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2月 6日 海苔の日(全国海苔貝類漁業協同組合連合会1967)
     大沼・函館雪と氷の祭典(5,6日)

花ノ名前      花ことば            誕生花として
アブラナ(菜の花) 競争・快活           ○
イワレンゲ     豊かな才能・家事に勤勉     ○
スミレ(黄)    つつましい幸せ・田園の喜び   ○
バンダイソウ    快活・陽気な振るまい      ×
カランコエ     たくさんの小さな思い出     ×
ギョリュウバイ(御柳梅)克己            ×
ナノハナ(菜の花) 快活              ×

∞…∞ 2月6日・今日という日 ∞…∞

市原隼人   (1987)  俳優
竹井詩織里   (1985)  歌手
加藤条治   (1985)  スピードスケート
りんね (戸田鈴音)   (1981)  タレント、元カントリー娘。
能登麻美子   (1980)  声優
中田ヤスタカ   (1980)  capsule、音楽プロデューサー
牧野晴歌   (1980)  タレント
阿佐亮介   (1978)  UNDERGRAPH、G.
千代天山大八郎   (1976)  相撲
田村欣子   (1976)  プロレス
川瀬智子   (1975)  the brilliant green、Vo.
具志堅ティナ   (1975)  タレント
鈴木美恵   (1974)  女優
横田真一   (1972)  ゴルフ
ディネッシ・チャンド   (1972)  ゴルフ
阿部 潤   (1972)  漫画家
遠藤 愛   (1971)  テニス
島川 学   (1971)  タレント、へびいちご
福山雅治   (1969)  歌手、俳優
坂井泉水   (1969)  ZARD、Vo.
結城未来   (1969)  タレント、女優
水沢 蛍   (1968)  タレント
大槻ケンヂ   (1966)  歌手、筋肉少女帯、特撮、Vo.
石塚英彦   (1962)  タレント、ホンジャマカ
アクセル・ローズ   (1962)  ガンズアンドローゼズ、Vo.
横山輝一   (1961)  歌手
ミミ萩原   (1956)  プロレス
奥泉 光   (1956)  作家
高村 薫   (1953)  作家
キャシー中島   (1952)  タレント
KEITH   (1952)  ARB、Dr.
吾妻ひでお   (1950)  漫画家 「ふたりと5人」
ボブ・マーリィ   (1945)  歌手
津嘉山正種   (1944)  声優
梅本さちお   (1943)  漫画家 「アパッチ野球軍」
矢沢 透   (1941)  アリス、Dr.
デヴィ夫人   (1940)  元インドネシア大統領夫人
フランソワ・ドリュフォー   (1932)  映画監督
式 貴士   (1933)  作家
寿美花代   (1932)  女優
吉田 旺   (1931)  作曲家
梅本育子   (1930)  作家
大川慶次郎   (1929)  競馬評論家
三木多聞   (1929)  美術評論家
村上允俊   (1929)  リポーター
中西積介   (1926)  政治家
中山悌一   (1920)  声楽家
やなせたかし   (1919)  漫画家 「アンパンマン」
ドナルド・レーガン   (1912)  アメリカ大統領
エヴァ・ブラウン   (1912)  ヒトラー夫人
原健三郎   (1907)  政治家
亀井勝一郎   (1907)  評論家
岸田日出刀   (1899)  建築家
ベーブ・ルース   (1895)  野球
井上 毅   (1844)  政治家
松浦武四郎   (1818)  探検家
豊臣秀吉   (1537)  戦国武将、関白

