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5月 2日 郵便貯金の日(郵政省)、エンピツ記念日、交通広告の日(1993)、
緑茶の日(日本茶業中央会)
花ノ名前 花ことば 誕生花として
キンポウゲ 楽しみ到来・子供らしさ
到来する幸福・無邪気・上機嫌 ○
デルフィニウム(青)高貴・尊人 ×
フクシア 交友・激しい心・好みの良さ
上品な趣味・恋の予感 ○
ライラック 愛の芽生え・愛の最初の感情・青春の喜び
若き日の思い出・初恋の感動・無邪気・若さ・友情 ○
∞…∞ 5月 2日・今日という日 ∞…∞
内山眞人 (1986) 俳優
サラ・ヒューズ (1985) フィギュアスケート
榎本哲也 (1983) サッカー
佐藤利奈 (1981) 声優
斉藤舞子 (1981) アナウンサー
上重 聡 (1980) アナウンサー
押谷芽衣 (1980) 声優
城山美帆 (1980) 女優
源 純夏 (1979) 水泳
米林大輔 (1979) セカハン
デビッド・ベッカム (1975) サッカー
野村祐人 (1972) 俳優
The Rock (1972) プロレス
岩本輝雄 (1972) サッカー
堀込泰行 (1972) キリンジ
武蔵丸光洋 (1971) 相撲
佐藤直紀 (1970) 作曲家
緑川 光 (1968) 声優
笛吹雅子 (1968) アナウンサー
西川 哲 (1968) ゴルフ
菊田洋之 (1968) 漫画家
大川緋芭 (1967) 漫画家、CLAMP
本田恭章 (1965) タレント
河合克敏 (1964) 漫画家 「帯をギュッとね!」「モンキーターン」
ジョン・ボンジョヴィ (1962) 歌手
関口誠人 (1961) 歌手、元C-C-B
小島健二 (1960) Dual Dream、Vo.
堀川まゆみ (1958) 作曲家、歌手
秋元 康 (1956) プロデューサー
新田一郎 (1954) 音楽プロデューサー
ヴァレリー・ゲルギエフ (1953) 指揮者
夏木マリ (1952) 女優
藤本房子 (1950) 歌手
ズデンコ・ベルデニック (1949) サッカー
鮎川 誠 (1948) 歌手、シーナ&ザ・ロケッツ
なべおさみ (1939) タレント
大倉舜二 (1937) 写真家
内田祥哉 (1925) 建築家
久慈あさみ (1922) 女優、歌手
ビング・クロスビー (1904) 歌手
下川凹天 (1892) 漫画家
下田菊太郎 (1866) 建築家
エカテリーナ2世 (1729) ロシア女帝
近衛信尋 (1599) 公卿
○ 朝廷、諸国に「風土記」の撰上を命じる(713)
○ 江戸市中に堕胎業禁令が発令される(1667)
○ 東京と横浜で郵便貯金業務開始(1875)
○ 尾崎紅葉が『我楽多文庫』を創刊(1885)
○ 東京・新宿で鉛筆の工場生産開始(1886)
○ 医師法公布。医師が開業許可制から免許制に(1906)
○ 日本最初のメーデー。上野公園で1万人余参加。治安警察法第17条撤廃・失業防止・最低賃金法制定を決議(1920)
○ ソ連軍がベルリンを占拠する(1945)
○ サマータイム実施(しかし日本の生活習慣には適合せず4年後に廃止)(1948)
○ 長崎切手展で日本人青年が中国国旗を引き下ろす。その後の警察の処置などが問題となり、10日、貿易中絶(1958)
○ バートランド・ラッセル主唱の「ベトナム戦犯裁判」がストックホルムで開かれる(1967)
○ hide(元X JAPAN)、死去。33歳(1998)
鉛筆記念日
1886年(明治19年)のこの日、眞崎仁六氏が眞崎鉛筆製造所(東京・四谷区内藤新宿1番地)を創立し国産初の鉛筆を製造した。
現在の三菱鉛筆にあたる。
歯科医師記念日
1957年(昭和32年)5月に日本歯科医師会が制定。
1904年(明治37年)10月に歯科医師法草案がまとめられ、1906年(明治39年)3月に医師法と同時に貴族院で可決成立、5月2日に公布となった。
日本歯科医師会では、この日を歯科医師記念日と定めた
郵便貯金創業記念日
1875年(明治8年)の5月2日、東京と横浜の2ヵ所に貯金預かり所を設けたのが、日本の郵便貯金制度の始まり。
そこで1950年(昭和25年)にこの日を郵便貯金の創業記念日と制定した。
緑茶の日
日本茶業中央会が毎年八十八夜の日を緑茶の日と制定している。
古くから仙薬と称されるほど八十八夜の新茶は栄養価が高いという。
交通広告の日
1993年(平成5年)に関東交通広告協議会が「5」「2」を「こう」「つう」と語呂合せして制定。交通広告とは電車・バス・駅などに貼られるポスターなどの広告のこと。
で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ
郵便貯金の日(5.2)
5月2日は郵便貯金の日です。
これは1875年のこの日、郵便貯金の業務が開始されたことを記念するものです。
それ以来、郵便貯金は庶民が小銭を気軽に預け入れられる金融機関として人気を保ってきましたが、現在はひとつの曲がり角に来ているといってもよいでしょう。
現在の貯金残高は240兆円で、これは大手民間銀行の預金残高の10倍程度の規模。
もし今このまま民営化されたら、突如として超巨大な銀行が出現することになります。
八十八夜(5.2頃)
今年(2001年)は5月2日が八十八夜(はちじゅうはちや)です。
