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3月24日 マネキン記念日

花ノ名前      花ことば            誕生花として
カタクリ      嫉妬・初恋・寂しさに耐える・情熱 ○
カラマツ      豪放・豪胆・大胆         ○
ハナビシソウ 希望の持てる愛・私の希望をいれて下さい
       私を拒絶しないで            ○

∞…∞ 3月24日・今日という日 ∞…∞

篠田拓馬   (1993)  俳優
綾瀬はるか   (1985)  タレント、女優
安田良子   (1984)  タレント、BONITA
初音映莉子   (1982)  タレント
大友 愛   (1982)  バレーボール
SHOGO   (1980)  175R、Vo.
滝川英治   (1979)  俳優
持田香織   (1978)  Every Little Thing、Vo.
丹下 桜   (1973)  声優
DJ Jin   (1973)  Rhymester、DJ
東 雅雄   (1971)  バイクライダー
羽鳥慎一   (1971)  アナウンサー
天野ひろゆき   (1970)  タレント、キャイ〜ン
原田泰造   (1970)  タレント、ネプチューン
ちはる   (1970)  タレント
ヨーコ・ゼッターランド   (1969)  バレーボール
郭李建夫   (1969)  野球
宝生桜子   (1969)  タレント
和田圭市   (1968)  俳優
高橋孝之介   (1968)  脚本家
シン・ヒョンジュン   (1968)  俳優
栗城祥子   (?)  漫画家 「ぴかる元気です!」
真矢 武   (1967)  俳優、元JACブラザーズ
ミスター・マッスル (ランディ・マッスル)   (1967)  タレント
松永光弘   (1966)  プロレス
楠 桂   (1966)  漫画家 「鬼切丸」「八神くんの家庭の事情」
大橋 薫   (1966)  漫画家
朝倉世界一   (1965)  漫画家
アンダーテイカー   (1962)  プロレス
楠美津香   (1962)  タレント
島田紳助   (1956)  タレント
白木葉子   (1955)  女優
大島やすいち   (1954)  漫画家 「バツ&テリー」
木村充揮   (1954)  憂歌団、Vo.
梶芽衣子   (1947)  女優
ヘドバ・アムラニ   (1944)  歌手、ヘドバとダビデ
ルネ・ヴァン・ダール・ワタナベ   (1942)  占星術師
神楽坂はん子   (1931)  歌手
スティーブ・マックイーン   (1930)  俳優
速水 優   (1925)  日本銀行総裁
ジョセフ・バーベラ   (1911)  アニメーター
中村吉右衛門 (初代)   (1886)  歌舞伎役者
ハリー・フーディニ   (1874)   奇術師

 ○ 壇の浦の戦いで平氏が滅亡(1185)
 ○ 天皇の写真売買、禁止される(1874)
 ○ コッホ、結核菌を発見(1882)
 ○ マネキンガール、初登場。御大礼記念博覧会で高島屋呉服店のコーナー(1928)
 ○ エルビス・プレスリー、入隊(1958)
 ○ 米大使ライシャワー刺傷事件(1964)
 ○ 蒸気機関車、引退(1970)
 ○ 中国自動車道全線開通(1983)

桜田門外の変
安政7年3月3日(新暦1860年3月24日)、大老井伊直弼が江戸城桜田門外で水戸・薩摩の浪士達によって暗殺される事件が起こった。

世界結核デー
1882年(明治15年)のこの日、ベルリンでコッホ博士が結核菌を発見したことを記念して1997年(平成9年)にWHO(世界保健機関)が制定。

ホスピタリティ・デー
1994年(平成6年)に日本ホスピタリティ研究会(現日本ホスピタリティ協会)が制定。
数理学的に「3」は新しいものを創り出すエネルギー・創造・自己表現など、「2」は調和とバランス・思いやり・協力・理解力・人間関係を象徴し、「4」は全体をつくりあげる基礎を表わす数とされ、「3・2・4」はホスピタリティに関連性の高い要素が多く含まれていることから。