 ○ アンパンマンの誕生日は、やなせたかしの誕生日と同じ2月6日であるとされている。これはやなせが子供にアンパンマンの誕生日を聞かれ困ったときに自分の誕生日を言ったことに由来する。
 ○ フランスがアメリカ合衆国を承認(1778)
 ○ ワイタンギ条約締結でニュージーランド、英領に(1840)
 ○ 日本政府がロシアに国交断絶を通告(1904)
 ○ ワシントン海軍軍縮条約、中国に関する9か国条約が調印(1922)
 ○ パリで極右ファシスト団体が警官隊と衝突(1934)
 ○ NHK初プロレス中継(1946)
 ○ 帝劇第1回ミュージカル開催(1951)
 ○ 週間新潮創刊(1956)
 ○ 新潮社「週間新潮」創刊(1956)
 ○ 海苔の日(1967)全国海苔貝類漁業協同組合連合会制定
 ○ 遠藤愛(テニス選手1971)
 ○ カリフォルニア工科大学、ブラックホール発見(1979)
 ○ レバノン内戦勃発(1984)

抹茶の日
愛知県の西尾市茶業振興協議会が西尾茶創業120年を記念して制定。
茶道で釜をかけて湯をわかす道具「風炉」から「ふ(2)ろ(6)」の語呂合せ。

海苔の日
1967年(昭和42年)に、全国海苔貝類漁業協同組合連合会が制定した日で、海苔の需要拡大を目指したPRデー。
701年の(大宝元年)制定の大宝律令で、海苔が年貢のひとつに指定されたことに基づき、翌年の律令施行日が2月6日だったため、この日になったという。

句仏忌
東本願寺23代法主で俳人の大谷光演(彰如)の1943(昭和18)年の忌日。






新宮市お燈祭(2.6)
毎年2月6日には和歌山県新宮市でお燈祭が行われます。
これは熊野三社のひとつである熊野速玉神社と神倉神社を舞台にするものです。
速玉神社は一般に「新宮(しんぐう)」と呼ばれ、市の名前もそこから出ているのですが、元々この神社はこの神倉神社の浜宮として作られたもので、それゆえに本体の神倉神社に対して「あらたみや」であるわけです。

祭りの進行としてはまず速玉神社の神官たちが行列を作って長い階段を登り神倉神社に赴き、そこで大きなたいまつを2個作ります。
そこに一般の大勢の参加者(男性限定)が集まり、そのたいまつの火をわけてもらって一斉にこの神社の階段-538段-を駆け下ります。
遠くからみるとまるで火の滝が落ちてくるような感じになるそうです。
今では安全に充分気を配っているとは思いますが、昔は結構けが人や死人も出た祭りではないでしょうか。

神倉神社のご神体はこの神社の上にある大きな陽石「ゴトビキ岩」で、ここは男神の神社。
荒々しいエネルギーが神様にパワーをチャージします。
階段は源頼朝の寄進といわれています。





海苔の日(2.6)
2月6日は「海苔の日」です。

この手の記念日というのはしばしば語呂合わせでできているのですが、これは古い言われから来たものだそうで、大宝2年(702)の今日、有名な大宝律令が発布され、その中で海苔を租税品の一つとして指定されていたことにちなんでいます。
全国海苔貝類漁業協同組合連合会が1966年に制定したものです。

日本では海苔は5世紀頃には既に食べられていたということですが、海苔の生態が分かったのは近年で、1949年にイギリスの海藻学者ドルーが海苔の胞子が海底の貝殻に付着してカビ状になることを発見、1951年に東北海区水産研究所の黒木宗尚がその胞子が貝殻から出て再び海苔になることを確認してやっと海苔の「正体」が判明しました。

これらの研究をベースに1957年頃から海苔の養殖が始まり、今では海苔は日本で数少ない完全自給食品の一つとなっています。
むしろ生産過剰にならないように計画的に生産が行われています。

現在、味付け海苔などとして食べられている海苔は主に紅藻類ウシケノリ科アマノリ属のアサクサノリとスサビノリというものだそうで、ビタミンB1やβカロチン、食物繊維、鉄分に、カルシウム・ヨウド、またコレステロール低下に有効とされるEPAなどが含まれています。
ひじょうに良質の健康食品であるようです。






