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11月18日 土木の日(日本工学会、土木学会1987)、著作権の日、頭髪の日(毎月)
暮らしと土木の週間(11/18〜11/24)
花ノ名前 花ことば 誕生花として
コナラ 勇気・独立 ○
ナナカマド 怠りない心・慎重・賢明・用心
私と一緒にいれば安心 ○
ヤマユリ 人生の楽しみ・荘厳・威厳 ○
ユーカリ 記念・追憶・思い出 ○
ユリ(日本ノユリ) あなたのは偽れない ×
∞…∞11月18日・今日という日 ∞…∞
大津綾香 (1992) タレント
千葉涼平 (1984) w-inds.
渡辺明乃 (1982) 声優
山田千鶴 (1981) タレント
岡田准一 (1980) タレント、V6
辻 香織 (1980) 歌手
ピョコタン (1977) 漫画家
東尾理子 (1975) ゴルフ
太陽ケア (1975) プロレス
たなかかなこ (田中加奈子) (1975) 漫画家
小栗かずまた (1974) 漫画家 「花さか天使テンテンくん」
西村ちなみ (1970) 声優
渡辺満里奈 (1970) タレント
角田晃一 (1970) 競馬騎手
百瀬武昭 (1970) 漫画家 「マイアミ★ガンズ」「ラーゼフォン」
小城ノ花昭和 (1967) 相撲
ロバート・マットソン (1966) 野球
丘野桃子 (1965) 女優
SABU (田中博樹) (1964) 映画監督、俳優
音 重鐘 (1963) 野球
ピーター・シュマイケル (1963) サッカー
城みちる (1957) タレント、歌手
松苗あけみ (1956) 漫画家
和久光康 (1955) JAY WALK、G.
斉木しげる (1949) タレント
笠井 潔 (1948) 作家
金剛正裕 (1948) 相撲
森 進一 (1947) 歌手
出崎 統 (1943) アニメーション監督
川久保潔 (1929) 声優
船場太郎 (1929) タレント、政治家
ミッキーマウス (1928) キャラクター
羽黒山政司 (1914) 相撲
古賀政男 (1904) 作曲家
橘 右近 (1903) 橘流寄席文字家元
近衛秀麿 (1898) 指揮者
ジオ・ポンティ (1891) 建築家
前田光世 (コンデ・コマ) (1878) 柔道
イグナシー・ジャン・パデレフスキー (1860) ポーランド大統領、ピアニスト
ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール (1787) 画家、カメラ発明
カール・マリア・フォン・ウェーバー (1786) 作曲家
○ 八幡製鉄所開業(1901)
○ 大日本ホッケー協会創立(1923)
○ 京都駅焼失(1950)
○ 東京駅前に新丸ビルが完成(1952)
○ フォード大統領来日。米大統領としては初めての来日(1974)
○ 沖縄海洋博記念太平洋単独横断ヨット・レースで小林則子が最短時間・最長航海の記録を樹立(1975)
○ 初の公式女子フルマラソンである第一回東京国際女子マラソンが開催(1979)
ミッキーマウスの誕生日
1928(昭和3)年、ニューヨークのコロニーシアターでミッキーマウスが登場する短編アニメーション『蒸気船ウィリー』が初めて公開された。
土木の日
1879年(明治12年)のこの日、日本工学会の前身、工学会が設立されたことと、土は十一に、木は十八に分解できることから、日本工学会が設定したもの。
土木技術の大切さを知ってもらうことを目的に1987年(昭和62年)に制定。
もりとふるさとの日
国土保全奨励制度全国研究協議会が制定。 1994(平成6)年の同協議会の設立日。
カブース国王誕生日(オマーン)
土木の日(11.18)
11月18日は土木の日です。
これは十と一で土、十と八で木になるためです。
土木工事は常に建設工事と不可分のもので、両者はいわばコンピュータならハードとソフトにたとえることもできるものでしょう。
ただし日本では昔は「土木」という言葉が現在の建築の分野までカバーする言葉だったようです。
土木工事で使用される道具はかつては、つるはし・シャベル・もっこ・コロなどが主役でしたが、現代ではそれがブルドーザー・パワーショベル・ベルトコンベヤー・ダンプカーなどに置き換えられています。
