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10月19日 バーゲンの日、べったら市、トークの日(毎月)
花ノ名前 花ことば 誕生花として
アキノキリンソウ 予防・安心・幸せな人・用心・要注意○
ニガウリ(ツルレイシ) 強壮 ○
ホウセンカ 私に触れないで・心を開く ○
ホウセンカ(紅) 私に触れないで・繊細・そっとして ○
∞…∞10月19日・今日という日 ∞…∞
須賀健太 (1994) 俳優
栩原楽人 (1989) 俳優
杉山祥子 (1979) バレーボール
柳原尋美 (1979) タレント、元カントリー娘。
中島卓偉 (TAKUI) (1978) ロックシンガー
瀬川 亮 (1978) 俳優
畑健二郎 (?) 漫画家 「ハヤテのごとく!」
須賀貴匡 (1977) 俳優
金子 賢 (1976) 俳優
財前宣之 (1976) サッカー
石橋尊久 (1975) タレント、イシバシハザマ
山田與志 (1974) タレント、COWCOW
大滝裕一 (1973) タレント、18KIN
實好礼忠 (1972) サッカー
あおきさやか (1972) 声優
立花理佐 (1971) タレント
奥井亜紀 (1971) シンガーソングライター
佐々木明子 (1969) アナウンサー
久保ひとみ (1969) タレント、ディスクジョッキー
青羽 剛 (1969) 声優
松田洋治 (1967) 俳優
池谷 亨 (1967) アナウンサー
猫部ねこ (1967) 漫画家 「きんぎょ注意報」
下村陽子 (1967) 作曲家
近藤典子 (1967) タレント
団 優太 (1967) 俳優
伊達直斗 (1965) 俳優
やまだないと (1965) 漫画家
野村真美 (1964) 女優
諸星由美 (1964) 女優
イベンダー・ホリフィールド (1962) ボクシング
堀江 淳 (1960) シンガーソングライター
原 博実 (1959) サッカー
ラサール石井 (1955) タレント
野沢秀行 (1954) サザンオールスターズ
高山 巌 (1951) 歌手
打田康比古 (1949) 俳優
岡田可愛 (1948) 女優
藤田 平 (1947) 野球
白川 道 (1945) 作家
林家木久蔵 (1937) 落語家
童門冬二 (1927) 作家
東恵美子 (1924) 女優
神風正一 (1921) 相撲
○ アメリカ独立戦争終結(1781)
○ ナポレオンの仏軍、モスクワを撤退(1812)
○ 早稲田大学開校(1902)
○ 魯迅、没。55歳(1936)
○ 海軍が神風特攻隊を編成(1944)
○ 日本共産党が合法化される(1945)
○ 駅名表示が左書きに統一(1945)
○ 土井晩翠、没。81歳(1952)
○ 日旧ソ連国交回復に関する共同宣言(1956)
○ 福井謙一、ノーベル化学賞受賞(1981)
ブラックマンデー
1987(昭和62)年10月19日月曜日、ニューヨーク株式相場が大暴落しました。
ダウ30種平均の終値が先週末より508ドルも下がり、この時の下落率22.6%は、世界恐慌の引き金となった1929年の「暗黒の木曜日」を上回りました。
この影響は翌日東京にも波及しました。
日ソ国交回復の日
1956年(昭和31年)のこの日、日ソ両国が共同宣言を発表。議定書には鳩山一郎首相全権らとブルガーニン首相が調印。
バーゲンの日
1895(明治29)年、東京の大丸呉服店が冬物の大売出しを開催し、日本初のバーゲンとなりました。
海外旅行の日
「遠(10)くへ行く(19)」の語呂合せ。 海外旅行の楽しみ方等について考える日。
晩翆忌
詩人・英文学者の土井晩翆の1952(昭和27)年の忌日。
ブラックマンデー(1987)
1987年10月19日(月)、ニューヨーク証券取引所で平均株価が508ドルも下がる(22.6%)という史上最大の大暴落があり、世界恐慌の引き金になった1929年10月29日(木)の「ブラックサーズデイ」を上回る下げ幅ということで、世界中が戦争でも起きるのではないかと騒然としました。
この暴落の背景には、当時アメリカの財政赤字や貿易赤字が拡大傾向にあり更にはドル安でインフレ懸念があった事などがあります。
アメリカはインフレ対策で9月5日に公定歩合を0.5%引き上げ6%にしましたが、10月14日に発表された貿易収支が予想を大きく上回る赤字額であったことから、企業成績に対する不安感が募りました。
しかしそれにしてもここまでのとんでもない下げ幅になるほどの要素は無かったといえます。
このブラックマンデーが起きた最大の原因は、大口投資家の「プログラム売り」でした。
大口投資家は投資している株式の銘柄をコンピュータで管理していますが、万一どれかの銘柄が一定の幅を超えて価格が下落した場合、損失を最小限に抑える(損切りする)ため、その銘柄を売りに出すというシステムを組んでいるのが普通です。
ところが、みんながそういうシステムを使っていると、いったん株価が下がり出すと、全員が一斉に自動的に全ての株を売り始めることになり、売りが殺到して株価の下げ圧力が強まり、一気に大暴落を起こしてしまうのです。
また他にも株価が下がり出した場合、投機筋がまだ株価が高い内に空売りをして、下がりきった所で買い戻して利益を得ようとするので、このような暴落に拍車を掛けてしまう面もありました。
人間が介入して株の売買をおこなう場合は、ある程度下がっても本来実力のある企業ならすぐに回復するだろうと判断して売らない人たちもいるので、あそこまでの暴落を起こすことはそうないのですが、当時は株式管理をしているプログラムのロジックが、まだ未熟だったといえます。
また更にはこのようなプログラム売りというものが普及しているということを政府や取引所などがまだ充分認識していなかったことなどもありました。
しかしこの時のアメリカ政府の対応は立派でした。
FRB(米連邦準備制度理事会)のグリーンスパン議長が講演先から、FRBの強い姿勢を発表して信用不安の打ち消しに務め、また大企業や証券会社などへの個別折衝が実り、幾つかの大企業や証券会社が積極的に株を買うという発表をしてくれます。
このため翌日20日のニューヨークの株価は一転して102ドルの上昇をします。
更に翌日はこの大暴落のおかげでいきなり経営危機に陥ったコンチネンタルイリノイ銀行の子会社に対して、超法規的な救済策をFRBが指示したことから市場に安心感が広がり、21日は今度は史上最高の上げ幅となる186ドルもの平均株価上昇が起きて世界的な危機は回避されました。
もっともこのニューヨーク史上の株価が完全に元の水準に戻るには、その後2年ほどかかっています。
ブラックマンデーの影響は当然世界各地の株式市場にも現れ、日本でも東京証券取引所は株価が3836.48円(14.9%)下がる暴落を起こしましたが、翌日には2037.32円(13.24%)上昇してあっさり回復。
その後半年ほどで元の水準まで戻しました。
そしてこの株価の変動でおいしい目にあった人たちの影響で、バブル経済の「財テク」時代がやってきます。
しかし当時、日本ほどすばやく株価が回復した国はほかになかったようで他国は結構後遺症に苦しんでいます。
で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ
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