実は1985年から2020年までは立春がずっと2月4日なので、それまではずっと5月2日(閏年を除く)が八十八夜になります。
すなはち、八十八夜(はちじゅうはちや)は、雑節のひとつで、立春を起算日(第1日目)として88日目、つまり、立春の87日後の日である。
21世紀初頭の現在は平年なら5月2日、閏年なら5月1日である。
数十年以上のスパンでは、立春の変動により5月3日の年もある。
八十八夜というのは立春から数えて八十八日たったということで、文部省唱歌にも歌われていますように茶摘みのシーズンとなります。
もっとも現代では実際には茶摘みは早いものは4月の頭ころからもう摘んでいます。
八十八夜はまた突然遅霜が来たりする季節でもあります。
もう随分あたたかくなってきているので油断していると遅霜にやられます。
農業というものは自然に対してひとときも気を抜くことができません。(むろん北海道では5月半ばまで雪が降りますが)
鉛筆記念日(5.2)
1887年5月2日、眞崎仁六(まさきにろく)が東京四谷区に「眞崎鉛筆製造所」(現・三菱鉛筆)を作り、日本で初めての鉛筆工場生産を始めました。
鉛筆が発明されたのは16世紀の半ば頃で、イギリスのボロウデール鉱山で良質の黒鉛が発見されて、これを棒状に削り、2枚の板で挟んで筆記具にすることが考案されたものです。
その後、黒鉛の粉末を硫黄と混ぜて固めたもの、粘土と混ぜて固めた物などが考案されていきます。
現在はこの粘土を使う方法が、一般的となっています。
鉛筆は当時から日本にももたらされており、徳川家康が所持していた鉛筆なども残されていますが、なんといっても盛んに使用されるようになったのは生活が洋式化した明治以降です。
眞崎は1878年のパリの博覧会を訪れた時に現地で鉛筆を見かけ、これを自分でも作ってみたいと研究を重ねて、1887年の開業に辿り着きました。
この眞崎鉛筆は後に大和鉛筆という会社と合併して眞崎大和鉛筆となり、1903年から三菱マークを使用し始めました。
このマークの由来は最初に逓信省に採用された鉛筆が、硬中軟の三種類の鉛筆であったことと、眞崎の家紋が三鱗
であったことに由来すると言われています。
1952年に社名も三菱鉛筆に改称しています。
なお海外では偶然にも似たマークを使うことになった三菱財閥との混同を嫌ってUNIのブランドをメインに使用しているようです。
(三菱財閥の方は創業者岩崎弥太郎の家紋・三階菱に由来するそうです。両者は全く関係ありません。日清食品と日清製粉が無関係なのと同様)
その海外でメインに使っているブランドUNIが付いた鉛筆というのは、私などが子供の頃は高級品というイメージが強いものでした。
ユニを持っている子はけっこう自慢げでした。
しかし今ではその下のランクの鉛筆が消えてしまい、ユニとハイユニというラインナップになっているようです。
現代ではシャープペンシルに押されて活躍の場が少なくなった鉛筆ですが、脳をα状態にしていろいろ発想を練っている時などは鉛筆のほうが心に優しい感覚がすることもあります。
絵を描く人でデッサンに鉛筆(系の筆記具)を使う人が多いのも、そのあたりかも知れないという気もします。
アメリカは、宇宙飛行士を最初に宇宙に送り込んだ時、無重力状態ではボールペンでは筆記できないことを発見しました。
これではボールペンを持って行っても役に立たない。
NASAの科学者たちはこの問題に立ち向かうべく10年の歳月と120億ドルの開発費をかけて研究を重ねました。
そしてついに、無重力でも上下逆にしても水の中でも氷点下でも摂氏300度でも、どんな状況下でもどんな表面に
でも書けるボールペンを開発しました。
一方ロシアは鉛筆を使ったそうです
博多どんたく(5.2-4)
福岡市では5月3〜4日、恒例の「博多どんたく」が行われます。(2日は前夜祭)
「博多」とは福岡市の那珂川より東側の地区で、城下町・福岡と商人の町・博多が合併して、現在の福岡市ができています。
JRの博多駅はちゃんと旧博多地区にありますし、西鉄の福岡駅はちゃんと旧福岡地区にあります。
博多のもうひとつの大きな祭り、7月の山笠はほんとうに博多地区中心の祭ですが、この「博多どんたく」は博多・福岡にまたがる市民的な祭になっています。
そもそもが、博多の商人が名島(福岡に移転する前にお城があったところ)城主のところに挨拶に行ったのが、このどんたくの始まりであるといわれています。
「どんたく」はオランダ語の「ゾンタク」が訛ったもので「休日」という意味。
この連休中のお祭りにはぴったりの名前です。
山笠の場合は、旧博多地区の名士たちが中心になって、組織的にお祭りが実行されますが、このどんたくの場合は、まさに「休み」という名称にふさわしく、全く非組織的、みんな勝手にバラバラに市内のあちこちで騒ぐ、という性格の強いお祭りです。
市内のあちこちに会場が設営され、みんなどんどんステージに上がって、歌いたい人は歌い、踊りたい人は踊り、ニワカ(博多の伝統のお笑い芸能で、一種の軽口であるが、基本的に下ネタが多い。)をやりたい人はやり、そう
いう、てきとーな、気取らないお祭りになっています。
最終日の踊りの行列には、沿道の人たちもどんどん飛び入りで参加して、みんなで踊りまくります。
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