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11月05日 電報の日、雑誌広告の日(日本雑誌広告協会,1970)
花ノ名前 花ことば 誕生花として
コルチカム 華美・私の最良の日は過ぎた・美徳 ○
サザンカ(白) 理想の恋・無垢 ○
マツバキク
心広い愛情・怠惰・無為・のんびり気分・愛国心・勲功○
∞…∞11月05日・今日という日 ∞…∞
畑中梨沙 (1987) タレント
BoA (1986) 歌手
田中 聖 (1985) タレント
中川晃教 (1982) シンガーソングライター
貢 (1978) 360°(サブロク)
YUKINARI (1978) DA PUMP
花森ぴんく (?) 漫画家
谷口賢志 (1977) 俳優
井上謙二 (1976) レスリング
宿輪竜一 (1976) タレント、Rマニア
マーヤ (小山雅史) (1979) KING BOTHERS、G.
高僧美喜 (1974) タレント、高僧・野々村
宮本慎也 (1970) 野球
大久保宗洋 (1970) タレント、オーディン
日向野浩代 (1970) 漫画家
うういずみ (1969) 漫画家 「2×2」
榎本ナリコ (1967) 漫画家 「センチメントの季節」
上田慶行 (1967) アナウンサー
春畑道哉 (1966) TUBE、G.
池谷理香子 (?) 漫画家
ジャンピエール・パパン (1963) サッカー
ハンス・ヒルハウス (1963) サッカー
テイタム・オニール (1963) 女優
登 静江 (登亜樹子) (1961) モデル、女優
ロイド・モスビー (1959) 野球
ブライアン・アダムス (1959) 歌手
ロバート・パトリック (1959) 俳優
小林明子 (1958) シンガーソングライター
今井清隆 (1957) 俳優
山村美智子 (1956) 司会者、女優
ブラザー・コーン (1955) バブルガムブラザーズ
天地真理 (1951) タレント、歌手
ルイズルイス加部 (1948) ベーシスト、元ゴールデンカップス
ペーター佐藤 (1945) イラストレーター
富野由悠季 (1941) アニメプロデューサー
アート・アイラ・ガーファンクル (1941) サイモン&ガーファンクル
川口 真 (1937) 作曲家
青空はるお (1937) 漫才師
赤瀬川隼 (1931) 作家
平良とみ (1929) 女優
喜味こいし (1927) 漫才師
佐藤愛子 (1923) 作家
ヴィヴィアン・リー (1913) 女優
太田博太郎 (1912) 建築家
海音寺潮五郎 (1901) 作家
石川一郎 (1885) 元経団連会長
市村羽左衛門 (十五代目) (1874) 歌舞伎役者
西洞院時慶 (1552) 公家
○ 坂上田村麻呂、征夷大将軍となる(797)
○ 岩倉具視全権大使、英国女王に謁見(1872)
○ 島村抱月、没。47歳(1918)
○ 虫歯デー初実施(1920)
○ 英考古学者、ツタンカーメンの墓発見(1922)
○ NHK初めて全国中継放送(1928)
○ 東京科学博物館開館(1931)
○ 山梨県の大菩薩峠で武闘訓練中の赤軍派を警視庁が逮捕(1969)
○ パンダのランラン、カンカン初公開(1972)
いいたまごの日
卵の正しい知識の普及や消費を拡大する機会とすることを目的に日本養鶏協会、日本卵業協会など関係団体が合意して2010(平成22)年に制定したもの。
なお、毎月5日は「たまごの日」とした。
雑誌広告の日
日本雑誌広告協会が1970年(昭和45年)に制定した日で、消費者を保護するために雑誌広告の信頼を高めることを目的としている。
読書週間、教育・文化週間のある時期ということでこの日となったという。
Burn ALL GIFs day(全てのGIFを焼き尽くす日)
1999(平成11)年から実施。画像フォーマットとして広く使用されているGIFに使用される、LZW圧縮アルゴリズムに対し、アメリカのユニシス社が特許を有するとして、GIF使用者に対して使用料の請求をはじめたことに端を発し、この動きに反発した人々がGIF使用を止め、PNGやJPEG等の他の画像形式を採用するようにと言う運動を開始。
これを記念した日。
ちなみに問題となった特許権は日本では2004/6/20、米国では2003/6/20に失効したため、GIFは再び自由に使えるようになった。
電報の日
電報を電話で申し込む時の番号が「115」であることから制定。
いいりんごの日
青森県が2001(平成13)年に制定。 「いい(11)りんご(5)」の語呂合せ。
たまごの日
毎月5日。日本養鶏協会、日本卵業協会など関係団体が制定。
