能不全に陥っていた総裁政府を倒し3人の統領からなる統領政府を樹立(ブリュメールの反動)。
一般にはこれでフランス革命は終結したとされます。
彼はこの軍事政府の第一統領として政治を執り、各種の改革を断行すると共に庶民を混乱に陥れていた革命暦の廃止、カトリックの復興などの穏健な政策を施行、国民の間に強い人気を得ました。
1802年にはその人気を背景に終身統領に就任。
この時明確に反対したのはジョセフィーヌくらいだったといいます。
そして更に1804年5月18日皇帝になってしまいました。
この戴冠式を執り行ったのはローマ教皇ピウス7世。
彼は「サクレ・ナポレオン」と言って宝冠をナポレオンの頭にかぶせようとしたといいますが、ナポレオンはそれを制して自ら冠をとって自分の頭に乗せ、それを更に皇后となったジョセフィーヌにもかぶせました。
彼らしいエピソードです。
なおフランス語のジョークとして言われることですがこの「サクレ」というのは本来「神聖なる」という意味なのですが俗語で「こんちくしょう!!」という意味もあります。
ナポレオンにとってはこの時期が一番良かったのでしょう。
ナポレオンの戴冠の知らせを聞いたベートーヴェンは彼のために作曲していた交響曲「英雄」の表紙を破り捨てました。
翌年ナポレオンはイギリスに侵略しようと軍を進めますが、ジブラルタル海峡沖のトラファルガーの海戦でイギリス提督ネルソンの自らも死亡するほどの激しい抵抗にあって初めて敗退。
次第にナポレオンの運気は陰っていくのです。
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