ブルドーザーは1923年にアメリカのJames CummingsとJ. Earl McLeod により開発されました。
カミングスとマクロードのブルザードーはブレードを通常の四輪の自動車で押していましたが、後に無限軌道(クローラー)を持つものが主流となります。
その無限軌道を発明したのは無限軌道の代名詞ともなっているキャタピラー(Caterpillar)社。
この会社は1890年頃にBenjamin HoltとDaniel Bestが別々に起こした会社ですが、1925年に合併してCaterpillar社になりました。
無限軌道の発明はホルト社の方ですが、1904年のことです。
日本ではそのキャタピラー社のブルドーザーを参考に1940年から小松製作所が日本製ブルドーザーの開発を始めています。
なおブルドーザーとは「牛を眠らせる」という意味ですが、それはこの機械の登場により、今まで土木工事の主たる動力であった牛がヒマになって居眠りをしている、という意味です。
パワーショベルの発明はもっと古く、1837年 William S. Ootis によるものです。
初期のパワーショベルは蒸気エンジンで動作し、仮設の鉄道の上を移動していました。
写真で見ると小型の蒸気機関車の前にクレーンが載っているような雰囲気です。
これも1920年頃から無限軌道に置き換えられていきます。
ダンプカーの発明の年代についてはちょっと確認できませんでした。
フォードや日野自動車が1917年からトラックの生産を始めていますので、おそらくはそのころなのであろうと思われます。
なお「ダンプ」という言葉と「トラック」という言葉はだいたい混用されているのですが、正確には自動傾斜可能な荷台(ベッセル)を持つトラックのことをダンプというようです。
英語ではdumperもしくは dump truck といいます。
ベルトコンベヤーは英語ではひっくり返ってconveyor beltと呼ばれています。
これも発明の年代が確認できませんでした。
フォード自動車が工場にベルトコンベヤを導入したのが1913年のようですので、少なくともそれ以前ということになります。
B52の爆発事故(1968)
1968年11月19日、沖縄の嘉手納空軍基地でベトナムに出撃するために離陸した米軍のB52爆撃機が離陸直後に失速して墜落爆発炎上するという事故がありました。
この事故で乗員2名が重傷を負ったほか、爆風で付近の民家139戸が被害を受け5人の負傷者が出ました。
当時は沖縄はまだアメリカの管理下にありましたが、これで沖縄の反米闘争が燃え上がり掛けました。
当時沖縄は実はとても微妙な情勢にありました。
太平洋戦争終了後、アメリカは沖縄を実効支配し、共産主義政権・中国の防波堤にすべく多数の兵力をここに置いて、USCER(琉球列島アメリカ国民政府)を設置し、グアムやハワイ等と同様にアメリカの事実上の領土にしようとしていました。
しかし島民達は軍事的な圧政と、米兵たちの市街地でのわがままな振る舞いに反発しており、自治の確立を求めました。
そして紆余曲折の後にアメリカは譲歩して、琉球政府の主席を公選することを認めました。
その初代(結果的には=最後)の主席に選ばれたのが、屋良朝苗(やら・ちょうびょう,1905-1997)でした。
この屋良が主席に選ばれた頃、日本政府は佐藤栄作が卓越した交渉能力で沖縄の日本への返還を働きかけていた所でした。
沖縄内部には独立論もあったものの、米軍の支配下よりは日本に復帰する方が「まだマシ」という空気が大勢で、屋良もそういう日米の交渉を睨みながらの沖縄運営という路線を進みました。
さてそういう矢先に起きたのがこのB52爆発事故でした。ここで沖縄の人達は一斉に嘉手納基地の撤退、あるいは最低でもB52の配備停止を求めて運動を始めます。
しかしここでこういう運動があまり加熱しすぎると、アメリカが反発して沖縄返還交渉に関して態度を硬化させる危険がありました。
屋良は東京に飛び木村俊夫官房長官と会談します。
そして「B52はタイの基地に移動されるという感触を得た」と発表。
これによって、予定されていたゼネストが回避され米軍の態度硬化も回避されました。
そして沖縄返還交渉も順調に進みました。
