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4月18日 発明の日(1954)、よい歯の日、世界アマチュア無線の日、頭髪の日(毎月)

花ノ名前      花ことば            誕生花として
アカツメクサ    勤勉・実直・豊かな愛       ×
アルストロメリア  エキゾチック・援助・持続     ○
スターチス(ピンク)永久不変             ○
レンゲ草      感化・私の幸福・心が和らぐ    ○

∞…∞ 4月18日・今日という日 ∞…∞

くぅ〜ちゃん   (2001)  タレント犬
斉藤秀光   (1975)  野球
伊藤裕子   (1974)  女優
薩川了洋   (1972)  サッカー
片野坂知宏   (1971)  サッカー
鬼頭典子   (1971)  声優
田川伸治   (1970)  DEEN、G.
佐伯貴弘   (1970)  野球
朝岡実領   (1970)  女優
みなみ鈴香   (1969)  プロレス
原田 潤   (1969)  タレント
黒田清子 (紀宮清子)   (1969)  元皇族
小野文恵   (1968)  アナウンサー
八谷和彦   (1966)  アーティスト
長原成樹   (1964)  タレント
内多勝康   (1963)  アナウンサー
緑 健児   (1962)  空手家
松野行秀 (ゴージャス松野)   (1961)  タレント
伊豆田洋之   (1959)  歌手
小宮悦子   (1958)  アナウンサー
穴久保幸作   (1957)  漫画家
中川敏一   (1957)  元 雅夢
巨砲丈士   (1956)  相撲
宅麻 伸   (1956)  俳優
ボビー・カスティーヨ   (1955)  野球
ピアニカ前田   (1954)  ピアニカ奏者
岸田敏志 (岸田智史)   (1953)  歌手
松永二三男   (1951)  アナウンサー
真夏 竜   (1950)  俳優
つぼイノリオ   (1949)  シンガーソングライター
鈴木康二朗   (1949)  野球
ジェームズ・ウッズ   (1947)  俳優
吉村実子   (1943)  女優
池坊保子   (1942)  華道家
川合伸旺   (1932)  俳優
犬養智子   (1931)  評論家
佐藤幹夫   (1928)  数学者
矢口 純   (1921)  エッセイスト
橋本 忍   (1918)  脚本家
中川信夫   (1905)  映画監督
前田普羅   (1884)  俳人
五島慶太   (1882)  東急創業者
二階重楼   (1859)  植物学者
フランツ・スッペ   (1819)  作曲家

 ○ 孔子、没。72歳(BC479)
 ○ 浮世絵師・葛飾北斎没。90歳(1849)
 ○ 天津条約、締結
 ○ 専売特許条例が公布(1885)
 ○ サンフランシスコ大地震。死者約1千人(1906)
 ○ ニューヨーク、ヤンキース・スタジアム、完成(1928)
 ○ 帝人殺人事件(1934)
 ○ アメリカ軍機日本本土初空襲(1942)
 ○ 連合艦隊指令長官・山本五十六がラバウルを出発してブーゲンビル島に向かうがアメリカ機に撃墜される。59歳(1943)
 ○ アジア・アフリカ会議開催(1955)
 ○ グレース・ケリー、モナコ王妃となる(1956)
 ○ 霞ケ関ビルが開館(1968)
 ○ ベイルート、米大使館爆破事件(1983)

発明の日
現在の特許法のもととなる「専売特許条例」が1885年(明治18年)のこの日に公布されたのを記念して、1954年(昭和29年)に制定された。

世界アマチュア無線の日
1973年(昭和48年)に制定。仕事や金銭上の利益を目的とした運用を禁じられているアマチュア無線は、純粋な趣味でおこなわれる無線通信。
記念日制定当時、日本は世界一のアマチュア無線王国で、第2位のアメリカを大きく引き離していた。
世界の多数のアマチュア無線局は外国との国際交流にも役立っている。

よい刃の日
「よ(4)い(1)刃(8)」の語呂合せ。

よい歯の日
日本歯科医師会が4月18日の語呂合せから定めた日で、丈夫な歯をいつまでも保ってもらおうとの願いがこめられている。

三重県民の日
1876年(明治9年)のこの日、渡会県が三重県と併合し、現在の三重県となったことにちなんで1976年(昭和51年)に制定された。

独立記念日(ジンバブエ)


三重県の日(4.18)
明治9年4月18日、度会県が(旧)三重県に合併して(新)三重県となり、現在の三重県の領域が定まりました。
そこでこれを記念して4月18日が三重県の日になっています。

