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5月16日 旅の日(日本旅のペンクラブ1988)

花ノ名前      花ことば            誕生花として
アリウム      無限の悲しみ           ○
コウリンタンポポ  眼力・目ざとい          ×
ノカンゾウ     宣告・憂いを忘れる        ○
ヤマブキ      気品・待ちかねる・崇高      ○

∞…∞ 5月16日・今日という日 ∞…∞

紺野紘矢   (1990)  タレント
餐場詩野   (1988)  タレント
佐野はな   (1986)  12.ヒトエ、Vo.&コーラス
酒井彩名   (1985)  タレント
大倉忠義   (1985)  タレント、関ジャニ∞
浜丘麻矢   (1983)  女優
愛川ゆず季   (1983)  タレント
葵 若菜   (1981)  女優
野口祥順   (1981)  野球
木谷 雅   (1979)  sacra、Vo. G.
松本康太   (1979)  タレント、レギュラー
今井麻美   (1977)  声優
田代真一   (1977)  Bivattchee、Dr.
遠山景織子   (1975)  女優、タレント
ジェロッド・リガン   (1974)  野球
藤田 晋   (1973)  サイバーエージェント社長
宝来城多郎   (1972)  競馬騎手
小林正寛   (1971)  俳優
ガブリエラ・サバティーニ   (1970)  テニス
唐渡 亮   (1969)  俳優
下柳 剛   (1968)  野球
ジャネット・ジャクソン   (1966)  歌手
関谷亜矢子   (1964)  アナウンサー
中尾玲子   (1963)  漫画家
山崎銀之丞   (1962)  俳優
日比野玲   (1961)  タレント
谷松浩之   (1960)  野球
阿智波悟美   (1959)  女優
武沢 豊   (1958)  安全地帯、G.
逢坂みえこ   (1957)  漫画家
ピアース・ブロスナン   (1953)  俳優
北の湖敏満   (1953)  相撲
テント   (1951)  タレント
石塚運昇   (1951)  声優
荒川強啓   (1946)  アナウンサー
湯川英一   (1943)  セガ元専務
佐々木功   (1942)  歌手、声優
わたなべまさこ   (1929)  漫画家
吉岡吉典   (1928)  政治家
池宮彰一郎   (1923)  脚本家、作家
ヘンリー・フォンダ   (1905)  俳優
溝口健二   (1898)  映画監督

 ○ 朝廷、武蔵国(現在の埼玉県)に高麗郡をおく(716)
 ○ 松尾芭蕉が「奥の細道」へ旅立つ(旧暦では3月27日)(1689)
 ○ ロシアに対する海防を説いた『海国兵談』が発禁となり、著者・林子平が禁錮に処される(1792)
 ○ 東京・京都・奈良に帝国博物館設置(1889)
 ○ ハリウッドで第一回アカデミー賞授賞式開催(1929)
 ○ 日本、WHOに加盟(1949)
 ○ 中国で文化大革命、起こる(1966)
 ○ 午前9時49分、十勝沖地震発生。死者・不明者52人、全壊家屋673戸(1968)
 ○ 公衆電話が3分打ち切りに(1969)
 ○ 田部井淳子ら日本の女性登山隊が初のエベレスト登頂に成功(1975)
 ○ フジテレビ「オレたちひょうきん族」の放送開始。「ひょうきん」が流行語に(1982)
 ○ オウム真理教教祖・麻原彰晃逮捕(1995)

ネポムクの聖ヤン・ヨハネの祝祭日
自己判断の守護聖人。ボヘミア・チェコ・スロバキアの守護聖人。

旅の日
松尾芭蕉が「奥の細道」に旅立った日が1689年3月27日であり、この日が太陽暦で5月16日にあたることにちなんで、1988年(昭和63年)に日本旅のペンクラブが制定。
ともすれば忘れがちな旅の心を、そして旅とは何かという思索を込めて問いかける日。

性交禁忌の日
江戸時代、この夜は特に性交禁忌の日とされました。
禁忌を破ると3年以内に死ぬとまで言われていました。

透谷忌
詩人・北村透谷の1894(明治27)年の忌日。


で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ


旅の日(5.16)
5月16日は「旅の日」です。これは1988年に日本旅のペンクラブが制定したもので、松尾芭蕉の「奥の細道」への旅立ちを記念するものです。

「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」と言って松尾芭蕉が江戸を出発したのは元禄2年(1689)の3月27日でした。
この日を新暦に換算しますとこの年は閏1月があったために2ヶ月もずれこんで5月16日になります。
これを採用した訳です。