実際には、B52は移動されませんでした。1980年代まで配備されていました。
これを「幻のB52撤去感触事件」といいます。
屋良と木村の間でどのようなやりとりがあったのかは知るよしもありません。
ただ、最低でも沖縄の日本への返還の日程を早める効果くらいはあったのではないかと思われます。
B52は太平洋戦争で日本の国土を大量に爆撃したB29の事実上の後継機です。
米軍は爆撃機に「B」、戦闘機に「F」を付けるのが習わしです。
B29がプロペラ機であったのに対してB52はジェット機で、1952年初飛行ながらまだ数十年は現役であろうといわれる機体です。
現在のB52はミサイル攻撃が主ですが、ベトナム戦争当時は無誘導の爆弾による絨毯爆撃で使用されていました。
絨毯爆撃は現在の戦争では民間人の被害が大きすぎるとして行わないのが基本となっています。
元々は1940年代当時、避けられないと考えられていたロシアや中国との全面戦争に備えて、敵国に核攻撃をするために設計されたものですが、幸いにもベトナムで核は使用されず、冷戦終結とともに核の配備も終了しました。
湾岸戦争では巡航ミサイル、イラク戦争では誘導爆弾によるピンポイント攻撃に使用されています。
世界初の女子マラソン(1979)
1979年11月18日。
世界で初めて国際陸上競技連盟が公認した女子フルマラソンが東京で開催されました。
第一回東京国際女子マラソンです。
女子の長距離は一時期タブーとなっていました。
これはオリンピックで選手がゴール後倒れるという事故があり、女性には長い距離は無理ではないかという話になってしまったためです。
しかし女子選手は市民マラソンなどから少しずつちゃんと走れることをアピール。
ここに画期的な公認の女子マラソンが開催されるに至りました。
女子のマラソンの記録はこの第一回の大会の優勝者ジョイス・スミスの場合2時間37分48秒というものでした。
しかし現在は2時間15分ほどまで来ており、いづれは男子の記録を抜くのではないかとも言われています。
なお、日本人の最高記録は2時間19分12秒(2005)野口みずき・2位が2時間19分41秒(2004)渋井陽子・3位2時間19分46秒(2001)高橋尚子です。
なお、下記にこの大会のこれまでの優勝者のリストをあげます。
1979.11.18 1.ジョイス・スミス(英) 2:37:48 42歳。二児の母。
1980.11.16 2.ジョイス・スミス(英) 2:30:27
1981.11.15 3.リンダ・スタウト(カナダ)2:34:28
1982.11.14 4.ゾーヤ・イワノワ(ソ連) 2:34:26
1983.11.20 5.佐々木七恵(日本) 2:37:09 10位以内に日本人5人
1984.11.18 6.カトリン・ドーレ(東独) 2:33:23
1985.11.17 7.カトリン・ドーレ(東独) 2:34:21
1986.11.16 8.ロザ・モタ(葡) 2:27:15 ドーレは2位
1987.11.15 9.カトリン・ドーレ(東独) 2:25:24
1988.11.20 10.アウロラ・クーニャ(葡) 2:31:26 2位はヒピヒ
1989.11.19 11.リュボフ・クロチコ(ソ連)2:31:33
1990.12.09 12.謝麗華(中国) 2:33:04 3位は谷川
1991.11.17 13.谷川真理(日本) 2:31:27
1992.11.15 14.リズ・マッコルガン(英) 2:27:38 ドーレが2位
1993.11.21 15.ワレンティナ・エゴロワ(露)2:26:40 2位谷川,3位ドーレ
1994.11.20 16.ワレンティナ・エゴロワ(露)2:30:09
1995.11.19 17.浅利純子(日本) 2:28:46 2位エゴロワ
1996.11.17 18.藤村信子(日本) 2:28:58 3位マッコルガン
1997.11.30 19.伊藤真貴子(日本) 2:27:45
1998.11.15 20.浅利純子(日本) 2:28:29 2位市橋有里(同タイム),3位宮崎安澄
・・・
第4回大会の時、2位に入ったエレナ・ツフロは41キロ地点で突然止まり、ゼッケンを止めていた安全ピンを外して足をそれで刺しました。
一体何??
