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11月14日 パチンコの日(全国遊戯業協同組合連合会,1979)
花ノ名前 花ことば 誕生花として
アジアンタム 上機嫌・繊細・天真爛漫・無垢・無邪気○
クリスマスローズ スキャンダル・思い出を懐かしむ
私を安心させて・中毒・悪評・誹謗・発狂・追憶○
ノジギク 真実 ○
マツ 同情・かわいそう・同情・慈悲・不老長寿
永遠の若さ・勇敢 ○
モミ 高尚・昇進・時間・永遠・崇高 ○
∞…∞11月14日・今日という日 ∞…∞
赤谷奈緒子 (1990) タレント
星井七瀬 (星野由真) (1988) タレント
高田梢枝 (1983) 歌手
野見山晴可 (1983) タレント
秋山良人 (1983) タレント、あきげん
桑原康伸 (1980) ガガガSP、Bass
木村由姫 (1980) 歌手
坂本直子 (1980) マラソン
鈴木洋美 (1978) バレーボール
Cherry (1978) Baby Boo
横須賀ゆめな (1978) 歌手
朱門みず穂 (1973) 女優
枝松順一 (1973) アナウンサー
三浦佳子 (吉良佳子) (1972) クレー射撃
佐藤久順 (1971) 俳優
吉田佳史 (1970) TRICERATOPS、Dr.
西川弘剛 (1969) GRAPEVINE、G.
鈴木英哉 (1969) Mr.Children、Dr.
沢木美佳子 (1969) アナウンサー
ブッチ・ウォーカー (1969) ミュージシャン
宇仁菅真 (1965) 俳優
立見里歌 (1965) タレント、元おニャン子クラブ
久保こーじ (1964) 音楽プロデューサー
古溝克之 (1963) 野球
平仲明信 (1963) ボクシング
あめくみちこ (1963) 女優
こおろぎさとみ (1962) 声優
葵テルヨシ (?) 歌手
火浦 功 (1956) 作家
中野浩一 (1955) タレント、競輪
早野宏史 (1955) サッカー
小林 繁 (1952) 野球
すわ親治 (1952) コメディアン
速水 亮 (1949) 俳優
チャールズ・フィリップ・アーサー・ジョージ・マウントバッテン=ウィンザー (1948) イギリス皇族
青葉城幸雄 (1948) 相撲
仁井谷俊也 (1947) 作詞家
阿藤 快 (阿藤 海) (1946) 俳優
城野 昭 (1944) アナウンサー
四方章人 (1943) 作曲家
毛綱毅曠 (1941) 建築家
徳大寺有恒 (1939) 自動車評論家
和崎俊哉 (1938) 俳優
ホキ徳田 (1938) ジャズ歌手
東 陽一 (1934) 映画監督
八木正生 (1932) 編曲家
力道山光晴 (1924) プロレス、相撲
ブトロス・ガリ (1922) 国連事務総長
守友 恒 (1903) 作家
ジャワハラール・ネルー (1889) 政治家、インド
クロード・モネ (1840) 画家
ロバート・フルトン (1765) 技術者、発明家
貝原益軒 (1930) 儒学者、医者
ナルシソ・イエベス (1927) クラシックギタリスト
鎌原桐山 (1774) 儒学者
六条天皇 (1164) 天皇
○ パストゥール研究所設立(1888)
○ オーストリアの病理学者ランドシュタイナー、血液型を発見(1900)
○ 浜口雄幸首相、狙撃され、重傷(1930)
○ 本田彗星発見(1947)
○ 渋谷でウーマンリブ第一回大会(1970)
○ 青函トンネル起工式。全長53.85kmという世界最長の海底トンネル(1971)
○ 関門橋開通(1973)
○ プロ野球選手の労働組合認定。会長は中畑清(1985)
コベントリー爆撃の日
1940年11月14日の夜、ドイツ軍が新電波誘導システムを使ってイギリスコベントリー市を爆撃した。
この爆撃によって同市の多くが破壊され、380人が死亡した。
ウーマンリブの日
1970(昭和45)年、東京・渋谷で女性解放運動を高めるための日本初のウーマンリブの大会が開催された。
世界糖尿病デー
2006(平成18)年12月20日の国連総会において「糖尿病の全世界的脅威を認知する決議」が採択され、同時に11月14日が「世界糖尿病デー」に指定された。
国連では11月14日には糖尿病の予防、治療、療養を喚起する啓発運動を推進することを呼びかけています。
盛人の日
日本ベテランズ倶楽部が制定。 「い(1)い(1)とし(14)」の語呂合せ。
いい石の日
山梨県石材加工業協同組合が1999(平成11)年に制定。
「いい(11)石(14)」の語呂合せと、石工職人が尊ぶ聖徳太子の命日であるこの日を「太子講」としていたことから。
パチンコの日
1966年(昭和41年)のこの日、パチンコ業者の集まりである全国遊技業協同組合連合会が発足したことにちなみ、同連合会が1979年(昭和54年)に制定した日。
埼玉県民の日