八幡製鐵所設置(1897)
明治30年2月6日、八幡製鐵所の建設工事が始まりました。(2月5日説あり)

最初に「鐵」という字ですが、戦後は当用漢字制限のため「鉄」という字で代用されることが多いのですが、国鐵が国鉄になったら「金を失って赤字になった」ともいわれるくらいであまりいい字ではないかも知れません。
正式には「鐵」です。
つくりはテツ(tie)という音を表しています。

鐵は自然界に多数存在する元素であり、人間の体の中でも重要な働きをする成分です。
そのままでは弱いのですが微量の炭素(1.7%以下)と結合させた「鋼(はがね)」にすると、ひじょうに丈夫で、刃物・建築素材・船や自動車などの素材として、多く使われています。
ここ2000年ほどの人類の歴史においては必要不可欠の素材です。

製鉄という工業は、大雑把に言えば、最初に鉄鉱石をコークスと石灰石と共に2000度の高温で熱し不純物を取り去る工程と、その後その工程の為に大量に含まれることになった炭素を減らしてより丈夫な鋼にする工程とに分かれます。
前者を行うのが高炉、後者を行うのが転炉です。
高炉は一度火を落としてしまうと再度高温にするのが大変であり、メンテもかかるので、通常、必要があるなしに関わらず、ずっと運転を続ける必要があります。

そのためには、製鉄の素材となる鉄鉱石・石炭・石灰が安定して供給できる場所に製鉄所を作ることが求められました。
当時日本は日清戦争に勝利して中国に対する強い影響力を持ち始めた所で、中国から多額の賠償金も得ており、中国から鉄を輸入し、筑豊で取れた石炭、山口県で取れた石灰を集めて高炉を運営できる場所として、北九州の地は最適の土地でした。

この製鐵所は明治28年頃から計画が本格化し、明治29年に国会で承認を得て明治30年から工事開始。明治34年2月5日に初めての火入れ式が行われました。
本格的な操業は同年11月18日になります。

この製鐵所はいわば日本の近代技術発展のシンボルであり、明治後半以降産業界をリードしていくことになる重工業の中心的存在でした。
その後他の場所にも建設された製鉄所と合わせて日本製鐵株式会社となりますが、戦後は巨大すぎるとしていったん分割。しかし昭和45年に再統合され新日鐵となって現在に至っています。
現在は高炉は生産調整がしにくいため運営されておらず、電気式の溶解炉が使用されており、その電気は佐賀県呼子町の玄海原子力発電所からはるばる引かれてきています。






トルコ風呂第1号店(1971)
トルコ風呂(トルコぶろ)は、字義どおりにはトルコ風の浴場という意味である。

一般的には、中東の都市でみられる伝統的な公衆浴場であるハンマームを指すことを意図する名詞であるとみなされるが、特に日本では、かつて個室付特殊浴場(ソープランド)の通称として「トルコ風呂」の語が使われていた。
しかし、1984年にトルコ人留学生であったヌスレット・サンジャクリの抗議運動がきっかけになって「ソープランド」と改称された。
それから年月が経過した昨今では、性風俗用語としての「トルコ風呂」の名も忘れ去られつつある。

現在では「ソープ」と改名された.

古くは、1932年(昭和7年)に発表された横光利一の小説『上海』に「トルコ風呂」についての記述がある。
女性がマッサージをする蒸し風呂が当時の上海にあり、日本でも知られていた。

中東地域の伝統的な公衆浴場(ハマム)は蒸し風呂(スチーム・サウナ)で、中では垢すりのサービスが行われていたので、これが20世紀初頭まで中東随一の大国であったトルコの名前で日本に紹介されたものとみられている。
女性がマッサージを行う個室浴場の店舗としての「トルコ風呂」が日本で初めて誕生したのは、1951年(昭和26年)4月1日に東京都中央区東銀座に開店した東京温泉である。
経営者は現代史の怪人とも呼ばれる許斐氏利で、射撃の日本代表選手として海外渡航した際にスチーム・サウナに感動し日本初の「トルコ風呂」を開業したという。
サウナ施設がメインで、女性(ミストルコ)がマッサージサービスを行うもので、女性は着衣のまま性的なサービスも厳禁、その後も同店はこの姿勢を崩さなかった。

