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3月29日 まりも記念日、肉の日(毎月)、八百屋お七忌(円乗寺)
花ノ名前 花ことば 誕生花として
アリッサム 奥ゆかしい美しさ
美しさを越えた価値・優美 ○
グラジオラス(ピンク)たゆまぬ努力・ひたむきな愛・満足○
ゴボウ いじめないで・しつこくせがむ
私にふれないで ○
バイモユリ 威厳・凛ろした姿 ○
∞…∞ 3月29日・今日という日 ∞…∞
里田まい (1984) タレント、カントリー娘。
滝沢秀明 (1982) タレント
永田杏奈 (1982) タレント、女優
佐藤良子 (1980) アナウンサー
デンダマオ (傳田真央) (1980) 歌手
岡倉あゆ (1980) タレント
篠原ともえ (1979) タレント、歌手
桜庭あつこ (1977) タレント
ジェニファー・カプリアティ (1976) テニス
曹 竣揚 (1976) 野球
Taku (1974) m-flo、サウンドプロデューサー
田山真美子 (1974) タレント
松本さち (1973) 声優
アレックス・オチョア (1972) 野球
諏訪部順一 (1972) 声優
田中秀道 (1971) ゴルフ
西島秀俊 (1971) 俳優
石川千亜紀 (1969) See-Saw、Vo.
黒田洋介 (1968) 脚本家
宇津本直紀 (1967) 元DEEN、Dr.
羽住英一郎 (1967) 映画監督
大野俊三 (1965) サッカー
鈴木ほのか (1965) 女優
麻生真宮子 (麻生真美子) (1965) 歌手、女優
谷口キヨコ (1964) ラジオパーソナリティー
野沢直子 (1962) タレント
辻 義就 (1961) アナウンサー
鮎川麻弥 (1961) シンガーソングライター
鶴ひろみ (1960) 声優
中村真理子 (1959) 漫画家 「ギャルボーイ!」
ミシェル・ファイファー (1958) 女優
桂三木助 (四代目) (1957) 落語家
江口寿史 (1956) 漫画家 「すすめ!パイレーツ」
高水健司 (1951) ベーシスト
柴田国明 (1947) ボクシング
ヴァンゲリス (1943) 作曲家
ジョン・メージャー (1943) 政治家、イギリス首相
緒方賢一 (1942) 声優
実相寺昭雄 (1937) 映画監督
花田清輝 (1809) 評論家、作家
クラーク・ゲーブル (1901) 俳優
羽仁五郎 (1901) 歴史学者
小川勝清 (1896) 作家
石井柏亭 (1882) 画家
サイ・ヤング (1867) 野球
平野国臣 (1828) 国学者
ジョン・タイラー (1790) アメリカ大統領
称光天皇 (1401) 天皇
○ 薬師寺東塔、建立(730)
○ 伊達堀(今の神田川)、完成(1661)
○ 本郷追分町の八百屋中村喜兵衛の娘お七が放火罪により江戸市中引回しのうえ鈴ケ森で火あぶりの刑に処せられる。お七が恋した吉三郎というのは、大円寺の西運上人だったことが最近判明している(1683)
○ 入れ墨禁止令(1872)
○ 日本初の労働立法、工場法、公布(1911)
○ 初の無形文化財の指定(1952)
○ 北海道阿寒湖の「まりも」が宮崎県の「そてつ」や富山県の「ほたるいか」などとともに文化庁の特別天然記念物に指定される(1952)
○ 南極越冬隊が南極大陸初上陸(1957)
○ 東京に騒音自動表示器初登場(1963)
○ 最後の米軍、ベトナムから退去(1973)
八百屋お七の日
1683年のこの日、八百屋太郎兵衛の娘、お七が火あぶりに処せられた。
お七は火事で避難した寺で小姓に一目惚れし、再び火事になれば再会できると思い、放火。大火を引き起こした。
マリモの日
1952年(昭和27年)のこの日、北海道阿寒湖のマリモが特別天然記念物に指定されたことを記念して。
立原道造忌
詩人・立原道造の1939(昭和14)年の忌日。
八百屋お七(1668-1683)
天和3年(1683)3月29日、鈴ヶ森刑場にて八百屋お七が火あぶりの刑に処せられました。
お七は以前火事にあって一家がお寺に避難した折り、一人の男と出会い恋をします。
