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12月18日 国連加盟記念日(外務省)、納めの観音、頭髪の日(毎月)、米食の日(毎月)
花ノ名前 花ことば 誕生花として
サイネリア(白) 望みある悩み ○
セージ 家庭の幸福・家庭の徳・家庭的 ×
モミ 高尚・昇進・時間・永遠・崇高 ○
リカステ 快活 ×
∞…∞12月18日・今日という日 ∞…∞
安藤美姫 (1987) フィギュアスケート
絢香 (1987) シンガーソングライター
矢吹春奈 (1984) タレント
菊地美香 (1983) 女優
藤岡正明 (1982) 歌手
松岡ゆき (1981) タレント
小雪 (1978) 女優、モデル
しの (1978) dicot
栗原由佳 (1975) レポーター
レイザーラモンHG (住谷正樹) (1975) タレント
飯沼誠司 (1974) ライフセイバー
武田真治 (1972) 俳優
少覚 一 (1972) SUPER BELL"Z、Key.
クリストファー・シールバック (1972) 野球
アランチャ・サンチェス (1971) テニス
ベンチーニョ (アントニオ・ベント・ドス・サントス) (1971) サッカー
藤本敏史 (1970) タレント、FUJIWARA
江角マキコ (1966) 女優、モデル
ブラッド・ピット (1964) 俳優
真鍋譲治 (1964) 漫画家 「銀河戦国群雄伝ライ」
ストーンコールド・スティーブ・オースチン (1964) プロレス
小山力也 (1963) 俳優
河野陽吾 (1962) ミュージシャン
伍代夏子 (1961) 歌手
山野直子 (1960) 少年ナイフ、Vo. G.
植草一秀 (1960) 経済評論家
優雅 (1955) 歌手
毛利八郎 (1954) アナウンサー
榎本一夫 (1953) バナナグローブスタジオ社長
麻田奈美 (1953) タレント
前川陽子 (1950) 歌手
福永洋一 (1948) 競馬騎手
池田理代子 (1947) 漫画家 「ベルサイユのばら」
布施 明 (1947) 歌手
スティーブン・スピルバーグ (1947) 映画監督
赤嶺政賢 (1947) 政治家
原 ォ (1946) 作家
キース・リチャーズ (1943) ローリング・ストーンズ、G.
西崎義展 (1934) 映画プロデューサー
北村弘一 (1931) 声優
只野道泰 (1923) 作曲家
茂山千五郎 (1919) 能楽師
松村達雄 (1911) 俳優
熊沢寛道 (熊沢天皇) (1889) 雑貨商、自称天皇
パウル・クレー (1879) 画家
志賀 潔 (1870) 医学者
戸川秋骨 (1870) 英文学者
山脇東洋 (1705) 医師
日潮 (1675) 僧侶
勧修寺経敬 (1645) 公卿
○ 源実朝の『金塊和歌集』が完成(1213)
○ ヴァイオリン製作者アントニオ・ストラディヴァリ没。93歳(1737)
○ 平賀源内が食を断って獄死。51歳(1779)
○ アメリカで奴隷制、廃止(1865)
○ 銀座、京橋にガス灯ともる。ガス灯は石炭ガスを使用(1874)
○ 上野の西郷隆盛像の除幕式。作者は高村光太郎の父高村光雲(1898)
○ 東京駅開業(1914)
○ 日本の国連加盟案可決。1933年に脱退して以来23年ぶりに国際社会に復帰(1956)
○ 戦後初の国産旅客機YS11完成(1962)
○ イギリス会議で死刑の永久廃止を可決(1969)
国連加盟記念日
1956年(昭和31年)の今日、国連総会で全会一致により、日本の国連加盟が可決されたことによる。
1933年(昭和8年)の国際連盟脱退から23年ぶりの国際社会復帰の日ともいえる。
東京駅の日
1914年(大正3年)のこの日、東京駅が新築、落成した。
納めの観音
1年で最後の観音の縁日。
東京駅落成記念日(12.18)
赤レンガの味わい深い東京駅は大正3年(1914)の12月18日に完成しました。
開業は12月20日です。
それまで東北方面への玄関口である上野駅と、東海道本線の起点である新橋駅(後の汐留駅)の間が途切れていたため、この両駅を高架鉄道で結ぼうという計画が立てられその中間点に中央停車場を作ることになったのが発端です。
この中央停車場の設計は明治36年(1903)に日本銀行本店の設計者として著名であった辰野金吾に依頼されますが、政府は開業をいそいでいたため、工事が設計が完了する前に始まるという異例の進行になりました。
明治41年(1908)から6年の歳月と280万円(現代の価値で約30〜50億円程度か)の費用を掛けて完成しました。
そして駅の名前は「東京駅」と定められ、これに伴い東海道本線の始発も新橋駅から東京駅に変更されました。
またこの時に新橋駅は現在の位置に移転し、旧新橋駅はその後、汐留駅として貨物のターミナルとして使われることになりました。
なお辰野金吾はその後、ソウル駅や日本の国会議事堂の設計も手がけています。
このソウル駅はつい先月(2003年11月27日)まで使用されていました。韓国では日本占領時代のことであることから設計者不明ということにしている資料も多いらしいですが、旧ソウル駅と東京駅が似ているのは、同じ設計者だからです。
パウル・クレー(1879-1940)
素人目には一見落書きのようにも見える、幻想絵画の画家パウル・クレー(Paul Klee)は1879年12月18日、スイスのベルン近郊ミュンヘンブーフゼーに生まれました。
(父がドイツ人であるため国籍はドイツ)
父も母も音楽家という音楽一家でパウルもはじめ音楽の道に進み、11歳でベルン市の管弦楽団にヴァイオリン奏者として参加しています。
しかし途中で美術の道に転向、21歳でミュンヘン美術学校に入学、銅版画やガラス絵の制作を始めました。
美術学校に入学の準備をしていた頃知り合った医者の娘リリーと22歳の時に婚約、27歳で結婚、翌年一人息子のフェリックスが生まれています。
ブレイク・ゴア・ゴッホ・セザンヌなどの作品に触れてその影響から分離派に参加、1914年には新分離派の創設に加わります。
1916〜1918年の軍役を経て1919年にはミュンヘンの画商と契約、その後も各地で個展を開くなど順調に画家としての道を歩んで行きました。
1920年にはワイマールに新設されたばかりの建築学校バウハウスの教授として招聘され、5年間ワイマールで、それから学校が引っ越してから7年間デッサウで教鞭を執ります。
しかしナチズムの台頭に伴い、この自由主義的な学校は1932年に閉鎖、1931年から兼任していたデュッセルドルフの美術学校の教授に選任。
しかしナチスは彼を危険人物として迫害、この美術学校からも解雇されることになります。
1937年には彼の作品が大量に各地の美術館から没収され、その一部は「退廃美術展」に展示されました。
彼はナチスに嫌気がさしてスイスに拠点を移しスイスへの帰化の申請をおこないます。
しかしその手続きが終わらない内に1940年6月29日死去。享年60歳。
で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ
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