「トルコ風呂」の第一号店は1971年2月6日に雄琴温泉にオープンしたのが最初とされます。
東京の吉原は別格として、滋賀県の雄琴は1970〜1980年代頃は「東の雄琴・西の嬉野」として佐賀県の嬉野温泉と並ぶこの手の営業形態の店が多い町として知られていました。
この手の店で働く女性たちも、最近では割り切っている人が多いようですが昔はいろいろと悲劇的な話を耳にしたものです。

諸外国では売春営業は酒場形態と合体しているものが多く、その筋に詳しい人によれば「外国の酒場は値段が高くて女の子がいてセックスOKの店と、女の子は置いてなくて安い店に分かれている」ということだそうです。
日本のキャバレー・クラブなどのように、やたら高いのに女の子にタッチするのも原則禁止で、一緒に店を出てもタクシーに同乗まではしても何もないまま「じゃサヨナラ。楽しかったわ」などというのは、外国人には理解できないシステムであるともいいます。

私の友人の男性も某近隣国に行った時お酒を飲みに手近な店に入りそろそろ帰ろうかと立ち上がったら、もう女の子が付いてくる態勢で、それで初めて気づいて「いや、別にそのつもりはないのだけど」と言ったら、向こうは想定外のことで大騒ぎになったという話でした。
結局少し通常料金より割安にしてもらったそうです。

日本では江戸時代、江戸の吉原などのように公認された売春地区がある一方その他の地区では基本的にこのような営業行為は禁止されていたのですが、それでも岡場所・水茶屋・船宿などでの非公認で安い店が多くありました。
そしてむしろ吉原などはお金持ちがとんでもない料金を払って遊ぶ場所ということになっていました。
そのため吉原の遊女の教養は高く、高い芸能技能も持っていて、それは大きな文化の拠点にもなっていました。
そこへ来る客の客層から考えても、そこではむしろ性行為は付け足しの部類で、どちらかというと会話を楽しんだりすることが主目的。
そういう意味では現在のキャバレー文化のルーツのひとつなのかも知れません。
(キャバレーは一般には平安時代の宮廷の接待所がルーツと言われる。これは女性がお酒を出して接待するが、基本的に女の子へのタッチは不可だったらしい)

終戦直後、日本政府はやってくる進駐軍に一般の女性が暴行されるのを少しでも防ごうと、ボランティアを募って米軍兵士用の慰安施設を作りますが、GHQは直ちに全兵士にこの施設への立入りを禁止すると共に、政府に公娼制度を全て廃止するよう求めました。

このため基本的に日本国内の売春行為は全て非合法となったのですが、その時に生まれたのが「赤線」「青線」です。
これは決して公開されたものではなかったのですが、警察内の地図の上で赤い線・青い線で囲まれた地域で、赤線の中は警察が黙認している売春地帯、青線の中は黙認はしていないけど実際には売春行為が行われている地域ということになっていました。
それがどの区域であるかは、多くの人が知っていました。

しかし戦後誕生した女性の国会議員などを中心に女性の権利を回復する立場から売春を禁止する法律が策定され、1956年ついに画期的な売春禁止法が制定されます(翌1957年施行)。
これによって赤線・青線も消滅し、全ての売春営業は禁止されるのですが、概してこの法律は「ザル法」と言われています。個人的な恋愛まで禁止することはできない、という言い訳が堂々と横行して現在に至っていますが、確かに表立っての売春営業はできなくなりました。
代わって色々と登場してきたのが、世界にも例を見ない「風俗」という営業形態です。