1871年(明治4年)の廃藩置県で11月14日に埼玉県が誕生したことに由来する。
太政官布告から数えて100年目にあたる1971年(昭和46年)に県より制定された。
大分県民の日
1871年(明治4年)の廃藩置県で大分県が誕生したことに由来。
亀井勝一郎忌
評論家・亀井勝一郎の1966(昭和41)年の忌日。
大分県の日(11.14)
11月14日は大分県の日です。
これは豊後地方の8つの県が合同して「大分県」が生まれたのが1871年(明治4年)の11月14日だからで、「大分県あすをつくる県民運動推進協議会総会」が定めました。
大分県は大きな中心都市が1〜2個あってその周囲に衛星のように多くの町が広がるというパターンの多いほかの都道府県と違い、大分(46万)・別府(13万)・中津(8万)・佐伯(8万)・日田(8万)・宇佐(6万)・臼杵(4万)・豊後大野市(4万)・由布市(4万)・国東市(4万-2006年発足予定)・杵築市(3万)・竹田市(3万)・豊後高田市(3万)・津久見市(2万)というように、中規模の都市がやたらと多い構造をしています。
これは元々江戸時代までここには岡(現在の竹田市。岡城趾は「荒城の月」の舞台として有名です)・臼杵(うすき。頭だけの「臼杵の石仏」が有名でしたが、現在は本来の胴体の上に戻されました)・杵築(きつき)・日出(ひじ。サンリオのハーモニーランドは日出町にあります。距離的には杵築駅からも日出駅からもだいたい同じくらいの場所です)・府内(現在の大分市です)・佐伯(さえき)・森(現在の玖珠(くす)町です。昔ここに天まで届くような巨大な楠の木があったというのが地名の発祥伝説になっています。この木を切った時に木の上にあった鳥の巣が落ちた場所が佐賀県の鳥栖(とす)です)・中津(*8)という8つの藩と天領の日田(木材の集積地ですが、江戸時代の貴重なひな人形でも有名です)および別府(日本最大の湧泉量を誇る温泉があります。いわゆる温泉マークもここで生まれたものです)、それに宇佐神宮(別名「宇佐八幡」。全国八幡宮の発祥の地です)があり、各々が独自の文化を持っていたのがそのまま引き継がれてきているからです。
明治維新になると、この8つの藩は1871年7月14日付けで一斉に同名の県に転換(宇佐神宮近辺は多数の藩・天領の飛地があり権利関係が入り乱れていたが中津県に編入)。
天領日田はそれに先行して明治元年に日田県に転換しており(別府も日田県に編入)、これら9つの県の内、中津以外の8つが1871年11月14日に合同して「大分県」が発足しました。
なお中津県は同じ日に小倉県に合流していますが、1876年4月18日に小倉県が福岡県に合流した後の同年8月21日にそこから分離して大分県に参加。
現在の県境がほぼ確立しました。
近年の大分県の発展には元大分県知事の平松守彦が主導した「一村一品運動」が大いに貢献しています。
東京一極集中的な空気のあった地方のあり方に大きな波紋を投げかけたものであり、その後の「地方の時代」といったものへの流れを作った運動でした。
大分の椎茸もこの運動のおかげで、たいへんメジャーになりました。
なお平松は通産省の官僚だった頃に、日本のコンピュータ業界の枠組みを整えて、IBMという巨大な黒船に対抗できるだけの業界の体制を作るのに、大きな指導力を発揮したことでも知られています。
サンリオのハーモニーランドの大分県誘致でも力を尽くしていますが、多くの地方テーマパークが失敗する中で、数少ない生き残り組に入っているのも着想の良さがあったからでしょう。
ところで「大分」は「おおいた」と読むわけですが「分」という字を「いた」と読む例は他にはおそらくありません。
なぜこういうことになっているかについては、「おおいた」は「おおきだ」が変化したものというのでは、多くの人の説が一致していますが、その後の解釈については諸説わかれています。
その中で、とてもきれいな説を提唱しておられるサイトもありましたので紹介させて頂きます。
http://souen.way-nifty.com/place/2005/04/post_8013.html
「おおきた」は「おおき・た(多き田?)」と区切る説と、「おお・きだ」と区切る説があるのですが、このサイトでは後者の立場に立っています。
たしかに漢字の構成からすると、そちらの方が自然です。
ここで「きだ」というのは「きざ」に同じで、階段のことを「きざはし」と言い、またギザギザという言葉があるように「きだ」というのは「きざむ(刻む)」という意味で、そこから切り分けたものという意味があり、「きだ」という言葉は分国の意味だったのではないかと推定しています。
結果的には「大分(おおきだ→おおいた)」というのは、大いなる分国ということになりますでしょうか。
この件、詳しいことは上記のサイトをご覧下さい。
モネ(1840-1926)
睡蓮の絵で知られる画家のモネ(Oscar-Claude Monet)は1840年11月14日パリで生まれました。
