戻る ▲トップページ
12月20日 シーラカンスの日・鰤の日
花ノ名前 花ことば 誕生花として
アイビー 友情・死んでも離れない・永遠の愛 ○
クンシラン 貴い・幸せを呼ぶ ×
ザクロノ実 子孫の守護 ×
シロバナロウバイ 同情 ○
パイナップル あなたは完璧・完全無欠 ○
∞…∞12月20日・今日という日 ∞…∞
YOSHIKA (1983) 歌手
倉貫匡弘 (1982) 俳優
松本賢一 (1979) ロードオブメジャー、Bass
増川弘明 (1979) BUMP OF CHICKEN、G.
いしいその (1975) バスフィッシングプロ
Die (1974) Dir en grey、G.
桜井幸子 (1973) 女優
市井由理 (1972) タレント
力皇 猛 (力桜) (1972) プロレス、相撲
浅越ゴエ (1972) タレント、ザ・プラン9
片岡礼子 (1971) タレント
マーク・バルデス (1971) 野球
吉岡 忍 (1970) 歌手
井上睦都実 (1970) 歌手
池森秀一 (1969) DEEN、Vo.
横山智佐 (1969) 声優
荻原健司 (1969) スキー、複合
荻原次晴 (1969) スキー、複合
アルベルト・トンバ (1966) スキー、回転
冬馬由美 (1966) 声優
新井つねひろ (1964) 俳優
三井比佐子 (1963) 歌手
中山竹通 (1959) マラソン
桂小米朝 (1958) 落語家
平田淳嗣 (1956) プロレス
野田秀樹 (1955) 演出家
トミー・スナイダー (1952) ゴダイゴ、Dr.
飯島和一 (1952) 作家
鈴木 茂 (1951) 元はっぴいえんど
本郷直樹 (1950) 歌手、俳優
増田寛也 (1951) 政治家、岩手県知事
加藤 初 (1949) 野球
内田光子 (1948) ピアニスト
大矢明彦 (1947) 野球
黒澤久雄 (1946) タレント
ユリ・ゲラー (1946) 超能力者
ピーター・クリス (1945) KISS、Dr. Vo.
タイガー立石 (1941) 漫画家
蛭田史郎 (1941) 旭化成社長
辻 佳紀 (1940) 野球
野口悠紀雄 (1940) 経済学者
沢りつお (1935) 声優
金 泳三 (キム・ヨンサム) (1927) 韓国大統領
五味康祐 (1921) 作家
藤本定義 (1904) 野球
天知俊一 (1903) 野球
出羽ヶ嶽文治郎 (1902) 相撲
尾崎 翠 (1896) 作家
北里柴三郎 (1852) 細菌学者
レオポルド・フォン・ランケ (1795) 歴史家
野呂元丈 (1694) 医学者
○ 鑑真、6度目の渡航で日本に到着。唐招提寺を開基。建築・彫刻・医薬などを指導(753)
○ ルイ・ナポレオンがフランス大統領に(1848)
○ 津軽海峡で最初の霧笛鳴る。本州東海岸の尻屋崎灯台に設置(1879)
○ 年賀状郵便の特別扱いが始る(1899)
○ 伊藤博文が統監となり韓国統監府を置く(1905)
○ 東京駅開業により東海道本線起点が新橋から変更(1914)
○ 大森貝塚を発見したモース没。87歳(1925)
○ 日本著作権協議会が結成(1949)
○ 東京・青山に初のボウリング場(1952)
○ プレスリー、兵役に(1957)
○ 南ベトナム解放民族戦線結成(1960)
○ 沖縄ゴザ市で、市民5千人と米兵が衝突する(ゴザ事件)(1970)
道路交通法施行記念日
1960年(昭和35年)の今日、道路交通法が施行されたのを記念する日。
果ての二十日
12月のこの日は「忌み日」とされ、外出や仕事がさけられた。
山に入ることが避けられる地域もある。
デパート開業の日
日本初のデパートが開業した日。
1904年(明治37年)東京・日本橋の三井呉服店が三越呉服店と改称しデパートとしてスタートした。
シーラカンスの日
1952(昭和27)年、7500万年前に絶滅したとされていたシーラカンスがアフリカ・マダガスカル島沖で捕獲され学術調査が行われた。
1938(昭和13)年に南アフリカで捕獲されて生存は確認されていたが、学術調査が行われたのは初めて。
マージャンの日(毎月第3木曜)
霧笛記念日
1879年(明治12年)のこの日、霧深い津軽海峡にある青森県尻屋崎灯台に、日本で初めて霧笛が設置された(1994年に霧笛は廃止)。
この灯台の光達距離は約34キロメートルにおよぶ。国内最大級。
鰤の日
FM長野の番組の中で提唱。
12月(師走)は「鰤」が魚篇に師と書くことから。
20日は「ぶ(2)り(0)」の語呂合せ。
劉生忌
洋画家・岸田劉生の1929(昭和4)年の忌日。
石鼎忌
俳人・原石鼎の1951(昭和26)年の忌日。
霧笛記念日(12.20)
明治12年(1879)12月20日、青森県下北半島北東端の尻屋崎燈台に日本で初めての霧笛(むてき,Foghorn)が設置されました。
