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4月20日 逓信記念日(郵政省,1934)、郵便週間(〜26)

花ノ名前      花ことば            誕生花として
シャガ       決心・抵抗・反抗         ○
セイヨウ梨     慰め・愛・安らぎ         ×
ナシ        博愛・和やかな愛情        ○

∞…∞ 4月20日・今日という日 ∞…∞

トウカイテイオー   (1988)  競走馬
黒田美礼   (1978)  タレント
野村浩二   (1977)  タレント、江戸むらさき
HIRO (広瀬康幸)   (1977)  タレント、安田大サーカス
阿部浩貴   (1977)  タレント、アップダウン
宇治原史規   (1976)  タレント、ロザン
安永聡太郎   (1976)  サッカー
田南部力   (1975)  レスリング
桜井亜弓   (1975)  歌手
目黒大樹   (1973)  俳優
斉藤俊秀   (1973)  サッカー
山本 薫   (1972)  アナウンサー
坂本一生   (1971)  タレント
大沢樹生   (1969)  タレント、元 光GENJI
遠藤直人   (1969)  タレント、忍者
西川忠志   (1968)  俳優
紀里谷和明   (1968)  写真家
倉沢淳美   (1967)  タレント、元わらべ
吉井理人   (1965)  野球
笑福亭純瓶   (1963)  落語家
阿部慶二   (1961)  野球
片山まさゆき   (1959)  漫画家 「ぎゃんぶらあ自己中心派」
神田 紅   (1952)  講談師
ジェシカ・ラング   (1949)  女優
久松文雄   (1943)  漫画家 「スーパージェッター」
ライアン・オニール   (1941)  宇宙飛行士
中江真司   (1935)  声優、ナレーター
戸塚睦夫   (1931)  タレント、てんぷくトリオ
半田春夫 (カールトン半田)   (1931)  野球
永井一正   (1929)  グラフィックデザイナー
富永一朗   (1925)  漫画家 「ポンコツおやじ」
八木治郎   (1925)  司会者
赤坂小梅   (1906)  歌手
辰巳柳太郎   (1905)  俳優
浜尾四郎   (1896)  作家
ジョアン・ミロ   (1893)  画家
アドルフ・ヒトラー   (1889)  政治家
犬養 毅   (1855)  政治家
山葉寅楠   (1851)  実業家
吉田兼右   (1516)  神道家

 ○ ロムルス、ローマを開く(753)
 ○ 飛脚制度に代り、郵便制度を実施。東京・京都。大阪の三都市と東海道線の各駅で郵便物の取り扱い、切手の発行が始まった(1871)
 ○ 首相官邸で仮装舞踏会(1887)
 ○ 最初の女子大、日本女子大学が開校(1901)
 ○ 東京・大阪、大阪・福岡間に日本初の飛行郵便開始(1925)
 ○ 東京女子高等師範学校植物学教授が女性で初の博士号(理学)(1927)
 ○ 第1回参議院選挙で社会党が第1党になる(1947)
 ○ 俳優座劇場、開場式(1954)
 ○ 第1回全日本自動車ショー開催(1954)
 ○ 修学旅行専用列車が運行(1959)
 ○ 大蔵省が、紙巻きタバコの箱に「健康のため吸いすぎに注意しましょう」の注意表示を印刷することを決定(1972)
 ○ 日中航空協定が北京で調印(1974)

郵政記念日
逓信省(現在の郵政事業庁)が1934(昭和9)年に「逓信記念日」として制定。
逓信省が郵政省・電気通信省の二省に分割された1950(昭和25)年に「郵政記念日」と改称、1959(昭和34)年に「逓信記念日」に戻されましたが、2001(平成13)年の省庁再編に伴い再び「郵政記念日」となりました。
1871(明治4)年3月1日(新暦4月20日)、それまでの飛脚制度に代わり新しく郵便制度を実施しました。
東京・京都・大阪の三都市と東海道線の各駅で、郵便物の取扱、切手の発行が始まりました。
翌年にはほぼ全国的に実施されました。