4歳の時に一家はルアーブルに引っ越します。
若い頃から画家を志しますが、父と不和になり、経済的には苦しい状況が続きました。
21歳の時に画塾でルノワール、シスレー、バジールと出会います。
24歳の時に初めてサロンに入選、しばらくはパリを拠点に活動しました。
26歳の時に長男ジャンが生まれ、2年後その母親カミーユと結婚。
1873年32歳の時に「印象日の出(Impression Soleil levant)」を制作。
これを翌年仲間内で主催する作品展に出展。
この展を見た保守的な美術記者ルイルロワがこの作品のタイトルを使って「印象主義者の展覧会」と言って嘲笑する記事を書きます。
しかしこの記事がもとでこの素晴らしいムーブメントに『印象派(ecole impressionniste)』の名前が付くことになりました。
1876年には美術収集家エルネスト・オシュデと出会い、モネは一時期彼の家に滞在して絵を描いていました。
1878年には次男ミシェルが生まれますが、この年オシュデが破産。
オシュデ本人は失踪して、一転してオシュデの妻のアリスと6人の子供がモネの家に転がり込んでくることになります。
そして翌年妻カミーユが癌のため死去。
このころから1889年にロダンとの合同展で成功するまでの間、長い困窮生活が続きました。
モネは自分の2人の子供、アリスの6人の子供の教育のことも考えて1883年にジヴェルニーに家を借り経済的な安定を得た1890年にこの家を買い取っています。
そして1892年にはアリスと結婚しました。
このジヴェルニーの土地はモネの創作意欲を大いに刺激したようです。
子供たちをモデルにして多くの絵を制作していますし、1890年から始めた積藁の連作は色々な光線の元で見せる積藁の様々な様子が描かれています。
1893年頃から彼は北斎に惚れ込んだりしたこともあり日本庭園に興味を持ち、わざわざ日本から取り寄せた桜・紅葉・牡丹などの花を庭に咲かせました。
そして池を作り、睡蓮を育て、太鼓橋!まで架けてしまいました。
彼の代表作ともなる睡蓮の連作は1897年頃に構想を固め、1899年頃から亡くなるまで続くことになります。
1906年には友人のクレマンソーが首相になり、彼とのつながりで睡蓮大装飾画の国家への寄贈もすることになります。
この絵は死ぬまで手を入れていました。
1908年頃から視力が衰え始めますが色覚を失う直前で1923年82歳で白内障の手術を敢行しギリギリ持ちこたえます。そしてなおも制作を続けました。
1926年12月5日死去。享年86歳。
青函トンネル起工式(1971)
1971年11月14日、本州と北海道を結ぶ青函トンネルの工事の起工式が行われました。
青函トンネルの構想が作られたのは1946年2月26日のことです。
運輸省鉄道総局に集まった桑原弥寿雄・粕谷逸男らのスタッフが考えたのは、日本の復興のはげみになるような計画でした。
すなわち敗戦によって多くの国土を失った日本。
その日本に残された4つの島を全て鉄道で結んで、国民に統一感を取り戻させよう、というのがこの計画の趣旨でした。
しかし計画はお役所仕事の阻まれなかなか進まず、着工にいたるまでに25年もの月日がかかってしまいます。
そして工事も15年の歳月を要します。
1954年 9月 洞爺丸の沈没で早期実現の声強まる
1957年 5月 衆院本会議で実現を促す決議
1963年10月 試掘開始
1971年11月14日 起工式。中曽根鉄建審会長が鍬入れ。
1982年 7月 津軽海峡線工事計画認可
1983年 1月 先進導抗貫通。中曽根首相が官邸で爆破ボタンを押す。
1985年 3月10日 本抗貫通。
1986年 3月 5日 レールがつながる。
1988年 3月13日 津軽海峡線開通。一番列車はAM7:23函館発盛岡行「はつかり10号」
1989年 7月21日 トワイライトエクスプレス運行開始(定期運行は12月2日から)
この間、工事に携わった人の人数はのべ1200万人。
工事中の事故による死者34名。
工事中に訪れた見学者3万人。
使用した火薬3000トン。
コンクリート150万立方メートル。
鉄骨17万トン。
排出した土砂600万立方メートル。
トンネルは、先進導抗・作業抗・本抗と3本掘られており、完成後は先進導抗は排水抗、作業抗は保守および避難用抗として使用されています。
トンネルの長さは53.85km。
ただし先進導抗・作業抗とそれらの間の連絡抗の総延長は200kmを越すとのことです。
そして現在は毎日50本ほどの列車がこのトンネルを通っており、毎年の利用客の数は約200万人に到達しています。
で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ
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