売春防止法で禁止しているのは「対償を受け又は受ける約束で不特定の相手方と性交する」行為で、この「性交」という単語は日本の法律解釈上では、男性の陰茎の先端が女性の膣口を通過することとされています。
従ってそれをしない限りこの法律には違反しないということになります。

現在巷にあふれている性風俗でおこなわれているのは最もディープなのが素股とアナルセックスですが、もっと一般的なのは、口や手で行かせる方法です。
しかしそういう直接の接触を伴わない形態も人気があります。
昨年の新宿の火事で多数の死者を出した店の場合は、(双方服を着たまま)女の子が座っている客の男性の上にまたがって腰を動かすだけで、こういう形態は、客の側も罪悪感があまりなく、働いている女性側も体を売っているわけではないという気持ちから抵抗感が少ないようで、繁盛しているようです。

だいたい現在行われている性風俗を大別すると次のようになります。
ただしこういう分類はどんどんお互いに判別不能になりつつあるようです。

ピンサロ
たくさん人がいる中で、男性の客はズボンだけおろして手や口でせめるもの。
1回のサービス時間帯の中で女の子が交替する「花びら回転」はこの系統の店が始めたものと思われる。

性感マッサージ
本来は女性がキャミソール姿でサービスする店で、前立腺マッサージを行うことからこの名前があるが最近は直接性器への刺激も取り入れている所が多いらしい。

ファッションヘルス
個室で女の子とお酒を飲み歓談し、シャワーを浴びた上で口と手でせめるもの。
ファッションとは性感マッサージがテクニック重視なのに対して、こちらは女の子の容貌重視路線ということ。

性感ヘルス
性感マッサージとファッションヘルスの中間路線と思われるが最近では事実上判別不能らしい。

イメクラ
1990年頃から登場してきた新しい形態で、コスプレにより仮想のシチュエーションでのプレイを行うところ。

マントル・ホテトル
マンションやホテルの一室やを使用したもの。
地下に潜っているため実態の把握は不可能。
ホテトルの中には客が元々泊まっているホテルに出向く所もあり、その形態は次項と区別不能。

デリヘル・デートクラブ
客の自宅や泊まっているホテルに出張してサービスするもの。
細かい好みに合せた女の子を用意していて、やってきた女の子が好みでない場合チェンジ可能。
1999年の風営法改正で届出制になった。
サービス内容は店によるが本番は含まれていない場合が多い。
最近はイメクラ的要素が強くなってきているとも。

SMクラブ
SM行為を主とするものだが概してMの男性客がS役の女性スタッフに従属プレイをするものが多い。

ニューハーフヘルス
ニューハーフの人がサービスをしているもの。
売春防止法の規定に縛られないので自由なプレイが可能なのが特徴。
しかし竿有のスタッフとの逆アナルプレイ、女性客との本番行為なども見受けられるらしい。
サービス内容は店により相当違うもよう。

直接性器への接触がない形態の店 前述新宿の問題の店のようなタイプのサービスをする所。
また紙製の服を女の子に着せて客に破らせる所、国会や芸能界まで騒然となったノーパンしゃぶしゃぶ、単に薄着や上半身裸の女の子が給仕していてタッチは不可の所など色々な形態があります。
多分この手のルーツは1980年頃に登場したノーパン喫茶か?

そして、ソープですが、基本的には特殊な形態の浴場営業ということになっており、基本的にはサウナを装備していることとドアに窓があることが条件ですが実際サウナを使う客は皆無とのこと。
室内の行為まで店は知らないというのが建前ですが、一部のぼったくり店を除いては、本番(性交)まであるのが基本です。
そこで「入浴料」をフロントに渡し「サービス料」を女の子に渡す方式になっているものが多いそうです。
女の子の取り分は昔は半々から3分の2と言われていましたが、近年不況のあおりで料金をさげている所が多く、値下げ分はふつう店の負担なので8〜9割が女の子の取り分になっている所もあるそうです。

