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4月23日 復活祭、サン・ジョルディの日(日本書店組合連合会等1986)、
     緑の週間(4/23〜4/29)、ふみの日(毎月)

花ノ名前      花ことば            誕生花として
キキョウ(フロックス)やさしい愛情・誠実・変わらぬ愛
          従順・優しい温かさ        ○
ニワゼキショウ   繁栄・豊かな感情・豊富      ○
ハナミズキ     私の想いを受けてください・返礼  ○
カンパニュラ(フウリンソウ・ツリガネ草ベルフラワー)
         感謝・大望・抱負・不変・貞節・誠実
         思いを告げる・後悔・うるさい    ×

∞…∞ 4月23日・今日という日 ∞…∞

竹輪春奈   (1991)  SweetS
岩井七世   (1989)  タレント、モデル
MARI (下村真理)   (1984)  タレント
加藤明日美   (1983)  タレント
黒田勇樹   (1982)  俳優
久遠さやか   (1980)  女優
福島鉄平   (1979)  漫画家
李 榮杓 (イ・ヨンピョ)   (1977)  サッカー
森山直太朗   (1976)  シンガーソングライター
IZAM   (1976)  SHAZNA、Vo.
天沼知恵子   (1975)  ゴルフ
河田直也   (1974)  アナウンサー
設楽 統   (1973)  タレント、バナナマン
中村 豊   (1973)  野球
阿部サダヲ   (1970)  俳優
紅 夜叉   (1970)  プロレス
黒崎彩子   (1965)  声優
前田亘輝   (1965)  TUBE、Vo.
河田貴一   (1964)  タレント、BOOMER
テリー・ゴディ   (1961)  プロレス
溝口 肇   (1960)  チェリスト
香瑠鼓   (1957)   振付師
川井憲次   (1957)  作曲家
ピーター・テラベイネン   (1956)  ゴルフ
叶和貴子   (1956)  女優
平野 文   (1955)  声優
日蔭温子   (1954)  ゴルフ
マイケル・ムーア   (1954)  映画監督、ジャーナリスト
国広富之   (1953)  俳優
河島英五   (1952)  歌手
冠 二郎   (1949)  歌手
大月みやこ   (1946)  歌手
大出一博   (1942)  ファッションプロデューサー
望月あきら   (1937)  漫画家 「サインはV!」
園山俊二   (1935)  漫画家 「はじめ人間ギャートルズ」
円谷 一   (1931)  映画監督、映画プロデューサー
川上宗薫   (1924)  作家
野村芳太郎   (1919)  映画監督
ウラジミール・ナボコフ   (1899)  作家
上村松園   (1875)  日本画家
野口孫市   (1869)  建築家
ウィリアム・シェークスピア   (1564)  作家
伏見天皇   (1265)  天皇

 ○ 足利尊氏、五山十刹の制を定める(1342)
 ○ シェークスピア没。52歳(1616)
 ○ 井伊直弼、大老に就任(1858)
 ○ わが国、初の外債を募集(1870)
 ○ 独・仏・露3国が日本政府に対し遼東半島の清国への返還を勧告(三国交渉)(1895)
 ○ 前日の八王子大火の報道に、東京朝日新聞が初めて伝書鳩を使って記事を送る(1897)
 ○ 森永太一郎が、キャラメルを箱詰めにして売出す。盛りそばが1杯3銭のときに10銭(1914)
 ○ GHQが1ドル360円の単一レートを指令(1949)
 ○ 日本学術会議が原子兵器の研究拒否を声明(1954)
 ○ 静岡県に富士サファリパークが開園(1980)

上巳の節句(旧暦)
旧暦の三月三日。桃の節句、ひな祭りとも言われる。
新暦で祝われる地域が増えてきているが、旧暦日で祝う地域も多い。
(注意 この月は閏月であるため、実際には行事が行われない可能性が高い)

慶應義塾大学創立記念日
1868年(明治元年)のこの日、東京・築地にあった福沢諭吉の塾を、芝の新銭座に移し、「慶応義塾」と命名した。

国際マルコーニデー
世界で初めて無線による通信を行なったイタリアの電気技師グリエルモ・マルコーニを記念する日。
1909年(明治42年)にノーベル賞を受賞。

サンジョルディの日,世界本の日
日本書店組合連合会、日本カタロニア友好親善協会等が1986(昭和61)年に制定。
スペイン・カタロニア地方には、この日、守護聖人サン・ジョルディを祭り、女性は男性に本を、男性は女性に赤いバラを贈る風習があります。
この日は「ドン・キホーテ」の作者セルバンテスの命日でもあるため、スペインでは「本の日」とされています。
日本でもこの風習を定着させようと制定されました。