明治の廃藩置県では当初非常に多数の県が生まれたのですが、それがどんどん合併して現在の47道府県に整理されました。
現在「平成の大合併」が進行していますが、当時は「明治初期の超合併」という感じですね。

三重県の領域は伊勢国・志摩国・伊賀国にわたります。
志摩国はすんなりそのまま鳥羽県になったのですが、伊勢国の県が乱立して久居県・桑名県・亀山県・長島県・神戸県・菰野県・津県・度会府と8つも府県が出来てしまいました。
伊賀国は津藩藤堂家の支配下にあったため、まるごと津県に合流しています。

明治4年11月22日に、度会府・久居県・鳥羽県が合体して(新)度会県となり、桑名県・亀山県・長島県・神戸県・菰野県・津県が合体して安濃津県となりました。
安濃津県は現在の三重県の北部、度会県が三重県の南部の領域を占めています。
安濃津県は明治5年3月17日に三重県と改名しましたが、明治9年4月18日両者が合併して、新しい三重県が生まれたものです。

現在の三重県の領域にはあちこち部分的に、紀州藩に所属していた場所もあります。
この付近の領地の管理状態は非常に複雑で、しばしば係争を引きおこしており、江戸町奉行として名高い大岡越前も、山田奉行(山田は幕府直轄地→廃藩置県で度会府となる。「府」は幕府直轄地の名残)時代にその裁判を担当したことがあり、それが当時の紀州藩主徳川吉宗に実力を認められるきっかけとなったのでした。

度会(わたらい)県の県庁所在地は山田でしたが、安濃津(あのつ)県の県庁所在地は津でした。
しかし津は安濃津県の南端で不便だということで明治5年3月に県庁は四日市に移され、その時に四日市は三重郡だったので県庁所在地に合わせて県名も三重県に改名されたのですが、四日市では今度は行政の執行に不便なことが多かったらしく明治6年12月にまたまた津に戻ってしまいました。

この時、県名をまた安濃津県に戻そうという話もあったらしいのですが、その時点で既に度会県との合併話が出ていたため、合併してから考えればいいということで、そのままになってしまい、結果的には合併しても三重県の名前が残ってしまい、この地域の中でも本来ならローカルな地名であった三重が県名として残ったのです。

「三重」自体のいわれは有名なので、ご存じの方も多いでしょう。
これは古事記景行天皇の章に、ヤマトタケルの尊がその村で休んだ時に「私の足は三重の勾餅のようになって疲れた」とおっしゃったということから、その村を「三重村」と言うようになった、という伝説が書かれています。
この三重村が現在の四日市市付近で、そこから三重郡の名前も出ています。


発明の日(4.18)
4月18日は「発明の日」です。
明治18年のこの日に「専売特許条例」が公布されて発明の権利の保護と発明の奨励が行われるようになったことを記念して昭和29年に定められたものです。
この日を含む一週間は「科学技術週間」とされています。
こちらは昭和35年に定められました。

かつての柳家金五郎氏や最近の中松義郎氏など発明好き・発明が趣味という人は世の中に多数いて、特許庁には毎日多数の特許や実用新案の申請がなされています。

以前は年間の特許申請数は50万件だそうです。
1日平均にすると1400件の申請が全国から寄せられていることになり、これがハイテク日本を下から支えている訳です。

特許や実用新案の目的は工業振興にあります。
もの凄いことを思いついた人には特許を与えて15年間その権利を独占させる代わりに、その内容を公開してもらい、広く一般の人がその技術を有料で利用できるようにして、国全体の技術のレベルアップを図る訳です。

ですから誰かが特許を持っているからといってそれを回避する必要はなく、その権利者と交渉して特許使用料を払って良質な製品を作るとともに、それよりももっと凄いものを考案して新たな特許を申請する、また権利者も法外な使用料を要求せずに自分の技術の普及を図る、というのが日本の特許行政の考え方にあった思考といえます。

実際には特許をとっても、それが本当に有用な技術であれば15年間の特許期限切れまでそれが有効であり続けるのは異常であり、誰かがもっと凄い物を思いついて自分にとって替わられる前に、自分ももっと凄いものを考案して、新たな特許を取るというのが、発明家の王道といえます。

この特許申請の審査事務をする人の数が絶対的に不足しているそうです。
基本的には申請の様式に問題がないかということと過去の特許や論文のデータベースを検索して類似のものがなかったかをチェックする作業なのだそうですが、だいたい毎週土日をつぶして仕事をすればやっていける作業量だそうですからその分野の専門知識さえあれば通常の勤務とも両立できると
思いますし、興味のある方は特許庁に問い合わせてみるとよいかと思いま〜〜す。


で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ




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