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4月24日 植物学の日、日本ダービー記念日
花ノ名前 花ことば 誕生花として
オレンジ 花嫁の心・寛大・気前のよさ
純潔・花嫁の喜び・清純・豊富 ○
ゼラニウム 決心、君ありて幸福、真実の愛情 ○
ハルシャギク 上機嫌・陽気・常に快活・清い心・愉快 ×
ムレスズメ 集い ○
∞…∞ 4月24日・今日という日 ∞…∞
アユム (2000) チンパンジー
浅野優梨愛 (1994) タレント
森下翔梧 (1994) タレント
中丸静香 (1987) 12.ヒトエ、Key. コーラス
名塚佳織 (1985) 声優
山本 梓 (1981) タレント、女優
田中マルクス闘莉王 (1981) サッカー
中西悠子 (1981) 水泳
小林 恵 (1977) 女優
東まゆみ (?) 漫画家 「EREMENTAR GERAD」
村田善則 (1974) 野球
カルロス・ミラバル (1973) 野球
戎 信行 (1972) 野球
村上てつや (1971) ゴスペラーズ
大竹 真 (1971) レポーター
田中広子 (1971) 女優
矢間敬規 (1971) LL BROTHERS
風上 旬 (1970) イラストレーター、漫画家
永田裕志 (1968) プロレス
大鶴義丹 (1968) 俳優
田島貴男 (1966) ORIGINAL LOVE、Vo.
三宅乱丈 (1966) 漫画家
古賀いずみ (1965) カズン、Vo.
岸川勝也 (1965) 野球
山本シュウ (1964) ラジオパーソナリティー
コージィ・城倉 (1963) 漫画家 「砂漠の甲子園」
山咲千里 (1962) 女優、タレント
堀 敏彦 (1962) アナウンサー
水穂しゅうし (1962) 漫画家 「はいすくーる仁義」
戸塚哲也 (1961) サッカー
菊池正美 (1960) 声優
蓬莱昭彦 (1957) 野球
加藤 久 (1956) サッカー
堀尾正明 (1955) アナウンサー
嶋田久作 (1955) 俳優
金 萬福 (1954) 料理人
ジャン・ポール・ゴルティエ (1952) ファッションデザイナー
阿部知子 (1948) 政治家、医師
国吉良一 (1948) 作曲家
つかこうへい (1948) 劇作家
星野富弘 (1946) 詩人、画家
今井淳子 (1945) 建築家
中村祐造 (1942) バレーボール
バーブラ・ストライサンド (1942) 女優、歌手
須田一政 (1940) 写真家
シャーリー・マクレーン (1933) 女優
服部公一 (1933) 作曲家
桂 由美 (1932) ファッションデザイナー
神代辰巳 (1927) 映画監督
ルー・テーズ (1916) プロレス
吉岡たすく (1915) 児童文化研究家
松本 清 (1909) マツモトキヨシ創業者、元松戸市市長
灰田有紀彦 (1909) 作曲家
船田 中 (1895) 政治家
牧野富太郎 (1863) 植物学者
ジェームズ・ブキャナン (1791) アメリカ大統領
エドムンド・カートライト (1743) 発明家
○ イギリス人の三浦按針(ウィリアム・アダムス)平戸にて没。57歳(1620)
○ 青森−函館間に電話か開通し、本州と北海道の間の電話が可能となる(1926)
○ 第一回日本ダービー(当時の名で東京優駿大競争)、東京目黒競馬場で開催。優勝は一番人気のワカタカ(1932)
○ 婦人警官のはしりの保護婦が初登場(1932)
○ 生活必需品(米、味噌、塩、砂糖など10品目)の切符制決定 (1940)
○ 中国共産党軍が南京に入城(1949)
○ 横浜の国電桜木町駅で京浜東北線の電車が発火し2両が焼失する。乗客は電車内にとじ込められ、106名が死亡(桜木町事件)(1951)
○ 「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)発足、初のデモ行進(1965)
○ 中国が人工衛星の打ち上げに初めて成功(1970)
○ 日劇ダンシングチーム、最終公演(1977)
日本ダービー記念日
1932年(昭和7年)に目黒競馬場で日本初のダービー(東京優駿競争)が開催されたことを記念して。
函館孫作騎手が乗る「ワカタカ」が優勝した。
ダービーはもともと、第12代ダービー卿がはじめた4歳馬ナンバーワンを決めるレースで、現在は「ダービー」と名のつくレースが世界各地で開催される。
植物学の日
1862(文久2)年、植物分類学者の牧野富太郎が高知県佐川町の豪商の家に生まれました。
94歳でこの世を去るまでの生涯を植物研究に費やして、新種・変種約2500種を発見・命名し、「植物学の父」と呼ばれました。
寒の戻りの特異日
寒の戻りが起こる確率の高い日。
寒の戻りとは、春になって気温が上がる時期に突然やって来る寒さのことで、大陸からの寒波、北東気流による冷え込み、移動性高気圧による夜間の冷え込み等によって起こります。
秘書の日
1952年(昭和27年)、全米秘書協会の呼びかけで、連邦政府商務長官が設けた。
で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ
紀伊国屋文左衛門(1669-1734)
享保19年(1734)4月24日、紀伊国屋文左衛門が亡くなりました。
一代で大きな富を成したものの一代でその富を使い果たしてしまい、晩年は苦しい生活であったとも伝えられます。
しかし別の説では子孫に美田を残さずの精神で一代で財を使い尽くしたのだとも言われます。
「紀伊国屋」の名の通り、文左衛門の生まれは紀州であったようです。
寛文9年(1669)の生まれですので三井高利(1622-1694)より1〜2世代後の商人ということになります。
みかんを船で江戸に運んで大儲けしたとか、火事で江戸が焼け野原になった時に大量に材木を売りさばいて巨富を得たとも言われていますが伝説化している部分が多く、どこまで信頼していいかよく分からない部分もあります。
綱吉の側近・柳沢吉保と親密であったとも言われますが、別の説では同様に紀州から出てきて将軍になった徳川吉宗と懇意であったとも聞いたことがあります。
とにかくも大財閥の礎を築いてもおかしくないくらいの利益を得たのにそれを全部自分の代で使い切った剛気な人の姿がそこには見えますね。
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