ガイフォークスデイ( Guy Fawkes' Day)(イギリス)
1605年、イングランド王ジェイムズのカトリック教徒弾圧に憤慨した一団が、国会開院式の日に国会議事堂爆破を計画。
しかし、実行寸前の11月5日未明に発覚し火附け役のガイ・フォークス及び一味が逮捕された。翌年からこの日を「救助を神に感謝する日」とよび、休日とした。
ナショナルデー(パナマ・コロン市)
中米解放の最初の叫びの日(エルサルバドル)
いいりんごの日(11.5)
11月05日は語呂合わせで「いいりんごの日」です。
青森県で2001年に制定されました。
りんごのもうひとつの主産地である長野県では、1999年に長野の主力りんごが「ふじ」であることから、11月22日を「いいふじ」の語呂合わせで「長野県りんごの日」と定めています。
りんごはバラ科の落葉高木で原産地は中国の天山山脈付近と言われています。
これが西に伝わりヨーロッパで普及し、やがてアメリカにも広まります。
日本には平安時代頃には中国から渡ってきた、りんごがあったようですが、栽培は信濃の善光寺などごく一部でしか行われていませんでした。
日本で本格的にりんごの栽培が行われるようになるのては明治からで、アメリカからりんごの苗木が持ち込まれ、政府は全国でこの苗を植えてみますが、特に青森と長野が生育に適していることが分かり、この2ヶ所が、りんごの産地となることになったのです。
【りんごの主な品種】
紅玉
俗称「たま」。
これが本当の「りんごの味」と私は信じています。
大好きな品種ですが、利益率が低い上に輸送に弱いため、一時期はかなり栽培数が減っていました。
しかしお菓子作りなどに良いなどという話が広がったりしたこともあり、最近少し復活してきているようです。
アメリカ産で、アメリカでは「ジョナサン」といいます。
1871年に日本に導入されました。
国光
昔は紅玉・国光がりんごの二大品種でした。
アメリカ産でアメリカでは「ロールスジャネット」といいます。
紅玉が甘く柔らかいものの日持ちがしないのに対して、国光は硬く貯蔵性が良く、両者は好対照でした。
紅玉がほとんど見られなくなっていた時期に安売りりんごの代表格だった時期もあるのですが、最近では、とんと見なくなってしまいました。
印度
私はこの味、結構好きなのですが、一般受けはしないようです。
明治の始め頃に、アメリカのインディアナ州から来た宣教師が種を蒔いて育てたのが発端ということで、日本で栽培された西洋りんごの第一号でもあるそうです。
宣教師の出身地にちなんで「印度」と呼ばれるようになりました。
最近では残念ながらほとんど見ません。
旭
マッキントッシュですね。カナダ原産ですが、日本にはフランス経由で入ってきたそうです。
しかし最近ではほとんど見ないですね。
デリシャス
アメリカ産のりんごで、赤く甘いリンゴ。印度と共に多くの品種の元になっています。
スターキング・デリシャス
デリシャスの変種で、甘みの強いりんごです。
1921年にアメリカで発見されました。
ゴールデン・デリシャス
これもデリシャスの変種でアメリカで偶然発見されたものです。
「ゴールデン」の名の通り、黄色いりんごです。
ジョナゴールド
母がゴールデン・デリシャス、父がジョナサン(紅玉)というりんごで、アメリカで作られた品種です。
1970年に日本にやってきましたが、紅玉に似た味で紅玉より扱いやすいことから、現在では大衆的なりんごの代表格になっています。
ふじ
長野県を代表する品種。母が国光、父がデリシャスという品種で、国光に似た外観とデリシャスに似た味を持ちます。
特に無袋栽培したものを「サンふじ」と言います。
生産者側での評価は高く、いろいろ賞を取ったりもしています。
日本で最も多く流通しているりんごです。
アルブス乙女
母はふじ、父は紅玉。これはふじと紅玉の混植園で偶然発見されたものです。
小さな可愛いりんごで、産地の松本市にちなんで「アルプス乙女」と名付けら
れました。料理の飾りなどに利用されたりもします。
王林(おうりん)
母がゴールデンデリシャス、父が印度。緑色の外観を持ち、一部に根強いファンのいるりんごです。
私もこれは嫌いではありません。
陸奥(むつ)
母がゴールデンデリシャス、父が印度。大きなリンゴです。
無袋栽培したものは「サン陸奥」と言い王林と同様に緑色の外観をしていますが、有袋栽培すると赤いリンゴになります。
袋の色次第で、ピンク系から濃紅色まで様々な外観になります。
また、しばしば文字の入った袋を掛けて様々な文字を表面に浮かび上がらせます。
つがる
母がゴールデンデリシャス、父が紅玉(異説あり)。
庶民的なりんごのひとつですね。
