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3月 3日 雛祭り、桃の節句、耳の日(日本耳鼻咽喉科学会1956)、
平和の日(国際ペン東京大会1984)、三の日(日本三大協会)、金魚の日
花ノ名前 花ことば 誕生花として
クローブ 神聖・高貴 ×
ハナモモ 恋のとりこ・よい気立て ○
モモ(ピンク) 気立ての良さ・記念日 ○
レンゲ草 感化・私の幸福・心が和らぐ ○
∞…∞ 3月 3日・今日という日 ∞…∞
ステイシー・オリコ (1986) 歌手
橋本崇載 (1983) 将棋棋士
Eugene (1981) S.E.S
村田めぐみ (1981) タレント、メロン記念日
外ノ池亜希 (1979) スピードスケート
清隼一郎 (1977) 著述業、写真家
高畠 俊 (?) フロウズン、Bass Vo.
小松千春 (1974) 女優
あいざわかおり (1973) タレント
影崎由那 (1973) 漫画家 「かりん」
金子美香 (1969) タレント、歌手
本 秀康 (1969) イラストレーター
木幡美子 (1967) アナウンサー
小出広美 (1966) 歌手
ドラガン・ストイコビッチ (1965) サッカー
河合リツ子 (1964) 漫画家 「とっとこハム太郎」
米川英之 (1964) 元C-C-B
上田 現 (1963) レピッシュ、Key.
池田 恵 (1963) 漫画家
刀根麻理子 (1962) 歌手
岩城徳栄 (1961) 歌手
マッハ文朱 (1959) タレント、プロレス
栗田貫一 (1958) タレント
白倉ヒサオ (1955) タレント
ケント・デリカット (1955) タレント
是方博邦 (1955) ミュージシャン、野獣王国
ジーコ (1953) サッカー
大森一樹 (1952) 映画監督
竹中平蔵 (1951) 大学教授
藤原敏男 (1948) キックボクシング
黒土三男 (1947) 映画監督、放送作家
福岡 翼 (1941) レポーター
米田哲也 (1938) 野球
加藤 充 (1938) 元スパイダース
飛鳥ゆう (1937) 作家
天知 茂 (1931) 俳優
小島 功 (1928) 漫画家 「ヒゲとボイン」
茶川一郎 (1927) 俳優
村山富市 (1924) 政治家
玉川スミ (1921) 漫談家
中田ラケット (1920) 漫才師
高野素十 (1893) 俳人
坪田譲治 (1890) 童話作家
和田三造 (1883) 画家
正宗白鳥 (1879) 作家
岡 麓 (1877) 歌人
グラハム・ベル (1847) 発明家
蜀山人 (大田南畝、四方赤良) (1749) 狂歌師
筒井順慶 (1549) 戦国武将
後伏見天皇 (1288) 天皇
○ 武蔵野介源経基が上京して平将門の謀反を訴える(939)
○ 日本橋開通(1603)
○ 初めて勘定奉行を置く(1642)
○ ミズーリ州以外のルイジアナ購入地域36度30分以北で奴隷制を廃止する(ミズーリ協定)(1820)
○ 日米和親条約調印(1854)
○ 水戸藩・薩摩藩の連合襲撃隊が井伊直弼を暗殺(桜田門外の変)(1860)
○ ロシア帝国、農奴解放(1861)
○ ビゼーの「カルメン」、パリで初演(1875)
○ 全国水平社創立(1922)
○ 三陸沖地震発生。犠牲者3008人、流失・倒壊家屋合わせて7263戸の被害(1933)
○ 物価統制令を施行、戦後経済の混乱に対処(1946)
○ 国立大学一期校、機動隊の警備下で入試実施(1969)
雛祭り(ひなまつり)
3月3日に行われる雛祭りが今日のような形式になったのは江戸時代の初め頃。
5節句のひとつとして女の子の節句となり、雛も15体揃い、婚礼の調度を模して豪華なものとなった。
桃の花を供え、白酒を飲むのがお決まり。
室町時代の末頃から始まったといわれています。