やがて一家は再建された家に戻りますが、男のことが忘れられません。
その思いがつのって、もう一度火事が起きたら会えるかも知れないと思い、放火をしたと伝えられています。
さてこの伝承ですが、どうもよく分からない部分があります。
【お七の相手の名前は?】
お七の恋しい相手の名前としては吉三郎という説、生田庄之助という説、僧ではなく侍で佐兵衛といったなどといった説があるようです。
庄之助説ではお七をそそのかして火をつけさせたのが吉三郎という者であるとなっています。
火事で避難することによって必然的に会えると思った、ということより、相手の男は寺の若い僧であったという説が信用できるように思いますが、この僧は後に西運という偉い坊さんになったともいう話も聞いたことがあります。
落語ですとお七が火あぶりになったのを悲観して恋の相手の吉三郎は川に身を投げて死に、二人が地獄で出会って手を取り合うとジューっという音がしたといいます。
それはお七は火で死に吉三郎は水で死んだので水と火が触れてジューっという音がしたということと、お七の七と吉三郎の三とで十になるからだともいいます。
言霊ですね(^^;
【どの火事?】
お七が相手の男と出会った火事というのは一体どれでしょうか?
当時は大きな火事の非常に多い時代です。
お七が生れる10年ほど前には不気味な振袖火事が起きています。
お七は放火した時16歳になったばかりであったとされます。
奉行が哀れんで15歳以下のものは罪一等を減じるという規定を利用しようと思い「お前はまだ15
であろう?」と言い含めるように言ったのに対し、お七は自分の生まれた時の宮参りの記録などまで持ち出して自分は16であると主張したというエピソードが伝わっています。
その年齢を考慮して処刑される少し前の大火の記録を調べてみますと、怪しいのは延宝7年(1679)5月29日の火事と処刑前年になる天和2年12月28日の火事です。
ここで延宝7年説を取りますと、お七の放火により天和2年の火事が起きたという解釈もなりたちます。
しかしこの天和2年の火事は振袖火事ほどではないにしても非常に大きな被害を出しており、その放火犯人であればたとえ子供であっても奉行が情けをかける筈がありません。
また1682年に16歳だったとすると1679年は13歳ということになり、3年間も忍んだ恋が突然このような形で過激な行動を生み出すというのは少し納得しかねるように思います。
結論としてはお七が被災し寺に避難したのが天和2年の火事で、相手の男とはほんとに何日間かの交際、そしてすぐ家に戻るも忘れられず発作的な行動に出たというのが自然でしょう。
するとお七が火をつけたものの怖くなり自ら火の見櫓に登って半鐘を叩いたという伝承とも一致します。
つまりお七が付けた火はボヤ程度で済んだので奉行も情けをかけようとしたということで辻褄があいます。
【お七丙午説】
丙午の女は不吉という風説がありました。
この為昭和41年の丙午の時には大幅に出生率が下がっています。
東洋占の立場からは丙午を忌み嫌ったのは丙も午も火の要素なので、それが重なって丙午は強い火となり、女性にしては勢いが強すぎるとして嫌ったのではないか、と推察されています。
が俗説でこのお七が丙午の生まれであったため、というものがあります。
しかしこれは当たっていないように思います。
お七は放火をした時16であったとされますので、それは1682年か1683年ということになります。
しかし最初火事にあったのが12月28日でこの年の12月は30日までありますが、避難して寺で数日過ごして家に戻って恋心がつのって放火というのが年内のわずか2日間に起きたとは考えにくいのでやはり放火は明けて1683年でしょう。
その時16だったとすれば生まれたのは1668年になります。
この年は戊申であり丙午はその2年前の1666年ですので、おかしいのでは無いでしょうか。
で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ
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