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10月18日 統計の日(1973)、冷凍食品の日(日本冷凍食品協会1986)、フラフープ記念日、
頭髪の日(毎月)
花ノ名前 花ことば 誕生花として
ツルコケモモ 心痛のなぐさめ・心痛を柔らげる ○
テランセラ 熱するとさめる恋・変身 ○
ミソハギ 愛の悲しみ・純真な愛情・悲哀・慈悲×
ムラサキシキブ 愛され上手・聡明な女性 ○
ワタ 偉大・崇高・繊細・有用な・優秀 ○
∞…∞10月18日・今日という日 ∞…∞
野水伊織 (1985) 女優、声優
森 泉 (1982) モデル
平山裕司 (1980) WAG、G.
川村ひかる (1979) タレント
京野ことみ (1978) 女優
大西順子 (1974) 水泳
金子 昇 (1974) 俳優
中村兼三 (1973) 柔道
柳 想鉄 (ユ・サンチョル) (1971) サッカー
北川勝利 (1971) ROUND TABLE、Vo. G.
安原麗子 (1969) タレント、元 少女隊
金井 茂 (1969) 俳優
大嶽直人 (1968) サッカー
渡辺 慎 (ワタナベイビー) (1968) ホフディラン
伊達駿太郎 (1968) 俳優
メグマリコ (1968) タレント
湯江健幸 (1967) 俳優
大平光代 (1965) 弁護士
香川恵美子 (1965) アナウンサー
石田武司 (1965) タレント、カンカラ
井上悦子 (1964) テニス
越川大介 (1961) 俳優、元ちびっこギャング
ジャン・クロード・ヴァン・ダム (1960) 俳優
石井めぐみ (1958) 女優
山本和範 (カズ山本) (1957) 野球
マルチナ・ナブラチロワ (1956) テニス
しゅうさえこ (周佐枝子) (1956) 歌手
郷ひろみ (1955) 歌手
三ツ矢雄二 (1954) 声優
黒沢 博 (1948) ヒロシ&キーボー
若本規夫 (1945) 声優
寺内小春 (1931) 脚本家、劇作家
坂本 休 (1930) 政治家、中津江村村長
馬場のぼる (1927) 漫画家 「バクさん」
チャック・ベリー (1926) ミュージシャン
坂田寛夫 (1925) 作家
春風亭柳昇 (1920) 落語家
花沢徳衛 (1911) 俳優
マリリシ・マヘシ・ヨギ (1911) 宗教家 ※1918年生まれ説も
ウフェ・ボワニ (1905) 政治家、コートジボアール大統領
壷井繁治 (1897) 詩人
タイ・カッブ (1886) 野球
鈴木大拙 (1870) 仏教哲学者
アンリ・ベルクソン (1859) 哲学者
光仁天皇 (709) 天皇
○ 初の全国的な政党・自由党結成(1881)
○ 大隈重信襲われ、条約改正実現ならず(1889)
○ 発明王エジソン没。84歳(1931)
○ 東条英機内閣成立(1941)
○ フラフープ発売、大ブームに(1958)
○ 旧ソ連、金星4号の軟着陸に成功(1967)
○ ミニの女王、ツィッギー来日(1967)
○ アメリカの木星探査機「ガリレオ」発射成功(1989)
統計の日
国民に統計の重要性を理解してもらおうと1973年(昭和48年)に政府が制定した日。
1870年(明治3年)に今の生産統計の起源となった「府県物産表」についての太政官布告が公布されたのが、旧暦の9月24日(新暦の10月18日)だったことから。
マージャンの日(毎月第3木曜)
世界メノポーズデー
「メノポーズ」とは「閉経」「更年期」のことで、更年期前後の女性がどう生きるかを考える日。
冷凍食品の日
1986年(昭和61年)に日本冷凍食品協会が制定した日で、便利な冷凍食品をもっと食べてもらおうとPRするのが目的。
冷凍のトウ(10)とマイナス18度が冷凍食品の品質を保持するのに最適な温度のため10月18日とした。
ミニスカートの日
1967(昭和42)年、イギリスから「ミニの女王」ツィギーが来日し、ミニスカートブームが起こりました。
フラフープ記念日
1958(昭和33)年、フラフープが日本で初めて発売されました。
1本270円で、一か月で約80万本という爆発的な売り上げを記録する大ブームになりましたが、「腸捻転になる」等の噂がたち、急速に売れ行きが落ちました。
冷凍食品の日(10.18)
10月18日は冷凍食品の日です。
これは1986年に日本冷凍食品協会が定めたものです。
冷凍の「とお」にちなんで10月。
そして冷凍食品の品質を維持するための温度-18度にちなんで制定されました。(苦しい制定の仕方と思うのは私だけ?)
