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11月09日 119番の日(消防庁,1987)、換気の日(日本電機工業会,1987)、
太陽暦採用記念日、全国火災予防運動、クジラの日(毎月)
花ノ名前 花ことば 誕生花として
サザンカ ひたむきな愛・謙譲・愛嬌・理想の恋・謙遜×
ジュズダマ 恩恵・祈り・成し遂げられる思い ○
チャービル 正直・誠実 ×
ノギク 清爽 ○
ミルラノ花 真実 ○
ルピナス(ノボリフジ)
あなたは私の安らぎ・空想・母性愛・貪欲○
∞…∞11月09日・今日という日 ∞…∞
えなりかずき (1984) 俳優
SE7EN (1984) 歌手
Yu (上里 優) (1983) D-51
栃東大裕 (1976) 相撲
小野寺麻衣 (1975) アナウンサー
アレッサンドロ・デルピエロ (1974) サッカー
柴田明良 (1974) 俳優
TOSHI-LOW (1974) BRAHMAN、Vo.
加瀬 亮 (1974) 俳優
斉藤陽一郎 (1972) 俳優
進藤尚美 (?) 声優
クリス・ジェリコ (1970) プロレス
長崎みなみ (1969) 声優
森山佳郎 (1967) サッカー
渡辺桂子 (1966) タレント
旭里憲治 (1965) 相撲
賈 秀全 (1963) サッカー
高倉あつこ (1962) 漫画家 「ハゲしいな!桜井くん」
ディオン・ジェームス (1962) 野球
石田えり (1960) 女優
小西康久 (1959) 俳優
遥くらら (1955) 女優
梅沢富美男 (1950) 俳優、歌手
仲 真貴 (仲 雅美) (1950) 俳優
佐古正人 (1946) 俳優
正司敏江 (1944) 漫才師
佐川満男 (1939) 俳優、歌手
高見沢宏 (1933) ダークダックス
葉山良二 (1932) 俳優
白石一郎 (1931) 作家
江藤俊哉 (1927) バイオリニスト
ヘディ・ラマー (1913) 女優
野口英世 (1876) 学者
イヴァン・ツルゲーネフ (1818) 作家
フェルディナンド・レセップス (1805) 外交官
証空 (1177) 僧侶
○ 源頼朝、後白河法皇と会見。権大納言・右近衛大将に(1190)
○ 明治政府、太陰暦から太陽暦への改暦を発表。明治5年12月3日が太陽暦の明治6年1月1日に(1872)
○ 日本自由党結成(1945)
○ 横須賀線鶴見で二重衝突事故。死者161人、重軽傷者120人(1963)
○ 三池三川鉱の爆発で死者458人(1963)
○ ニューヨーク大停電。継電機のコンピュータの故障が原因(1965)
ベルリンの壁崩壊の日
1989年(平成元年)にドイツ・西ベルリンを囲んでいた「ベルリンの壁」が取り壊され東西ドイツが統一された。
太陽暦採用記念日
1872年(明治5年)のこの日、太陰暦をやめて太陽暦を採用するという詔書が布告されたことによる。
実施はこの年の12月からで12月3日を明治6年1月1日とした。
秋季全国火災予防運動
11月9日〜15日の1週間。
消防庁が1950(昭和25)年から全国的に展開している運動で、火災の起こりやすい春(3月1日〜7日)と秋の2度行われている。
119番の日
1987年(昭和62年)に自治省消防庁が消防発足40年を記念して設けた日で、一般の人にもっと防火・防災の意識を高めてもらおうというのが狙い。
11月9日にしたのは消防のダイヤルナンバー119にちなんで。
換気の日
日本電機工業会が1987年(昭和62年)に制定。
11月9日は「いい空気」の語呂合せ。
最近の住宅はアルミサッシの普及などで密閉度が高く、十分な換気が行われず、カビの発生することも多い。
そこでもう一度室内の換気を見直してという意味がある。
換気の日(11.9)
11月9日は「いい(11)くう(9)き」の語呂合わせで「換気の日」です。
換気および換気扇に関する理解を深めてもらおうということで、1987年に日本電機工業会が制定しました。
昔の日本の家屋というのは障子・ふすまといった「紙」系で閉じられていて下は畳と床板、上も天井板ということで完璧に隙間だらけ。
換気の必要性はほとんどありませんでした。
それが昭和30年代以降アルミサッシが普及し、壁もモルタル塗りなどが増えて、気密性の高い家が生まれ、この昭和30〜40年代には冬季にこの密閉された家で練炭コンロや火鉢・豆炭炬燵などを使用して一酸化炭素中毒を起こす事例も頻発しました。
