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11月29日 議会開設記念日、いい服の日、肉の日(毎月)
花ノ名前 花ことば 誕生花として
ガマズミ 愛は死より強し・結合・私を見て
無視したら私は死にます ○
チャ 純愛・追憶 ○
ノボロギク 一致・合流・遭遇 ×
バッカリス 開拓 ○
ベゴニア(白) 親切 ○
∞…∞11月29日・今日という日 ∞…∞
佐藤和沙 (1986) タレント
田口淳之介 (1985) タレント、KAT-TUN
田中花子 (1979) アナウンサー
小黒哲也 (1978) WAG、Dr.
シュガー佐藤 (1978) プロレス
ヤス一番? (1978) nobodyknows+、MC
小笠原孝 (1976) 野球
アンナ・ファリス (1976) 女優
桜野みねね (?) 漫画家 「まもって守護月天!」
鈴木浩介 (1974) 俳優
古柴香織 (1973) 女優
村上一成 (1973) プロレス
アンドレアス・ゴールトベルガー (1972) スキー、ジャンプ
田中 稔 (1972) プロレス
おおた文彦 (1971) 漫画家
たいせー (1969) シャ乱Q、Key.
ハヤブサ (1968) プロレス
吉田修司 (1966) 野球
尾崎 豊 (1965) シンガーソングライター
愛華みれ (1964) 女優
上杉裕世 (1964) SFXアーティスト
山下昌良 (1961) ラウドネス、Bass
浜田剛史 (1960) ボクシング
定岡正二 (1956) 野球
岡山恭崇 (1954) バスケットボール
小林麻美 (1953) 女優、歌手
海原万里 (1952) タレント、漫才師
松田重治 (1952) 声優、俳優
藤沢公也 (1951) 野球
舛添要一 (1948) 国際政治学者
沢木耕太郎 (1947) 作家
高橋長英 (1944) 俳優
林家ペー (1941) タレント、落語家
梅沢武生 (1939) 俳優、梅沢劇団座長
柏戸 剛 (1938) 相撲
古川のぼる (1934) 教育評論家
勝新太郎 (1931) 俳優
滝田裕介 (1930) 俳優
長谷川慶太郎 (1927) 経済評論家
岩上二郎 (1913) 政治家、元茨城県知事
田中絹代 (1909) 女優
西太后 (1835) 女帝
ルイザ・メイ・オールコット (1832) 作家
岡 昌名 (1682) 雅楽者
黒田官兵衛 (黒田如水) (1546) 武将
○ 新島襄、同志社英学校を創立(1875)
○ 東京電灯会社が市内配電を始める(1887)
○ 第1回帝国議会が開かれる(1890)
○ 南極探検隊出発(1910)
○ 日本で「第九」初演奏(1924)
○ 日本ラグビー協会が設立(1926)
○ 日本初のアメリカン・フットボール試合が東京の神宮で開催(1934)
○ 熊本・大洋デパート火災。死者104人(1973)
○ 第一回世界女子柔道選手権開催(1980)
○ 川崎市で金属バットによる両親殺害事件(1980)
○ 同時多発ゲリラにより通信ケーブルが切断され、国鉄がマヒ(1985)
○ 金賢姫らによる大韓航空機爆破(1987)
議会開設記念日
1890年に第一回帝国議会が開会されたことを記念して制定。
いい服の日
11」「29」を「いい」「ふく」と語呂合わせから制定。
パレスチナ人民連帯国際デー
1977(昭和52)年の国連総会で制定。国際デーの一つ。
1947(昭和22)年、国連総会でパレスチナ分割に関する決議が採択されました。(International Day of Solidarity with the Palestinian People)
解放記念日(アルバニア)
大洋デパート火災(1973)
1973年11月29日13時15分頃、改装工事をしながら営業中の熊本大洋デパートで火災が発生。
買物客48名、従業員53名、工事関係者3名の合計104人が死亡する大惨事となりました。
出火したのは2階から3階に上がる階段の踊り場。
積み上げてあったダンボールから火が出ているのを従業員が発見しましたが、手の施しようがありませんでした。
そしてこの火が商品の寝具などに燃え移り、結局3〜8階を全焼。
消えるまでに8時間を要しました。出火原因は分かっていません。
後日、適切な誘導がなかったことなどから、デパートの火元責任者と防火管理者の社員が業務上過失致死傷罪に問われて起訴されましたが、最高裁で無罪が確定しました。
判決は、安全管理の責任は代表取締役が負うべきで、防火管理者にそこまでの責任はない、というものでした。
【国内の過去の主な火災】
1932年12月
東京日本橋白木屋。死者14名。
和服で下着をつけてないことを気にしてロープ脱出できなかった女性がいたということからズロース普及。
1972年 5月
大阪ミナミ千日デパート。
死者118名。
深夜の火事であるが、ビル内のキャバレーにいたホステスや客らが死亡した。
(玲子さんのマンガでも取り上げられてましたね)
1973年11月
熊本大洋デパート。
死者104名。
歳末セールにごった返す店内が一転。
1980年11月
栃木県、川治プリンスホテル。
死者45名。
死者の大半は老人会の旅行で宿泊していた老人たち。
この火災を教訓に『適マーク』が生まれた。
1982年 2月
東京千代田区ホテルニュージャパン。
死者33名。
横井社長のあまりに寒い防災体制に批判が集まる。
ある社会面にのった小さな記事を見て、無量の感に襲われました。
それは、小さなストリツプ劇場の火事のニュースでした。
踊り子さんが数名焼け死んだのですが、その犠牲者の一人が、この大洋デパートの元従業員だったのです。
彼女は大洋デパートの火事では勤務中でしたが九死に一生を得ます。
しかし結果的にはこの火事のため失業。
いくつかの職業を転々としたあと、ストリッパーになったものです。
折角大きな火事に遭って難を逃れたのに結局火事で死んでしまうとは。
こういう人生があるのだろうか。私は合掌しました。
で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ
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