マネキン記念日
1928年(昭和3年)のこの日、高島屋が御大礼記念博覧会で初めてマネキンを登場させたことを記念して。当時は人形ではなく、生身の人間だった。

インテリアの日(毎月第4土曜日)

牧野信一忌
大正・昭和期の小説家・牧野信一の1936(昭和11)年の忌日。
1935(昭和10)頃から神経衰弱に悩み、小田原の実家の納屋で首をつって自殺しました。

檸檬忌
作家・梶井基次郎の1932(昭和7)年の命日。その作品は死後に評価を高めました。
代表作の『檸檬』から檸檬忌と呼ばれます。


壇ノ浦合戦(1185)
元暦2年(1185)の壇ノ浦の合戦が行われ、平家は滅亡しました。

治承4年(1180)に源頼朝・頼政らが平家打倒の兵をあげて以来5年、平家・源氏の最終決戦で、この時の船の数が平家500艘、源氏700艘といいますので、死者の数は5000人を優に越すのではないかと思われます。

戦闘は朝6時頃から始まります。

当初は海戦に慣れた平家がもう後が無い必死さも手伝って押しておりましたが、昼頃潮が速くなりだすと平家と源氏の船がいたるところで接触。
接近戦になって源氏は次第に挽回し始めます。

また、当初平家方はわざと、いかにも貴人が乗っていそうに見える目立つ船をおとりにし、実際の要人は小さな船に乗せるという目くらまし戦法をとっていましたが、これも時間が立つにつれバレてしまい、源氏はターゲットを間違えないようになってきました。

源氏が少しずつ挽回していくと平家方から源氏方へ裏切る者も相次ぎました。
そうして戦局はわずか1時間ほどで逆転してしまいます。

午後になると平家の者たちは敗戦を認識し、源氏の手にとらえられる前に死を選ぼうとします。
経盛と教盛、資盛と有盛、なども手をつないで一緒に水の中へ消えて行きました。

御座船では二位尼(平清盛の妻で安徳天皇の祖母時子)がまだ8歳の天皇を抱き三種の神器を身につけて入水しました。
つづいて建礼門院(安徳天皇の母で清盛と時子の娘、徳子)も飛び込んだのですが、彼女は衣服に飛んできた矢が刺さって沈めずにいた所を源氏の武将に引き上げられてしまいました。

源氏は安徳天皇がいるにも関わらず後白河法王との合議により京都で既に擁立していた新天皇(後鳥羽天皇)の地位を正統のものと天下に主張する為、三種の神器の捜索を必死に行いました。
しかし、勾玉と鏡は見つかったものの草薙剣は発見できませんでした。
そのため以後草薙剣は清涼殿昼御座の剣で代用することになります。

日本のオカルティストたちの中には、ここで剣が皇室の手から失われたことが、以後、剣の象徴である武士たちに政権を取られてしまったことを表していると指摘する人が多くあります。

(一説では鏡は別の女官が持って飛び込もうとしていたところを源氏の兵に抱き留められたとも。勾玉は波間に浮かんでいたのですぐに引き上げられたらしい。なお草薙剣の本体はそもそも熱田神宮にあり、安徳天皇が帯同していたのはその分霊です。同様に鏡の本体は伊勢神宮です。皇居に本体があるのは勾玉だけで、京都が首都であった時にはこの3つの神器の所在地がほぼ正三角形を構成していました)

あと少しの所で死にそこねた建礼門院はまだ29歳の若さでしたが尼となり、それから30年間の余生を京都大原寂光院で送りることになりました。
そこには後白河法王も気遣って訪問して、彼女を励ましました。