世界図書・著作権デー
国際デーの一つ。(World Book and Copyright Day)

こども読書の日
2001(平成13)年12月に制定。文部科学省が実施。
こどもの読書活動についての関心と理解を深め、こどもが積極的に読書活動を行う意慾を高めることを目的としています。

地ビールの日
日本地ビール協会を中心とする「地ビールの日選考委員会」が1999(平成11)年に制定、2000(平成12)年から実施。
日附は公募により選定されました。
1516年、バイエルン国王ウィルヘルム4世が発布した「ビール純粋令」により、水、ホップ、大麦・小麦の麦芽、酵母だけがビールの醸造に使用できることとなって、「ビールとは何か」が世界で初めて明確に定義されました。
また、この日はドイツの「ビールの日」にもなっています。

独立記念日,子供の日(トルコ)


サンジョルディの日(4.23) ,世界本の日
日本書店組合連合会、日本カタロニア友好親善協会等が1986(昭和61)年に制定。

サンジョルディの日というのは本屋さんがキャンペーンをしていたもので「本を贈る日」です。

スペイン・カタロニア地方には、この日、守護聖人サン・ジョルディを祭り、女性は男性に本を、男性は女性に赤いバラを贈る風習があります。
この日は「ドン・キホーテ」の作者セルバンテスの命日でもあるため、スペインでは「本の日」とされています。
日本でもこの風習を定着させようと制定されました。

サン・ジョルディこと聖ゲオルギウスは303年4月23日に殉教した騎士です。(4月24日を祝日とする説もある)彼の物語を少し見てみます。

リビアのシレナの町の近くの湖に悪いドラゴンが住んでいた。
人々をドラゴンをなだめるために最初は羊を毎日2頭捧げていたが、そのうち羊が少なくなってしまったので羊1頭と若い人間を捧げるようになった。
そのため若い男女が少なくなり、ある日王は自分の姫を捧げることになってしまった。

王は8日間嘆き悲しんでから姫を湖のほとりにおいて戻ってきた。
たまたまそこを通りかかったゲオルギウスはドラゴン退治に乗り出すことにした。
彼は湖のほとりで王女に立ち去るように言い戦い始めた。
しかしなかなか決着がつかない。
その時ゲオルギウスは王女に腰帯をドラゴンの頭に投げるように言った。
するとドラゴンがおとなしくなったので、それを町までひきずっていき、人々の前でドラゴンを殺した。

この騎士の行動を見て多くの人がキリスト教に帰依し、教会を建てた。
彼は王たちに4つのことを守るように言って町を後にした。
  ・教会をつねに敬うこと
  ・司祭を大切にすること
  ・ミサを厳かに行うこと
  ・貧しい者を絶えず思いやること

聖ゲオルギウス信仰はケルト文化の中で語り継がれて来たものです。
それがやがて十字軍の時に戦士たちの守護者として信仰されるようになり、イギリスやギリシャやカタロニヤなどで町の守護神として崇敬されるようになっていきます。
そしてカタロニヤではこの日に男性が女性に赤いバラを贈る習慣ができました。
これは赤が聖ゲオルギウスが退治した竜の血の色とされるからです。

このゲオルギウス祭が本のプレゼントと結びついたのは、フランコ独裁時代のカタロニヤでのことであるとされます。

この頃カタロニヤはスペイン語の使用を義務付けられ、それに反発する庶民がこの日に禁止されたカタロニヤ語の本を互いにプレゼントして、祖国への愛を誓ったものです。

カタロニヤの人たちにとっては聖ゲオルギウスの倒した竜がフランコであり、いつか独裁者を倒して自分たちの国の独立を夢見て危険なプレゼントを密かに行っていました。

そして1975年にフランコが死去するとスペインはファン・カルロス1世を迎えて王政復古。
これにともない1977年カタロニヤは自治権を獲得、これ以来、この聖ゲオルギウス祭はカタロニヤにとって重要な祝日となりました。

この聖ゲオルギウス祭を日本に紹介したのは占い師の竹村亜希子氏です。
彼女がカタロニヤで見かけた、その日人々が皆、町でプレゼントを交換しあう様子に感激し、またこの祭の由来に感動して、この祭の紹介をしたのですが、これに新東通信の谷喜久郎社長が関心を示し、出版業界と生花業界を巻き込んで「サン・ジョルディの日」のキャンペーンを行いました。
1986年のことです。

しかしこのキャンペーンの最初はかなりの関心を呼んだものの、だんだん尻す
ぼみになっていき、今では半ば忘れられ掛けています。
その原因もまた色々と言われるのですが、やはり最大の原因は「本」というのものがなかなか「贈り物」というものに馴染まないということがあげられるのではないでしょうか。