と、みな驚いたのですがこれはソ連では有名なけいれんの処置法だったのだそうです。
第5回の佐々木七恵は市民ランナーだったのがオリンピック出場を目指してSB食品に入社。瀬古を育てた中村監督のもとで練習をつみました。
そしてこの大会に勝って翌年女子マラソンが初めて採用されたロサンゼルス・オリンピックに出場します。
第6回,7回,9回を制し、8回大会も2位だったカトリン・ドーレは現在暖かいスペインで練習をつんでいます。
昨年の大会にも出てきて先頭集団に加わるなどいまだに健在ぶりをみせてくれました。
第13回大会。日本人として2人目の優勝者となった谷川真理も当時市民ランナーでした。
昨年20回大会では無許可でナイキのCMに出たとして選手資格を停止され、特別参加の形になりました。
記録は2:36:16。8位相当のタイムで意地を見せました。
第17回大会では37キロ付近で浅利を含む3人の選手が転倒するアクシデントがありました。
しかし浅利純子はそこから立ち直って最後200mで逆転して勝ちました。
浅利は20回大会では最後まで市橋有里とデッドヒート。
結局1位と2位のタイム差なしでの勝利になりました。
世界記録
記録 年度 氏名 国名
2時間15分25秒 2003 ポーラ・ラドクリフ イギリス
2時間18分20秒 2011 リリア・ショブホワ ロシア
2時間18分37秒 2012 メアリー・ケイタニー ケニア
2時間18分47秒 2001 キャサリン・ヌデレバ ケニア
2時間18分58秒 2011 ティキ・ゲラナ エチオピア
2時間19分12秒 2005 野口みずき 日本
2時間19分19秒 2008 イリーナ・ミキテンコ ドイツ
2時間19分31秒 2012 アセレフェチュ・メルギア エチオピア
2時間19分34秒 2012 ルーシー・カブー ケニア
2時間19分36秒 2006 ディーナ・カスター アメリカ
2時間19分39秒 2003 孫英傑 中国
2時間19分41秒 2004 渋井陽子 日本
2時間19分46秒 2001 高橋尚子 日本
2時間19分50秒 エドナ・キプラガト ケニア
2時間19分51秒 2006 周春秀 中国
2時間19分52秒 マレ・ディババ エチオピア
2時間20分14秒 プリスカ・ジェプトゥ ケニア
2時間20分42秒 2006 ベルハネ・アデレ エチオピア
2時間20分43秒 1999 テグラ・ロルーペ ケニア
2002 マーガレット・オカヨ ケニア
2時間20分47秒 2006 ガリナ・ボゴモロワ ロシア
2時間21分06秒 1985 イングリッド・クリスチャンセン ノルウェー
2時間21分21秒 1985 ジョン・ベノワ アメリカ
2時間21分30秒 2005 コンスタンチィナ・トメスク ルーマニア
2時間21分31秒 2002 スベトラーナ・ザハロワ ロシア
2時間21分34秒 2006 ゲテ・ワミ ロシア
2時間21分45秒 1994 ウタ・ヒピピ ドイツ
2003 千葉真子 日本
2時間21分46秒 スーザン・チェプケメイ ケニア
2時間21分51秒 2003 坂本直子 日本
2時間22分12秒 1999 山口衛里 日本
2時間22分19秒 2010 インガ・アビトワ ロシア
2時間22分22秒 2003 ローナ・キプラガト ケニア
2時間22分23秒 1998 キャサリン・マッキャナン アイルランド
2時間22分33秒 2002 スベトラナ・ペトロワ ロシア
2時間22分36秒 2006 ベニータ・ジョンソン オーストラリア
2時間22分38秒 2008 張瑩瑩 中国
2時間22分46秒 2002 土佐礼子 日本
2時間22分54秒 2000 リディア・シモン ルーマニア
2時間22分56秒 2000 弘山晴美 日本
2005 エレナ・プロコプツカ ラトビア
2時間22分59秒 マダイ・ペレス メキシコ
2時間23分05秒 2002 マーリーン・レンダース ベルギー
2時間23分09秒 2008 ベズネシュ・ベケレ エチオピア
2時間23分12秒 魏亜楠 中国
2時間23分17秒 張淑晶 中国
2時間23分21秒 1998 ファツマ・ロバ エチオピア
2時間23分22秒 1999 ジョイス・チェプチュンバ ケニア
サリナ・コスゲイ ケニア
2時間23分26秒 2004 大南博美 日本
2時間23分27秒 2008 白雪 中国
2時間23分29秒 1985 ロサ・モタ ポルトガル
2時間23分30秒 2003 小崎まり 日本
2008 尾崎好美 日本
2時間23分31秒 2000 エスタ・ワンジロ ケニア
