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11月24日 オペラ記念日、東京天文台設置記念日
花ノ名前 花ことば 誕生花として
ガマズミ 愛は死より強し・結合・私を見て
無視したら私は死にます ○
ペペロミア かわいらしさ・艶やか・片思い ○
ロウウメ 慈愛 ×
∞…∞11月24日・今日という日 ∞…∞
徐 桑安 (1990) タレント
菊地直哉 (1984) サッカー
羽緒レイ (1980) 俳優
岩見十夢 (1980) 歌手
池内博之 (1976) 俳優
ルー・チェン (陳露) (1976) フィギュアスケート
清水直行 (1975) 野球
山本太郎 (1974) タレント、俳優
鷹城佳世 (1974) 女優
岩田まこ都 (1973) キャスター、レポーター
梅川和実 (1972) 漫画家
木村明浩 (1970) タレント、バッファロー吾郎
ジェイソン・ハッカミー (1970) 野球
多岐川舞子 (1969) 歌手
丹下紘希 (1968) 映像作家
yukihiro (1968) L'Arc-en-Ciel、Dr.
古村比呂 (1965) 女優
松田博幸 (1964) ミュージシャン
福沢義光 (1963) ゴルフ
未来貴子 (1962) 女優
豊島美雪 (1960) アナウンサー
大塚明夫 (1959) 声優
鶴嶺山好政 (1959) 相撲
湯浅 卓 (1955) 弁護士
出石武宏 (1952) 任天堂開発一部部長
玉ノ富士茂 (1949) 相撲
蟇目 良 (蟇目 亮) (1948) 俳優
中村孝明 (1947) 料理人
クニオ・ナカムラ (1943) 元パラオ大統領
森 孝慈 (1943) サッカー
うえだ峻 (1943) 俳優
ピート・ベスト (1941) ドラマー
石川嘉延 (1940) 静岡県知事
石川陽造 (1940) 野球
三宅義信 (1939) 重量挙げ
鈴木三重子 (1931) 歌手
宍戸大全 (1929) アクションスタント
加藤治子 (1922) 女優
崔 承喜 (1911) 舞踏家
岡田捷五郎 (1894) 建築家
阿部信行 (1875) 政治家
川合玉堂 (1873) 画家
アンリ・ロートレック (1864) 画家
曾禰達蔵 (1853) 建築家
フランシス・H ・バーネット (1849) 作家
清河八郎 (1830) 武士
カーロ・コロディ (1826) 作家
鳥居耀蔵 (1796) 旗本
シャルル・ドルレアン (1394) 詩人
○ 源頼朝、右近衛大将となる(1190)
○ チャールズ・ダーウィンの「種の起源」イギリスで初版出版(1859)
○ 文部省、「小学唱歌初編」(蛍の光など)を出版(1881)
○ 日本で初めて歌劇「ファウスト」が上演される(1894)
○ 最後の元老・西園寺公望、没。92歳(1940)
○ 米爆撃機B29東京を初空襲(1944)
○ 日本民主党結成(1954)
○ ケネディを狙撃した容疑で逮捕されたオズワルドが護送中にジャック・ルビーに銃で撃たれて死亡する(1963)
○ アジア開発銀行設立(1966)
東京天文台設置記念日
1921年(大正10年)に東京都麻布区飯倉(現在の港区麻布台)に東京天文台が設置されたことを記念したもの。
鰹節の日
食品メーカー・ヤマキが制定。
「い(1)い(1)ふ(2)し(4)」の語呂合せ。
オペラ記念日
1894年(明治27年)のこの日、宮内省式部職付属音楽学校(東京音楽学校)奏楽堂で初めてオペラ「ファウスト」が上演されたのを記念してオペラ愛好家が制定。
松葉ガニの日(11月第4土曜日)
インテリアの日(毎月第4土曜日)
鰹節の日(11.24)
11月24日は「いいふし」の語呂合わせで「鰹節(かつおぶし)の日」です。
現代では「かつおぶし」と言うと、削って小分けして窒素充填パックに入った「けずりぶし」のイメージが強いのですが、これは1969年に「にんべん」が開発したもの。
削り節というもの自体は明治時代からあったのですが、鮮度が落ちるのは避けられないことで、そのため、昔は丸ごとの鰹節を買ってきて、食べる直前に専用のカンナで削って食べていた家も結構あったようです。
(現代でもこだわる人はそうしていると思いますが)
鰹自体は古くから食べられている魚ですが、鰹節の技術が確立したのは室町時代です。
しかし当時はそんなに日持ちする食材ではありませんでした。
今のように保存の利くものとなったのは江戸時代で、最初に17世紀に紀州の角屋甚太郎という人とその一族が、樫をいぶして燻乾する方法を考案し、更に18世紀末から19世紀初頭に掛けて、同じ紀州の土佐与市という人が、カビ付けによって表面を保護してかなりの長期間保存できるようにする方法を開発しました。
土佐与市はこの技術を積極的に全国に広めて、鰹節の技法は普及したのですが、紀州本国からは、せっかくの紀州独自の技術を漏らしたとして追放の処分を受けています。
このように良質の保存食となった鰹節は、鰹が「勝つ魚」に通じ、節が「武士」に通じることから、江戸時代には、武家を中心に贈答品の定番商品として重宝されましたが、ここから「商品券」が誕生したこともよく知られています。
ある年、鰹が不漁の年があり、御歳暮シーズンだというのに、鰹節が必要な数確保できそうにないということがありました。
その時、一軒の商店が考えたのが「鰹節の引換券」で、これをお持ち下さった方にはいつでも鰹節を差し上げますということにしました。
すると、すぐ引き替えに来る人もいますが、結構たってから引き替えに来る人もいるので、その時間差を利用して最終的に必要な鰹節の数を確保することができたのです。
これは贈る人も、贈られたものを他家への贈答に回したりする人も実物の鰹節を持ち運ばなくて済んで楽なこともあり、翌シーズンからも実物ではなくこの引替券を買う人が増えて、それ以降定着していったのです。
で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ
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