その後多くの人が事故を恐れてそういう暖房器具・調理器具を使用しなくなり、ガスコンロ・ストーブ・電気炬燵などを使うようになったため事故は減りましたが、ガスコンロやストーブなどは火力が強くて不完全燃焼は起こしにくいですが、パワーの強い分酸素の消費量が練炭炬燵や火鉢より当然多いですから、逆にしっかりした換気が必要になってきます。
特にガスコンロの普及とほぼ並行して換気扇は普及したとみてよいと思われます。
ガスや石炭が燃える時は炭素 C が酸素 O と結合して CO2 を生成しています。
ところがこの時完全な結合が行われないと CO という中途半端な物質ができてしまいます。
COが一酸化炭素、CO2が二酸化炭素(炭酸ガス)です。
一酸化炭素が人間の体内に入りますと血液中の酸素の運び手であるヘモグロビンと結合してしまい、体内に酸素が行き渡らなくなります。
これが一酸化炭素中毒で、重い場合死んだり植物人間になったりします。
完全燃焼が行われている場合でも密閉された空間ではどんどん酸素が消費されていますので、酸素の密度がどんどん減っていき息苦しい感じになったり、極度に眠くなったりします。
もちろん誰もいない所でこの状況で寝てしまったら危険です。
潜水艦の中のような完全密閉空間だと窒息死の可能性もありますし、どっちみちホントに酸素が足りなくなると不完全燃焼が起きて一酸化炭素が発生し、結局死ぬことになります。
初期の頃は住宅が換気扇のことなど考えずに作られていましたので、最近ではエアコンでよくやるような窓に取り付ける方式で設置されていましたが、昭和40年代以降に作られた住宅ではだいたい最初から換気扇が作りつけられているはずです。
換気扇と空気清浄機
室内の空気がよどんでいる時に換気扇のある側と反対側の窓を開けて換気扇を掛けるのはたいへん効果があります。
室内に漂っている細かい塵などもこれで排出されます。
細かい塵の排除には空気清浄機も効果がありますが、これは室内で運転されているだけですので、酸素供給の効果はありません。
結果的には併用するのが一番良いでしょう。
工場が近くにあったり道路のそばだったりして屋外の粉塵がひどい場合は外気清浄フィルター付きの熱交換型換気扇を使う手があります。
熱交換型換気扇は室内の温度をあまり下げないので、寒冷地でも大助かりです。
トイレと換気扇
外に開いた窓があるトイレならいいのですが密閉空間の中にトイレを設置する場合は換気扇を一緒に設置するケースが多いようです。
トイレの臭いを消すために芳香剤を多用する人もあるのですが、芳香剤はほとんどが化学物質。
使いすぎると寿命を縮めることにもなりかねません。
(臭いを消しているのではなく、より強い臭いで誤魔化しているにすぎない)
芳香剤に凝るくらいなら、むしろ換気扇常時運転の方がお勧めです。
換気扇は単なるファンなのでだいたい24時間運転しても電気代は3〜5円程度のはずです。
お風呂と換気扇
昭和30〜40年代はお風呂での一酸化炭素中毒もよくありました。
特にお風呂の中にガス釜がある方式では、冬季には寒いもので窓を閉じたままお風呂に入るケースが多くたいへん危険でした。
当時は「内釜方式のお風呂では絶対に窓を開けてください」と盛んに広報が行われていました。
現在では内釜式の場合、強制排気方式が普通になっています。
それで中毒は減りましたが、浴室の場合換気扇があれば、早く湿気を追い出せるという問題もあります。
浴室を乾燥させるには、お風呂のお湯を抜いた後でだいたい3時間程度換気扇を回せばよいとされます。
119番の日(11.9)
11月9日は語呂合わせで「119番の日」です。
119番というのは、不思議な番号で、火事の時と病人が出た時に使います。
前者の場合は消防車、後者の場合は救急車が来てくれるのですが、どちらも同じ消防署にスタンバイしているので、同じ番号で構わない訳です。
火事の時の緊急呼び出しのサービスを電話局が始めたのは大正6年のことです。
この時はまだ人間が交換業務をやっている時代ですから「火事」と叫べば、交換手が消防署につないでくれる仕組みになっていました。
消防署につなぐ番号が決まったのは昭和元年のことで、この時は実は「112番」でした。
しかし翌年に「119番」に変更になっています。
119番は当初火事だけの対応でしたが、昭和9年に横浜市と名古屋市の消防署が救急業務を始め、次第に全国に普及していきます。
そして昭和38年、その事態を追認するように、救急業務が法令で消防署の業務として定められたのです。
なお、現在このような特殊電話番号には次のようなものがあります。
100 100番通話
104 電話番号の案内
106 コレクトコール, クレジット通話など
108 自動コレクトコール
110 警察(事件・事故)
113 電話の故障
114 話し中の調査