早生種の代表格で、現在流通量でもふじに次いで第二位だそうです。
金星
母がゴールデンデリシャス、父が国光。
とてもきれいな黄色いりんごですが、育てるのにかなり手間がかかるので生産量は少ないそうです。
北斗
母がふじ、父が陸奥。赤く、果汁が多くておいしいりんごですが、芯にカビがつきやすいのが欠点(食べるのには問題ない)。
世界一
母はデリシャス、父はゴールデンデリシャス。
巨大なりんごで、それがこのりんごの最大の価値。
主として贈答用。
青森県りんご試験場が1930年に開発。
東光
母はゴールデンデリシャス、父は印度。
「世界一」と同様に青森県りんご試験場が1930年に開発。「光は東から」ということで「東光(Orient Light)」と名付けました。
黄緑のりんごです。
基本的には貯蔵性は良いのですが、北斗と同様に芯にカビがつきやすいようです。
千秋(せんしゅう)
母が東光、父がふじ。秋田県で開発されました。
名前は秋田市の千秋公園にちなんでいます。
秋映(あきばえ)
母が千秋、父がつがるです。
祝(いわい)
国光・紅玉などと並び古い品種です。
アメリカ産でアメリカでの名前は「アメリカン・サマー・ペアメン」というそうですが、この木はアメリカではもう育てている所がないそうです。
日本でもかなり少なくなりました。
かつては青リンゴの代表格でした。
「祝」の名前は明治33年の皇太子ご成婚にちなみ改名されたものです。
ウスターペアメン
イギリスのウスターで1874年に開発された品種で、日本には大正時代に導入されました。
ウスターはご存じ「ウスターソース」の発祥の地です。
あかね
母は紅玉、父はウスターペアメン。
1939年に果樹試験場盛岡支場が開発しました。
「あかね」の名は1970年につけられたもの。
鮮やかな紅色のりんごです。
さんさ
母はニュージーランドの「ガラ」というリンゴで父はあかね。
二国合作の新品種です。
小玉で丸かじりしやすいりんご。
早生種の代表的な品種になることを期待されています。
陽光(ようこう)
ゴールデンデリシャスの交雑実生です。
あかぎ
これもゴールデンデリシャスの交雑実生です。
群馬県生まれで、丸かじりに適したりんごのひとつです。
新世界(しんせかい)
母はふじ、父はあかぎ。
濃紅色のりんごです。
スリムレッド
これも母はふじ、父はあかぎ。その名の通り細い形をしたりんごです。
ぐんま名月
母があかぎ、父がふじ。
群馬県沼田市で生まれました。
ハックナイン・ノースクイーン
いづれも母がふじ、父がつがるで、1971年に北海道立中央農業試験場が開発しました。
ハックナインはHokkaido Apple Clone No.9 を略して「HAC9」と呼んでいたのがそのまま定着しました。
薄紅色のりんごです。
ノースクイーンの方は黄色いリンゴです。
現在、北海道ではよく見られるりんごとなっています。
ひめかみ
母はふじ、父は紅玉。
岩手県生まれ。
未希ライフ
母は千秋、父はつがる。
青森県生まれ。
名前はNHKの大河ドラマ「いのち」の主人公に由来します。
レッドゴールド
母はゴールデンデリシャス。
父はリチャードデリシャスという品種で、アメリカで生まれました。
とても甘いリンゴです。
高嶺(たかね)
レッドゴールドの交雑実生。
長野県生まれ。
恵(めぐみ)
母は国光、父は紅玉。
1931年に開発された古い品種です。
果汁が多く病気に強いため、以前はよく見られた品種だそうです。
ハニークィーン
母は恵、父はレロ11号という品種で、交雑実生から選抜育成して定着させた、新しい品種です。
北上
母は東北2号という品種で父はレッドゴールド。
岩手県生まれ。
松本錦
母はつがる、父はネロ26号という品種です。
昴林
ふじの交雑実生の中から生れたりんごです。
電報の日(11.5)
11月5日は電報を依頼する電話番号115にちなんで「電報の日」です。
私が小さい頃などはまだ電話のある家庭は限られていたこともあり、電報は重要なコミュニケーションの手段でした。
母が病気の時に長期出張中の父に連絡して一時的に帰ってきてくれるよう頼むのなどに、電報電話局まで雪の中を走っていって電報を打ったりしていました。
しかし今や電話は1家庭に1台という時代を過ぎて、1人に1台の時代になっています。
仕事とプライベートの使い分けなどで1人で複数台使用している人も多いでしょう。
こういう時代に、電報にはかつてあったような「緊急連絡」という意味合いは全く無くなってしまいました。
現在の電報の主力は結婚式のお祝い・葬式のお悔やみといった慶弔に関わるものです。
それもここ数年は郵便局のレタックスとの競合が始まっており、今後どうなっていくかは予断を許さない部分があります。