人類の文明の発展はある側面では食糧の保存法を軸にしていたということもできるかも知れません。
最初に考えられた保存法は恐らくは乾燥させることではないかと思います。
気候などの条件が良ければ、特定の肉や植物は乾燥させることで長持ちします。
逆に生の時より味わい深くなるケースもありました。
その次に出てきたのが多分塩漬けにする方法。
これは海の近くで文化を作った人が考えたのかも知れません。
そして冷凍する方法は、寒い地方で暮らしを営んだ人たちによって考えられたものでしょう。
肉や魚が雪や氷の中に埋めておくといつまでも新鮮な状態で食べられることに、北方の民は神の恵みを感じたことでしょう。
温帯が国土の大部分を占める日本では、この冷凍保存法は非常に限られた人々だけが使っていたものと思われます。
近代以降では、高野豆腐のような乾燥食品、漬け物や塩魚などの塩漬け食品、そして次には近代文明の成果である空気遮断法を使用した缶詰が先行し、冷凍食品が普及するのは、結局冷蔵庫が普及する昭和40年代以降ということになります。
またこの現代の冷凍の技術は、後に乾燥法に応用されて「フリーズドライ」を産み出します。
急速冷凍してから水分を飛ばすこの方法は味があまり落ちないことから、インスタント・コーヒーやインスタント・ラーメンなどで使用されており、現代の日本都市文明においてはなくてはならないものになっています。
現在冷凍食品として供給されているものは多々あります。
恐らくお弁当を作って会社や学校に持って行っている人の大半は、おかずの半分以上が冷凍食品なのではないかと思います。
ハンバーグ、スパゲティ、コロッケ、トンカツ、オムレツ、などといった完成品、ミックス・ベジ、和風野菜ミックス、コーンなどといった素材、またたこ焼き・鯛焼きなどのおやつまで、冷凍食品はほんとうに私たちの生活に密着しています。
統計の日(10.18)
日本の公的な近代産業統計の始まりは明治3年9月24日に太政官布告により集計作業が開始された「府県物産表」と呼ばれるものです。
この明治3年9月24日が太陽暦に換算すると同年10月18日になるため、この日を「統計の日」とすることが、1973年7月3日閣議により決定されました。
府県物産表は各府県ごとに米麦などの農産物、海産物や木材、鉱業生産物など29種類の産業製品について、その生産高を調査して集計したものです。
このような表を作ることは国力の把握、そして産業育成政策の立案の基礎となるもので、国の統治をするのにとても基本的なことです。
江戸時代までは各藩の経済力を米の生産高で表し「○万石」という言い方をしていたわけですが、日本が近代国家に成長する過程においては米だけでなく、様々な生産物の調査が必要になったのでした。
統計の歴史はそのまま「まつりごと」の歴史とも言えるでしょう。
日本書紀は第10代・崇神天皇を「初めて国を肇(しら)した天皇」と書いていますが、それはこの時代に初めて人口調査を行い、賦役の割当てを行ったからであるとしています。
西洋でも人口調査はローマ帝国時代などにはかなり組織的に行われていたことが知られていますし、聖書の「民数記」などにも各氏族ごとに人口調査が行われたことが記されています。
もっとも近代以前の統計では、統計を正確に出すための技術的・政治的手法が不足していた面が多く、しばしば調査官は賄賂などで簡単に調査結果を改変していたようですし、日本でも古代の人口調査で異様に女性の比率が高い事などは昔の調査手法の限界を示す例でもあるのでしょう。
近代の統計調査が古代のものに比べて高い精度を持つようになったのは、調査が一般に国の普通の政治系統からは離れた機関によって行われるようになったことと匿名性の保証によって人々が正確な申告をしてくれるようになったこと、また調査に携わる人員を大量に確保し、きちんと教育して短期間に国の各地に送り出し調査させて戻ってこさせるだけの統制力と通信・交通手段が発達したことなどがあげられるでしょう。
また調査した数字をまとめるための統計学の理論も近代大きく発達し、統計分布、平均と標準偏差、などといった数理的な把握が容易になったことは国家規模の大きな統計の活用の幅も広げていきました。
そしてその理論は逆にこのような大きな数の処理を迅速におこなうための技術の発展も促しました。
電子計算機のトップメーカーIBMもルーツをたどると19世紀の終わり頃にアメリカの中央統計局が国勢調査の結果をまとめるための機械を募ったのに発明家の創業者が、それまで編み機の図柄制御に使用されていたパンチカードを数理処理に使うことを思いついて自動計算機械を製作し応募して採用されたのが発端です。
世界で最初にこのような技法を発達させた国が今世界の支配者となっているのも、ある意味では当然でしょう。
で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ
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