激戦の地壇ノ浦ではその後、漁師は正座して釣りをするようになったといいます。
その下に安徳天皇が眠っているからです。


中国自動車道全線開通(1983)
1983年3月24日 中国自動車道全線開通

中国自動車道も山陽新幹線もほんとに山の中を通っています。
とにかくトンネルが多く、この区間では車内での通信をする人が多いようです(新幹線の場合は走っている最中にメールを書き、駅に止まった所で送信する)。

工事もほんとに難工事だったのでは……


マネキンの日(3.24)
昭和3年(1928)3月24日、東京の上野公園で開かれた「大礼記念国産振興東京博覧会」で、高島屋呉服店が「マネキン」の陳列をおこないました。

ガラス越しに見えるサロン風セットの中に、絵筆を持った数人の女性が日本式の花嫁姿の女性とスペイン風の服を着た女性を写生している、という状態を再現したものですが、実はこれは人形ではなく人間のモデル。
時々わざと動いてみせる度に、てっきり人形と思っていた観客たちから歓声があがる、という趣向でした。
この手のパフォーマンスでは現代でもよく行われますが、昭和3年にこういうアバンギャルドなことを実行した高島屋はなかなか偉いですね。

むろん中にいるモデルさんたちに様々なファッションを着せて、販促のためにやっているわけですが、これをフランス語の「mannequin」と「招金」を兼ねて「マネキン」と称したそうです。

元々フランス語のmannequin(本当はマヌカンと発音する)にも陳列用の胴体模型(男性名詞)という意味とファッションモデル(女性名詞)という意味があるのですが、日本語のマネキンというのも、その後両方を兼ねるような感じの言葉として使われてきました。
ただ最近では「店頭で販促に携わる人」という所まで意味が押し広げられており、デパ地下などで試食販売などをしている人もマネキンと呼ばれているそうです。

なお陳列用の模型としてのマネキンなのですが、昭和初期以降、昭和40年代頃までは頭部まである人体模型が一般的だったのですが、昭和50年代後半くらいから頭部の無いものが好まれるようになります。
これは頭部があることにより、その服を自分が着た時のイメージを膨らませるのが阻害されるという声に応じたものでした。
今では昔風の、頭部まであるマネキン人形というのは、滅多に見られなくなりました。

なお、ファッションを身につけた女性を陳列したのは1919年の平和博覧会が最初だそうですが「マネキン」という言葉を使ったのはこの1928年の高島屋が最初のようですね。


春の社日(はるのしゃにち)
雑節の一つで、産土神を祀る日。
春と秋にあり、春のものを春社(しゅんしゃ、はるしゃ)、秋のものを秋社(しゅうしゃ、あきしゃ)ともいい社日は古代中国に由来し、「社」とは土地の守護神、土の神を意味する。
この日は産土神に参拝し、春には五穀の種を供えて豊作を祈願し、秋にはその年の収獲に感謝する。
また、春の社日に酒を呑むと耳が良くなるという風習があり、これを治聾酒(じろうしゅ)という。

産土神(うぶすなかみ)
うぶしなのかみ、うぶのかみとも読む。
生まれた土地を領有、守護する神。
あるいは本貫(先祖の発祥地)に祀られている神。

春社(しゅんしゃ、はるしゃ)
春分に最も近い(つちのえ)の日が社日となる。

秋社(しゅうしゃ、あきしゃ)
秋分に最も近い(つちのえ)の日が社日となる。

(ぼ、つちのえ)
十干の5番目。陰陽五行説では土性の陽に割り当てられており、ここから日本では「つちのえ」(土の兄)ともいう。方位では中央に宛てられ、時刻では午前4時ごろを指し、午前4時から午前6時までを戊夜(ぼや)という。

五穀(ごこく)
五種の主要な穀物のこと。
その内容は時代や地域によって違っており、一定していませんが、現代の日本においては、米・麦・粟・豆・黍(きび)または稗(ひえ)を指すことが多い。
また具体的な五種を指さず、「五穀豊穣」(穀物が豊かに実ること)のように穀物全般の総称として用いられることもある。


で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ



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