115 電報
116 移転や各種サービス問い合わせ
117 時報
119 消防(火事・救急)
177 天気予報
119と並ぶ緊急通話の110番は昭和23年から始まりました。
天気予報は現在は177ですが最初は222でした。
番号案内は最初は100番でしたが、後に市内を104,市外を105で案内するようになりました。
この時代を覚えておられる方は多いと思います。
その後市外局番+104で、その地方の電話番号案内が実施されるようになりましたが、平成元年からは104で全国の番号が分かるようになり、105は消滅しました。
104は完全に全国がネットワーク化されており、例えば東京で104を回しても実際に対応しているのは秋田県のオペレータであったりします。
全国のセンターの中で手の空いているオペレータが取る仕組みです。
三池の炭鉱爆発事故(1963)
この1963年11月9日という日は大きな事故がふたつ続けて起きた日である。
15時すぎにこの大牟田の三池炭鉱・三川鉱での爆発事故があり、21時すぎには東海道線鶴見駅で列車の衝突事故があった。
鶴見駅の衝突事故も死者161名(重軽傷者120名)という大惨事であったが、この三池の爆発事故では死者458名のほか839名もの一酸化炭素中毒者を出しており、この事故に遭った人の中には38年たった今でもまだ入院中の人がいる。
炭鉱事故の怖さはそこで発生する一酸化炭素による中毒である。
一酸化炭素はいったん血液中のヘモグロビンと結合するとなかなか離れないため、体内の酸素供給に支障が出て、特に酸素不足による脳機能の障害が残るのが怖い。
当時救出された人たちが運び込まれた病院で、ある家族は医師から「これ程大量の一酸化炭素を吸った例は見たこともないので、どの程度障害が残るかは正直見当もつかない」と言われたという。
炭鉱の中が火気厳禁なのは当然であるが、火がつきやすいような予備状態の発生はなかなか避けがたい。
そこにトロッコの車輪とレールの間で発生した火花などが飛ぶと、それが大爆発を誘発する。
またしばしば最初の事故が起きてから救護隊を結成して現場に向かった所で二度目の爆発が起きて救護隊員全滅などという悲惨な事態が起きる場合もある。
また当時は、何重もの安全対策が施されている現在と違って、まだ生産至上主義の思考が残っていた時代であった。
その後燃料の主力が石炭から石油に切り替えられていく背景には、続発した炭鉱事故により経営者側が炭鉱運営の意欲を失っていたこともあるものと考えられる。
【戦後の主な北海道・九州の炭鉱事故】(他地域の資料が確保できていません)
1948.06 福岡 三菱勝田竪坑 ガス爆発 62
1950.10 山口 若沖 海水流入 32
.12 長崎 日鉄鹿町矢岳坑 ガス爆発 21
1954.02 熊本 久恒志岐 坑内出水 36
.08 釧路 太平洋 ガス爆発 39
1956.11 赤平 雄別茂尻 ガス爆発 60
1958.05 長崎 中興江口 坑内出水 29
1959 12 福岡 三菱新入六坑 ガス爆発 23
1960.09 福岡 豊州 川水流入 67
1961.03 福岡 上清 坑内火災 71
.03 福岡 大辻 坑内火災 23
.11 赤平 日炭福住 ガス爆発 20
1963.11 福岡 三井三池三川鉱 ガス爆発 458
1965.02 夕張 北炭夕張 ガス爆発 62
1965.04 長崎 日鉄伊王島 ガス爆発 30
.06 福岡 山野鉱業山野坑 ガス爆発 237
1968.07 夕張 北炭平和 坑内火災 31
1971.07 空知 住友歌志内 ガス突出 30
1972.11 石狩 石狩奈井江 ガス爆発 31
1977.05 空知 三井芦別 ガス爆発 25
1981.10 夕張 北炭夕張新鉱 坑内火災 93
1984.01 福岡 三井三池 坑内火災 83
1985.05 夕張 三菱南大夕張 ガス爆発 62
三池(福岡県大牟田市)は古い文書には三毛・御木などとも書かれ、色々な氏族が優勢になっていたが、江戸時代には東北地方から移ってきた立花家の領地になり、この時期塩田の燃料として石炭の採掘が始まったようである。
「月が出た出た、月が出た」の歌詞でおなじみ炭鉱節にも歌われ、福岡県でも筑豊地域の炭鉱が次々と閉山される中、長崎の伊王島と並んで九州で最後まで採掘を続けた大炭鉱であった。
まだ石炭は大量にあるはずだが経営難により現在全ての炭鉱が閉山されている。
で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ
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