寛永六年(1629)、京都の御所で盛大なひな祭りがおこなわれたのをきっかけに、幕府や大奥でもひな祭りをおこなうようにり、やがて武士階級から町人へ、江戸から地方へと広まってゆきました。
江戸時代の中期ごろ、女の子の誕生を祝って初節句にひな人形を飾る風習も生まれ、豪華なものも作られるようになりました。
明治時代になって、旧来の節句行事を廃止して、新しい祝祭日が設けられました。
ひなまつりのお菓子としては菱餅、引千切(ひちぎり)などを供えます。
上巳の節供(じょうしのせっく)(桃の節供・雛祭り)
上巳の節供は五節供の一つ。元々は3月上旬の巳の日であったが後に3月3日に行われるようになった。
旧暦では3月3日は桃の花が咲く季節であることから「桃の節句」とも言われる。
古来中国では、上巳の日に川で身を清め不浄を祓う習慣があり、これが平安時代に日本に取り入れられた。
後に紙で小さな人の形(形代)を作ってそれに穢れを移し川や海に流して不浄を祓うようになった。
この風習は、現在でも「流し雛」として各地に残っている。
桃の咲く時期に重なる事もあり、『桃の節句』とも言われます。
「上巳」とは、陰暦3月の最初の巳(み)の日の事を指します。
中国では川のほとりに男女が集まり、災厄を祓う「上巳の祓い」という行事がおこなわれていました。
文人は川の上流から盃を流して、自分のところに流れ着くまでに詩を作るという曲水の宴を催したのです。
この上巳の祓いは、魏の時代には3月3日におこなわれるようになり、やがて日本でもこの日に曲水の宴を催すことになったということです。
古来の日本では、巳の日の祓いとして草や紙で「ひとがた」という人の形をつくり、災いを払うために川や海に流していました。
やがて中世になると人形が現れ、平安時代宮中では「ひいな遊び」というお人形遊びが盛んになりました。
この「ひとがた」と「ひいな遊び」が自然に結びつき、今のひな祭りになったといわれます。
「ひとがた」でけがれを祓う上巳の節句が、現在のような女の子のおまつり(ひな祭り)になったのは、意外に近年になってからです。
引千切(ひちぎり)
よもぎ餅や求肥をひしゃく型に作り、柄をひきちぎったような形にしたもののくぼみの部分に餡やきんとんをのせた生菓子で、京都では女の子が誕生すると贈られたと伝えられています。京都のひな祭り独特のお菓子です。
闘鶏の節供
宮中では平安時代から旧暦の3月3日に闘鶏が行われていました。
金魚の日
江戸時代に雛祭りの時に金魚を一緒に飾ったことから。日本鑑賞魚振興会が制定。
結納の日
結婚式の「三三九度」からもじったもの。全国結納品組合連合会が制定。
三の日
三種の神器、三大祭、日本三景など、「三」で括られることが多いが、その「三」について研究している、日本三大協会が1993年(平成5年)に制定。
耳の日
3月3日をミミと読む語呂合せから1957年(昭和32年)より実施されている。
耳の衛生についての知識の普及、聴覚障害の予防・治療などの理解を深めるのが目的。
女のゼネストの日
1997年(平成9年)に全国各地の市民グループの実行委員会が女のゼネストを実施したことによる。
家庭や職場で女性の労働が、社会を支えていることを訴える日。この日が女の子の節句であることから。
平和の日
1984年(昭和59年)の5月に第47回国際ペン東京大会で日本ペンクラブが「世界中のペンセンターで平和を願うキャンペーンを行なう」ことを提案。
翌年のユーゴ大会において日本が「3月3日の雛祭りが平和の象徴としてふさわしい」と提唱し、決定。
桃の日
1999(平成11)年に日本たばこ産業(JT)が、同社の製品「桃の天然水」のPRの為に制定。
解放記念日(ブルガリア)
立子忌
高浜虚子の子で『玉藻』を主宰した俳人・星野立子の1984(昭和59)年の忌日。
で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ
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