女子大の日
1901年(明治34年)に日本初の女子大学である日本女子大学校(現在の日本女子大学)が開学した。

青年海外協力隊の日
1965年(昭和40年)に青年海外協力隊(JOCV)が発足した。
青年海外協力隊では、アジア・アフリカ・中南米を中心とする発展途上国の国づくりを支援するために、2000人をこえる満20歳から39歳までの人たちがボランティアとして活躍している。

百けん忌,百鬼園忌,木蓮忌
小説家・随筆家の内田百けん(けんは門の中に月)の1971(昭和46)年の忌日。
百けんのペンネームは幼い頃に遊んだ百けん川に因み、また「借金」の語呂合せから百鬼園とも名乗っていました。
東京中野区金剛寺の句碑木蓮や塀の外吹く俄風から木蓮忌とも呼ばれます。


逓信記念日(4.20) (郵政記念日)
この字が読めない人のためにフリガナを付けますと「ていしん」きねんびです。
現在の郵政省のことを以前は逓信省と言っておりました。(正確に言うと逓信省が昭和24年に郵政省と電気通信省に分割された)
「逓信」を辞書で引きますと「郵便・電信などを順次送り伝えて届けること」とあります。
そういう訳で通信一般のことを指すと考えていいでしょう。
現在のインターネット事情などを考えると、こういう通信関係全般を統括して管理する省があるべきかも知れません。

ご存じの通り江戸時代の通信は重要かつ高速を要求するものは早馬で伝えられていましたが、通常の通信は飛脚に頼っていました。
しかし飛脚時代には通信の秘密など無きに等しい状態で、通信文は途中で当然読まれるものという覚悟が必要でしたし、主人に出した文書が奉公人に読まれてしまうくらいのことは珍しくないことでした。

そのため明治政府はこれを国営化・近代化することにし、明治4年3月1日に新式の郵便制度を発足させます。(運用開始は3月14日)この3月1日を新暦に換算すると4月20日になるため、これをもって「逓信記念日」としています。

初期の郵便制度整備に力を尽くしたのは小学生向けの「偉い人の話」などにも出てくる前島密(まえじまひそか)です。
彼は維新の直後からイギリスに渡り向こうのPostal Serviceの実態を調査してきます。
「郵便」や「切手」という訳語をつくったのも彼です。

また、彼がスタンプに気づくまでの間、切手の再利用を防止するのに紙を薄くして、はがそうとしたら破れるようにしたらどうだろうか、などと随分悩んだというエピソードもよく知られています。


女子大の日(4.20)
1901年(明治34年)4月20日、日本で最初の女性のための大学、日本女子大学校(現・日本女子大学)が開学しました。
創設者は山口県出身の教育者・成瀬仁蔵で、梅花女学校の主任教師を経て、新潟女学校の創設なども行っている人です。

当時、国民全体に子供にきちんとした教育を受けさせることに対する意識自体はかなり高まっていたものの、女性の教育については否定的・消極的な意見を持っている人もありました。
特に田舎では「女は字も覚える必要はない」などと主張する人もあり、高等教育に至っては「女子には有害である」という主張もかなり強くありました。

しかし成瀬はキリスト教の伝道者としての経験、アメリカ留学の経験などから女性の高等教育の必要性を強く意識しておりました。
1894年には啓蒙書「女子教育」を著して、世間一般にその必要性を説き、1901年、日本女子大の創設に至るわけです。

この大学の初期の生徒として有名なのが平塚らいてう(1906卒業)です。
彼女は先進的な思想の持ち主で、保守的な初等教育に反発して、それを打破するものを求めて日本女子大に入りますが、彼女の場合は、この日本女子大の教科内容でさえ不満が強かったようです。
やがて大学の同窓生数人が中心になって、文芸誌『青鞜』を発刊。
「元始女性は実に太陽であった」と高らかに女性の心の解放・束縛からの解放を歌い上げました。

1920年には市川房枝(後参議院議員)らと共に「新婦人協会」を結成したりしています。


で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ




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