奥の細道の行程は江戸から奥州街道を北上、日光に寄ったあと那須・白河・二本松などを通って松島に出ます。
「松島や、ああ松島や、松島や」

それから平泉まで北上して「夏草や、つわもの共が、夢の跡」とよんだあと裏日本へ回りますが、その途中寄り道して霊山・立石寺に寄ります。
「閑かさや、岩にしみいる、蝉の声」。

出羽三山を経由して酒田に出たあといったん象潟まで北上、そこから南進に転じます。
越後では「荒海や佐渡に横たふ天の川」。
越中では「一つ家に遊女も寝たり萩と月」。
加賀では「無惨やな、甲の下の、きりぎりす」。
そして福井では永平寺に寄り、敦賀から種の浜まで行き、琵琶湖の東側大垣に到着します。
最後の句は「蛤のふたみに分かれ行く秋ぞ」。

「奥の細道」が完成した年に芭蕉が亡くなっているので、時々、この「奥の細道」の旅の途中で芭蕉は亡くなったと思っている人がありますが、「奥の細道」の旅はきちんと目的地の大垣までたどりつき、芭蕉は江戸に戻って「幻住庵記」や「猿蓑」を書いています。
「奥の細道」はこの東北・北陸の旅のあと5年がかりで旅を再構成して作られたものらしいのです。

つまり「奥の細道」はあくまでフィクションであり、実際の旅をベースにしているとはいえ、それは取材旅行のようなものであって、この作品の中には多くの虚構が含まれているそうです。
このことは曽良の随行日記と比較していくと明らかになるそうです。
恐らく芭蕉は旅をしながら多くの記録を取り、それを素材にして文学作品としての旅を作り上げたのでしょう。

例えば初日の宿について「奥の細道」は「早加といふ宿にたどり着きにけり」と草加煎餅で有名な草加の宿に泊まったようになっていますが、曽良日記では「廿七日夜、カスカベに泊る」とあり、草加より先の春日部までたどりついていることが分かります。
それから「奥の細道」では日光についたのが3月30日で翌4月1日に日光に参拝したと書かれていますが、この年の3月は小の月で29日までしかなく、曽良日記では4月1日に到着してその日に参拝したことになっています。
一泊して次の日朝から行ったことにしたかったため架空の3月30日を作ってしまったのでしょう。
中でも最も有名な相違は越中市振の「一つ家に遊女も寝たり萩と月」でしょうか。

親不知子不知の難所を過ぎて、この小さな町に一泊した芭蕉は同じ宿に新潟の遊女が泊まっているのに気づきます。
遊女とも言葉を交わしますが、出家の身と遊女の取合せを萩と月の取合せと対照させた、この旅のクライマックスで、芭蕉は「曽良に語れば書き留めたる」と言うのですが、曽良日記には市振の遊女の話は全く出てきません。
感動してそれを曽良にも書かせたということにして話を盛り上げている訳だそうです。


江戸時代、この夜は特に性交禁忌の日とされました。
禁忌を破ると3年以内に死ぬとまで言われていました。

この日の起源は平安時代に書かれた日本最古の医学書と言わわれています。
明治時代まで日本の医学界に影響をあたえた丹波康頼による「医心方」(いしんほう又はいしんぽう)を由来とするとのことです。
江戸時代は「この日の夜に性交はしてはならぬ」とされ、当時、発売された艶本「艶話枕筥(つやばなしまくらばこ)」には“禁を破ると3年以内に死ぬ”とあります。
実際のところ、何故この日になったのかは定かでないようです。

陰陽道の考え方で禁忌の対象になる日の種類に往亡日、厭日、坎日、道虚日、衰日などがあり、そのうちの往亡日(おうもうにち)はウィキペディアによりますと

「往(ゆ)きて亡ぶ日」の意味であり、昔はこの日に軍を進めることや遠行が忌まれた。

また、拝官・移転・婚礼などが凶となる。
とあり、月に一度の往亡日で5月は16日になっています。

これが性交禁忌の日に5/16が選ばれた背景ではないかと考えられます。

なぜ5月なのか、までは詰め切れず、完全な回答でなくて申し訳ありませんが、今の所ここまで分りました。


なお、丹波康頼(たんばのやすのり)は平安中期に活躍した人物で、陰陽道で有名な安倍晴明や雅楽の源博雅達と同時代の人だそうです。
大陸からの帰化人の末裔で、先祖は後漢の霊帝と言われ、日本における針灸などの東洋医学の祖とされています。

俳優の丹波哲郎氏は彼の子孫のようです。

参考
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/d/20050516






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