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4月13日 水産デー(漁業法施行記念日)、喫茶店の日、科学技術週間(〜19日)

花ノ名前      花ことば            誕生花として
イチゴ       先見・尊重と愛情・誘惑・甘い香り ○
ゼラニウム(ピンク)快心・決意・堅実・真の友情    ○
ハルシャギク  上機嫌・陽気・常に快活・清い心・愉快 ×
ペルシャキク    競争心              ○
レンゲソウ   あなたは幸福です・私の苦痛をやわらげる
        感化・私の幸福・心が柔らぐ      ○

∞…∞ 4月13日・今日という日 ∞…∞

荻原智子   (1980)  水泳
西科孝仁   (1978)  タレント
若ノ城宗彦   (1973)  相撲
つみきみほ   (1971)  女優
冬目 景   (?)  漫画家
中村智子   (1968)  アナウンサー
名越美香   (1966)  元おニャン子クラブ
唐木 淳   (1966)  歌手
藤王康晴   (1965)  野球
鷹城冴貴   (1965)  漫画家
デービス・ラブ三世   (1964)  ゴルフ
西崎幸広   (1964)  野球
藤岡太郎   (1964)  俳優
白石文子   (1963)  声優
牛島和彦   (1961)  野球
なかいま強   (1960)  漫画家 「わたるがぴゅん!」
ルディ・フェラー   (1960)  サッカー
萬田久子   (1958)  女優
西城秀樹   (1955)  歌手
森口祐子   (1955)  ゴルフ
上沼恵美子   (1955)  タレント
林家とんでん平   (1952)  落語家
ヨアヒム・シュトライヒ   (1951)  サッカー
ウィリアム・サドラー   (1950)  俳優
五月女豊   (1949)  野球
鈴木俊一   (1943)  政治家
藤田まこと   (1933)  俳優
宮尾登美子   (1926)  作家
吉行淳之介   (1924)  作家
大山デブ子   (1915)  女優
大宮敏光 (大宮敏充)   (1913)  俳優
木村秀政   (1904)  航空学者
ジャック・ラカン   (1901)  精神学者
薩摩治郎八 (バロン薩摩)   (1901)  随筆家
徳川夢声   (1894)  弁士
市川小文治   (1893)  俳優
中山忠光   (1845)  公家
中岡慎太郎   (1838)  武士
トーマス・ジェファーソン   (1743)  政治家

 ○ 鎌倉で大地震。建長寺など焼失、死者2万3000人(1293)
 ○ ナントの勅令。旧教と新教の対立が激化する中、ブルボン王朝を開いたフランスの国王アンリ4世は自らカトリックに改宗してナントの勅令を発し、国内の新教徒に信仰の自由を認可(1598)
 ○ 宮本武蔵と佐々木小次郎、巌流島の決闘(1612)
 ○ 上野に日本初のコーヒー店「可否茶館」開店(1888)
 ○ 小学校の教科書、国定に(1903)
 ○ 石川啄木、没。27歳(1912)
 ○ 少年団日本連盟(現ボーイスカウト日本連盟)が結成(1922)
 ○ 中学校でも軍事教練が始まる(1925)
 ○ 全日本体操連盟創立(1930)
 ○ 初のドラマ、「夕餉前」放映(1940)
 ○ 日ソ中立条約、モスクワで調印(1941)
 ○ 長江一家の世界一周ヨット、4年9ヶ月ぶりに帰国(1986)

決闘の日
1612年(慶長17年)のこの日、美作の浪人・宮本武蔵と細川家指南役・佐々木小次郎の決闘が、豊前小倉沖の無人島・舟島で行なわれたことによる。
巌流とは敗れて死んだ小次郎の流派、舟島はその後、巌流島とよばれた。

喫茶店の日
1888年(明治21年)のこの日、東京・下谷上野西黒門町に日本初の喫茶店「可否茶館」が開店した。

水産デー
1901年(明治34年)のこの日、漁業の制度を定めた旧漁業法が制定されたことを記念して1933年(昭和8年)に大日本水産会が制定した。

ジェファーソン・デー
(アメリカ)独立宣言の起草者、第3代アメリカ大統領のトーマス・ジェファーソンの誕生日を祝う日。
1743年、ヴァージニア生まれ。

啄木忌
詩人・石川啄木の命日。1912年(明治45年)没、27歳。


巌流島の決闘(1612)
慶長17年(1612)4月13日、二刀流の使い手・宮本武蔵と燕返しの名手・佐々木小次郎の決闘が、山口県の船島で行われました。

この船島は現在、小次郎の別名・巌流を採って「巌流島」とも呼ばれています。
下関の先の造船所のある彦島の東側に浮かんでいます。
昔はその名の通り船の形をしていたそうですが、今は埋め立てによって全く形が変わってしまっています。

決闘は武蔵がわざと遅刻して、小次郎がそれに怒り冷静さを失っている所をつかれて、やられてしまったと言われます。
小次郎が、さっさと行くぞ、と言って刀の鞘を投げ捨てると、それを指して武蔵が「小次郎敗れたり」と言い「勝負のあと刀を納めるべき鞘を捨ててしまったのは、もうそれに納められないということだ」と指摘して、更に小次郎の動揺を誘ったといいます。

腕にそう差がない場合、こういう心理戦の比重というのは大きいのかも知れません。

宮本武蔵は天正12年(1584)美作国宮本村の生まれ。
幼名は弁之助といったといいます。
13歳の時以来、生涯60回以上の果たし合いを行い、一度も敗れませんでした(まぁ敗れたらそれで死んでいるわけですね)。

特にこの小次郎との対決と、京都での吉岡一門との対決は有名です。

寛永17年(1640)肥後の細川忠利に召し抱えられ、寛永20年には「五輪書」を著しました。

正保2年(1645)5月に死去しました。


で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ




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