下北半島は「まさかり」の形をしていますが、まさかりの刃の側の上端が大間、下端が脇ノ沢、そして柄の側の上端が尻屋になります。
北海道の納沙布岬などと同様に船にとっては昔から難所とされた場所で、あまりにも難破する船が多いことから「名難崎」とも呼ばれていました。
ここの灯台は明治9年に東北地方で最初の灯台として建設されましたものです。
(納沙布岬灯台がこの少し前の明治5年。なお納沙布岬灯台も尻屋崎灯台もイギリスのHenry Brunton(1841-1901)が設計したものです)
霧笛は霧が出やすく灯台の明かりが見えにくくなる灯台に設置が広まったもので、現在霧笛を出す灯台が20弱残っているようです。
ただ最近は電波による位置の確認技術が進んでいるため霧信号所を廃止する所が多くなっており、この尻屋崎灯台の霧笛も1994年に廃止されてしまいました。
佐倉宗吾の直訴(1653)
承応2年(1653,一説では承応元年)12月20日、下総国佐倉藩印旛郡の君津村・名主総代・木内宗吾(惣吾,宗五郎,などなどとも)が、上野東叡山寛永寺に墓参りの4代将軍家綱に直訴を行いました。
当時佐倉では数年来の不作により大変な飢饉に襲われていました。
しかし藩は年貢を緩めることはなく、足りない分を名主が財産を処分して代理で納めてもなお足りず、結果的に滞納になった農家には厳しい処分が行われました。
この事態に宗吾は他の名主とともに、窮状を訴えせめて処分だけでも免除して欲しいと藩に申し出ますが、却下されてしまいます。
ここに至り、宗吾は将軍様に直訴する以外ないとして、この日の行動になりました。
最初は宗吾のほか数名の名主が共同で直訴すると言っていたのですが、将軍様への直訴は超御禁制のこと。
死罪は免れがたい上、多人数での行動は目立つとして宗吾一人で行動することになります。
また直訴に先だって宗吾は妻を離縁、子供たちとともに実家に帰しました。
当時農民がその土地を離れることは、お伊勢参りのような特殊な場合を除いては絶対に不可能なことです。
宗吾はあくまで隠密に行動。印旛沼の渡し守・甚兵衛もこれに協力して、本来渡してはいけない沼を死罪覚悟で渡し、宗吾を送り出しました。
将軍様の行列が通りかかります。
先導する武士たちが行きすぎて将軍様の駕籠が目の前に来た所で宗吾は飛び出しました。
「お願いで御座います、お願いで御座います」
一瞬、将軍の駕籠が止まります。
直ちに宗吾は取り押さえられます。駕籠の中の家綱がそばに控えていた者に短い指示を出します。
訴状はその者が取り上げ、宗吾は拘束されました。
そして将軍の駕籠が再び動きだし、行列は何事もなかったかのように継続されました。
墓参りが終わった後、家綱は訴状の内容を確認、ただちに佐倉藩の状況を調査報告するよう命じました。
そして佐倉藩の深刻な不作が確認され、そのあと3年間年貢の減免が行われます。
農民たちは救われたのです。
しかし宗吾は当然のことながら死罪と決まりました。
佐倉藩中の名主たちが助命を嘆願しますが認められず、翌年9月3日、君津村にて磔。
村中の者が合掌し念仏を唱えました。
なお、妻子も一緒に磔にされたという説もありますが、親戚預けになったという説の方を採っておきたいと思います。
この木内宗吾(通称佐倉宗吾)の処刑の地の後には、現在宗吾霊堂(鳴鐘山東勝寺,千葉県成田市)が建っており、参拝の人は今も絶えません。
彼の物語は歌舞伎や講談などでも語られています。
北里柴三郎(1852-1931)
細菌学者・北里柴三郎は嘉永5年(1852)12月20日、熊本県の北里村で生まれました。
村の寺子屋に通い、明治維新後熊本市に出て、熊本医学所病院に入学。
ここでオランダ人医学者マンスフェルトの教えを受けます。
明治8年(1875)22歳で東京医学校に入学、卒業後内務省に勤務した後ドイツ留学。
ここでコッホと出会い、コッホ研究所で本格的な細菌学の研究に従事しました。
1889年破傷風菌の純粋培養に成功、翌年破傷風免疫体を発見して、血清療法の基礎を築きました。
この時代にジフテリアの血清療法についてエミール・ベーリングと共同研究をしていますが、この研究に対して後1901年にノーベル賞が贈られるのですが、何故か受賞者はベーリングだけで北里は外れてしまいました。
ノーベル賞は時々こういう不思議な選別をすることがあります。
明治25年(1892)の帰国後、福沢諭吉らの援助により伝染病研究所を設立、ここで野口英世なども学んでいます。
大正2年には日本結核予防協会を設立。
大正3年北里研究所設立。大正6年慶応の医学部創設に伴い初代科長に就任。
大正12年には日本医師会を設立して初代会長に就任。
昭和6年(1931)6月13日、東京麻布の自宅で死去。享年78歳。
で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ
▲このページの先頭へ戻る
戻る ▲トップページ