2時間23分33秒 1994 ワレンチナ・エゴロワ ロシア
2時間23分35秒 2003 コンスタンティナ・ディタ ルーマニア
2時間23分38秒 2005 リタ・シティエネイ ケニア
2時間23分43秒 2002 大南敬美 日本
2時間23分47秒 2000 モーラ・ビスコンティ イタリア
2時間23分48秒 2007 原裕美子 日本
2時間23分57秒 2001 デラルツ・ツル エチオピア
朱暁琳 中国
2時間24分06秒 1999 アドリアナ・フェルナンデス メキシコ
2時間24分14秒 イリナ・ティモフェーエワ ロシア
2時間24分25秒 2005 大島めぐみ 日本
2時間24分27秒 2008 加納由理 日本
2時間24分29秒 2001 エルフェネシュ・アレム エチオピア
2時間24分33秒 2004 ヌタ・オラル ルーマニア
2006 森本友 日本
2時間24分35秒 ロバ・グッタ エチオピア
2時間24分40秒 2008 ディレ・ツネ エチオピア
2時間24分42秒 2009 アツセデ・バイサ エチオピア
2時間24分46秒 2001 マディナ・ビクタギロワ ロシア
2時間24分54秒 2005 江田良子 日本
2時間24分59秒 2002 バヌーエリア・ムラシャン タンザニア
2時間25分01秒 2008 ヘレナ・キロップ ケニア
2時間25分02秒 2002 松岡理恵 日本
2時間25分03秒 2008 マーラ・ヤマウチ イギリス
2時間25分12秒 2008 リュボフ・モルグノワ ロシア
アレフティナ・ビギタミロワ ロシア
2時間25分14秒 2000 小幡佳代子 日本
2時間25分15秒 1994 カトリン・ドーレ ドイツ
孫偉偉 中国
2時間25分18秒 2004 リュボフ・デニソワ ロシア
2時間25分21秒 2005 橋本康子 日本
2時間25分28秒 ブルース・ジェノベーゼ イタリア
2時間25分33秒 2008 マーサ・コム ケニア
2時間25分38秒 2009 那須川瑞穂 日本
2時間25分40秒 2009 赤羽有紀子 日本
2時間25分51秒 2008 中村友梨香 日本
2時間25分52秒 2007 ジョイス・キルイ ケニア
2時間25分53秒 2003 ヘレン・キムタイ ケニア
2008 カーラ・グシャー アメリカ
2時間26分00秒 2008 ジュリア・モンビ ケニア
2時間26分02秒 2005 小川清美 日本
2時間26分05秒 2004 アシャ・ギギ エチオピア
2時間26分09秒 2008 大平美樹 日本
2時間26分10秒 1994 浅利純子 日本
2004 ゾル・エルカムチ モロッコ
2時間26分11秒 2002 堀江知佳 日本
2時間26分14秒 2005 嶋原清子 日本
2時間26分27秒 1996 鈴木博美 日本
2時間26分53秒 2004 ソーニャ・オベレム ドイツ
2時間26分55秒 2008 扇まどか 日本
2時間26分59秒 1999 チョン・ソンオク 朝鮮
2時間27分05秒 2007 陳栄 中国
2時間27分01秒 2002 岡本治子 日本
2時間27分06秒 2004 藤川亜希 日本
2時間27分16秒 2009 奥永美香 日本
2時間27分22秒 2001 市河麻由美 日本
2時間27分38秒 2009 ルース・ワンジル ケニア
2時間27分53秒 2009 デジレ・ダビラ アメリカ
2時間28分13秒 2009 藤永佳子 日本
2時間28分24秒 2008 クリステル・ドネ フランス
2時間28分39秒 2007 尾崎朱美 日本
2時間28分50秒 2008 中山亜弓 日本
2時間29分07秒 2008 安藤美由紀 日本
2時間29分23秒 2002 リディア・ワシレフスカヤ ロシア
2008 平田裕美 日本
2時間29分31秒 2008 大越一恵 日本
2時間29分34秒 2008 西尾麻耶 日本
2時間29分35秒 2005 オレーシア・ヌルガリエワ ロシア
2時間29分42秒 2006 リュドミラ・コルチャギナ カナダ
2時間29分46秒 2006 ニーナ・リルストーン ニュージーランド
2時間29分48秒 2006 町田祐子 日本
2時間29分57秒 1991 山下佐知子 日本
2時間29分59秒 2006 林明佑美 日本
で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ
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