バレンタインデーで見られたチョコレートとか、クリスマスで見られるケーキなどであれば、多少好みに合わなくても食べてしまうでしょうが、人は好みに合わない本はわざわざ読みません。
ここに本の贈り物の難しさがあります。

カタロニヤの場合は、カタロニヤ語の本というところに重要な意志がこめられていたのですが……

またもう一つはタイミングの悪さの問題もあるでしょう。
クリスマスは年末の開放感がこの日を盛り上げますし、バレンタインも卒業シーズンを前に恋を打ち明けるタイミングとしてはいい時期を捉えています。

しかし4月下旬は入学シーズンが落ち着き人々はゴールデンウィークを前に旅行などの計画を練っているような時期で、学生は新しい教科書をたくさん手にしたばかりですし、書店自体がそういうキャンペーンを張るよりも参考書や旅行案内などをどんどん売りたい時期です。
踊らせようとする側と踊らされる側双方に無理があったかも知れませんね。


360円の日(1949)
1949年4月23日、GHQは日本円とアメリカドルの交換レートを1ドル=360円と定めました。
このレートは「スミソニアンレート」が採用された1971年まで22年間にわたって維持されました。

日本円とドルの交換比率は、明治初期には最初1ドル=1円と定められていましたが、その後実際にはドルのほうが力があるため次第に円安に動き、昭和初期には1ドルが3〜4円程度になっていたようです。
それが戦後の超インフレで円の貨幣価値が大幅に下落したため、GHQとしては当時の実勢状況から、この程度であろうということで定めたようです。

360円という数字が選ばれた根拠についてはよく分かりません。
「円」だから円周の度数というのはさすがに俗説と思いますが、やはりキリのいい所で選ばれたのではないでしょうか。

スミソニアン体制ができたきっかけは1971年8月15日にニクソン大統領が、金とドルの兌換を停止する宣言をしたいわゆる「ニクソンショック」です。
その善後策を話し合うため、同年12月18日スミソニアン博物館に先進10ヶ国の蔵相が集まり、結局ドルを約7%切り下げ、各国の通貨との交換レートも見直しがなされることになりました。
この時1ドル=308円というレートが定められます。

しかしこの体制はわずか2年で崩壊。
オイルショックのあった1973年からは主要通貨の交換は為替交換の際に需要と供給のバランスで決められる変動相場制で処理されることになりました。
この結果、ドル−円の相場は1973年に260円くらいまで高騰。
翌年にはいったん300円程度に戻しますが、その後少しずつ上がって現在80円前後で落ち着いています。
このおおまかな流れを書くと、下記のような感じです。

 300円 1974-1976
 270円 1977
 230円 1979-1981
 240-250円 1982-1985
 200円 1986
 150円 1987-1988 (1987.10.19=Black Monday)
 130円 1989
 150円 1990
 140円 1991
 130円 1992
 120円 1993
 110円 1994
  90円 1995
 110円 1996
 120円 1997 (アジア通貨ショック)
 130円 1998
 110円 1999-2000
 120円 2001 (2001.09.11 同時多発テロ)
 130円 2002
 110円 2003
 105円 2004
 110円 2005
 115円 2006
 120円 2007
  90円 2008
  85円 2009
  80円 2010

2011.10.27の東京外国為替市場の円相場は、政府、日銀による円売り介入の警戒感が薄れたことなどで、一時、1ドル=75円84銭まで上昇し同市場での最高値を更新し、ロンドン市場で前日につけた戦後最高値(1ドル=75円71銭)に迫った。

2012.4.22. 81.54円

なお、たとえば1ドル120円の状態から、1ドル80円の状態になるようなことを「円が高くなる」と言います。
数字が減るのに「高い」と言われて混乱する人もいるのですが、たとえば1ドル120円の状態でアメリカ人が120円の日本のボールペンを買おうとしたら1ドルで済んでいたのが、1ドル100円になってしまうと、同じポールペンを買うのに1ドル20セント必要になる訳ですから、円の価値は上がっていることになります。

ですから輸出に頼っている企業は円高で苦しくなり、円安で利益が出ますし、原料等を輸入に頼っている企業は円安で苦しくなり、円高で利益が出ます。

為替が細かく変動する時に、多額の資金の円−ドルの交換を巧みにおこなうと、ただ両替しているだけで「為替差益」により巨万の富が転がり込んできます。
為替相場の先を読むのは、企業の株式の先を読むのよりずっと難しいですからリスクの高い資金運用法になります。


で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ




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