浴場の分類なので、保健所の管轄で、保健所では基本的に新規の届け出は認可しない方針らしいのですが、既存店の支店を出すといった形を取る、抜け道が横行しているとのことです。
ただし営業可能な地域は各地区ごとに厳しく定められていて、地域外での出店は不可能です。

経営者には現在3パターンあり、古くから代々こういう営業形態をしている所、長くソープ嬢として働いていた人が、お金をためて独立し、自分の店を持ったところ。
こういう店は概して、女の子の教育がしっかりしていて技術が良いらしいです。
そしてもうひとつが他の風俗営業から転換してきた所です。
しかし逆に、ソープでは単価が高くて客が集まらないとしてソープからニューヘルスに転換する所も多いといわれています。
料金は以前は3〜15万円くらいと言われたのですが、不況のせいで1万円のソープというのも登場しているようです。

ソープで行われるプレイは、即尺から泡踊り、スケベ椅子、マットプレイ、そしてベッドでの本番などといったもので時間的には1〜2時間ですが、低料金の所の場合は途中が省略され時間も30分くらいの所もあるそうです。
一時期はソープの名物ともいわれた穴の開いたスケベ椅子は最近は少なくなってきたという話もありますがよく分かりません。

働いている女の子側の事情ですが、昔のように悲壮感のあるケースは本当に少なくなっているようで、現代では援助交際などにも象徴されるように売春というのは女性の権利の保護という観点では捉えられなくなってきています。
ソープの場合、概して普通の風俗店で働いていたのが、もっと稼ぎたいということで、こちらに移ってくる場合が多いといいます。
風俗の女の子達がひとつの店に短期間しか勤めないケースが多く、概して「上手でない」ことが多いのに対して、ソープは他の風俗店に比べると定着率が高いともいわれ、技術的に高い子もいるそうです。
それでもやはり体力を使う仕事ですので、1年程度でやめる人が多いともいいますが、中には何年も続ける人もあり、また概して経験が長くなると次第に地方に移動していき、ある程度の年齢になると自分の故郷に近い(正確には微妙に距離がある)歓楽街で働く人がよくあるといいます。
ということで田舎の温泉場などになるとこの道40年・50年などというベテランの泡姫様もおられるとか。

なお、男性客に女性スタッフがサービスする営業形態が多く、女性客に男性スタッフがサービスする形態の店が少ないのは、社会的にお金の自由の利く人に男性の方が女性より多いという問題と、女性の客は不用意な妊娠を恐れてこういう所に出入りしないという問題がありそうに思われます。
男は愛と性が別だが、女は連動しているので愛のないセックスは楽しくないという説もありますが、それは私は俗説ではないかと思います。

昔は性的なクライマックスを知らない女性が多く(要するに下手な男が世の中多い)わざわざお金を払って何をするのさ、という人も多かったようですが、最近は雑誌やネットでの情報交換により、女性でも充分快感が楽しめるのだということを知る女性が増えて、次第に女性客向けの店の率も増えてきているのではないかと思います。
しかしそれよりも男達も、もっと普段のナイトライフの中で奥さんや恋人をもっと楽しませてもらいたいものです。

(別にこういった店を増やせといっている訳ではありません、念のため)

売春営業というのはある意味では消していくべきものなのかも知れませんが、アメリカの禁酒法のように、人間というものはあまり厳しく枠をはめようとすると、かえって良くない反発が生まれます。
全ての人が清廉潔白であればこの世は平和なのかも知れませんが、清廉潔白を強要すれば我慢できなくてもっとひどいことを始める人もあります。
基本的には違法だが、度を過ぎないものは黙認されている。
そして妻や恋人のいる男性がこういう所に行ったらその妻や恋人から最悪愛想を尽かされる、という今の日本の状況などが、比較的妥当な落し所なのかも知れません。



で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ






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