現在NTTはインターネットから電報が送れるD-Mailのサービスを行っていますが、レタックスに対抗して文字だけでない世界に進んでいくのかも知れません。
その場合、今の段階ではネットの世界でグリーティングカードを完結させている民間のYnotなどの動向も気になってくるところです。
電報の主力が慶弔になってきていることから最近では電報自体の料金より、外側のパッケージや添付品の方が問題になってきています。
電報が生活上の通信手段であった時代は、如何にして電文の文字数を減らすかということに頭を使っていたのですが今はそういう問題は気にされない時代になりました。
現在人気のあるパッケージとしては、押し花電報・刺繍電報・メロディ電報・キャラクタ電報・ぬいぐるみ電報などがあります。
漆塗り電報もアイデアは良かったと思うのですが、闇金融の嫌がらせにかなり使用されたためすっかり悪いイメージが定着してしまいました。
電報は初期の段階ではモールス信号による電信で送られていました。
最初にこの原理を考案したのは1833年アメリカのサミュエル・モース(Samuel Finley Breese Morse, 1791-1872)です。
彼の名前は日本では「モールス」と音写され、そのため彼が考案した符号は「モールス信号」と呼ばれています。
彼は元々は画家なのですが1832年頃からほとんど絵は描かなくなり突然電気工作に夢中になって1833年にもっとも基本的な電信の実験を成功させるとその改良に取り組み1835〜38頃にほぼ電信のシステムを完成させました。
モールス信号の体系もこの時期に作られたものです。
彼は1844年には政府の許可を取ってワシントンとボルチモアの間に60kmにわたる電信線を設置。
このシステムの効用をアピールしました。
この電信線の完成時に送った電文が有名な「What hath God wrought」でした。
ちなみにTelegraphのgraphとは元々wrightという意味です。
つまりtelegraphは直訳すれば遠隔筆記ということになります。
彼はこのあと更には潜水艦の電信システムも手がけています。
彼のシステムは1848年にThomas Hall-Bostonが打鍵しやすいように改良。
1852年にはポータブルな打鍵機器が開発されました。
その後様々な人によりシステムはより打鍵しやすいように、より出力が出るように改良されていきます。
そして無線による電信システムが発明されたのは1904〜1905年頃です(モースの潜水艦電信システムは有線!だった)。
無線で電信を送るには有線の時よりずっと大きな増幅が必要なのでその付近の開発が結構大変であったようです。
日本で電報のサービスが始まったのは1869年ですから、さほど世界の情勢に遅れていません。
日本の明治維新というのは、ちょうど19世紀の様々な技術革新が進行中であった時代にちょうどシンクロしているため、西洋諸国とさほど差の無い状態で技術革新が行われています。
日本はあの時期に開国して西洋技術を導入したのが、とても運が良かったと私はしばしば思います。
モールス信号の栄光を揺るがす発明となったのが1920年のテレタイプの発明でした。
電信の場合は送信側で人間が打鍵し受信側でも人間がツツツーという音を聞いて書き留めて行かなければならない訳ですが、テレタイプならこちらのタイプライターで打ったものが向こう側にそのまま印字されます。
タイプライターを打てる人なら誰でも通信をすることができる訳で、それまでモールス信号をきちんと打てるようになるまでかなりの訓練が必要であったのが不要とあって、大きな衝撃となります。
更には1931年にはこのテレタイプを電話交換網に乗せたテレックスのサービスが開始されます。
テレックスは1980年代にアメリカが電子メール技術を一般の人でも利用できるようにするまで、商業通信の主役として活躍しました。
日本では戦争などのせいで導入がおくれ1956年9月1日に日米間のテレックスが開通。
同年10月25日に東京大阪間のテレックスが開通しています。
そして今やインターネットの時代。電話でさえIP電話の登場により音声がネットを通して送られる時代になりました。
現在電報の申し込みは115番に掛けて電話で申し込むよりも、ネットやiModeから申し込むかコンビニで申し込む方が一般的になってきているものと思われます。
この先、電報にはどのような展開が待っているのでしょうか。
で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ
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