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10月12日 国際防災の日、タマゴデー、パンの日(毎月)、豆腐の日(毎月)

花ノ名前      花ことば            誕生花として
ワタ        優秀               ○
ガーベラ(黄)    究極美              ○
キク(黄)     やぶれた恋・高潔         ×
コケモモ      反抗心・不実・不信        ○
トウガラシ     旧友               ○

∞…∞10月12日・今日という日 ∞…∞

藤原ひとみ   (1988)  タレント
前田由紀   (1985)  Whiteberry、Vo.
ともさかりえ   (1979)  女優、歌手
鶴見智美   (1979)  サッカー
土屋伸之   (1978)  タレント、ナイツ
城 雅子   (1978)  声優
ブラッド・トーマス   (1977)  野球
マリオン・ジョーンズ   (1975)  陸上競技
丸山豊揚   (1973)  社会人野球
清水次郎   (1971)  アナウンサー
福井弓子   (1971)  アナウンサー
川上次郎   (1970)  KUSU KUSU、Vo.
香田 晋   (1967)  歌手
中森明穂   (1966)  タレント
武居'M'征吾   (?)  ナレーター
今 敏   (1963)  アニメーション監督
ダンス☆マン   (1963)  ミュージシャン
押切伸一   (1961)  著述家
真田広之   (1960)  俳優
東儀秀樹   (1959)  雅楽演奏者
いまみちともたか   (1959)  元バービーボーイズ
彦野利勝   (1954)  野球
平 淑恵   (1954)  女優
キモサベポン太   (1951)  タレント
鹿賀丈史   (1950)  俳優
ダリル・ホール   (1948)  ミュージシャン
島田荘司   (1948)  作家
戸井十月   (1948)  作家
山根一眞   (1947)  作家
秋山 仁   (1946)  数学者
若林哲行   (1946)  俳優
澤村藤十郎 (二代目)   (1943)  歌舞伎役者
三輪勝恵   (1943)  声優
島田祐子   (1942)  ソプラノ歌手
中山律子   (1942)  ボウリング
江原真二郎   (1936)  俳優
中真千子   (1936)  女優
ルチアーノ・パヴァロッティ   (1935)  テノール歌手
佐々木信也   (1933)  野球
兼本新吾   (1932)  声優
安能 務   (1932)  作家、翻訳家
ミスター珍   (1932)  プロレス
松本英彦   (1926)  テナーサックス奏者
横井 弘   (1926)  作曲家
幾野道子   (1924)  女優
筧 正典   (1915)  映画監督
近衛文麿   (1891)  政治家
アレイスター・クロウリー   (1875)  魔術師
大村西崖   (1868)  東洋美術史家
中島鋭治   (1858)  建築家
長 連豪   (1856)  士族

 ○ コロンブス新大陸発見。サン・サルバドル島と命名(1492)
 ○ 松竹歌劇団、設立(1928)
 ○ 松尾芭蕉、没。50歳(1694)
 ○ 大政翼賛会、発足(1940)
 ○ 金田正一投手が1シーズン340奪三振の新記録達成(1955)
 ○ 浅沼稲次郎社会党委員長、刺殺される(1960)
 ○ サントリーホール開場(1986)
 ○ マサチューセッツ工科大学の利根川進教授、ノーベル賞を受賞(1987)
 ○ 世界の人口が60億人に(1999)

パンの日
パン食普及協議会が1983(昭和58)年3月に制定。
1842(天保13)年4月12日に伊豆韮山代官の江川太郎左衛門が軍用携帯食糧として乾パンを焼いたのが、日本初のパンと言われています。
この日を記念して毎月12日をパンの日としています。

大陸発見記念日(Columbus Day)(アメリカ合衆国)
1492年、クリストファー・コロンブス(クリストバル・コロン)が率いるスペイン船隊が新大陸アメリカに到達した。
西周りの航海でジパング(日本)とインドを目指したもので、コロンブスは最初の到達地がインドだったと亡くなるまで信じていたた。

タマゴデー
1492年(明応元年)のこの日、コロンブスがサンサルヴァドル島に上陸しました。(アメリカ大陸発見)
欧米ではコロンブスデーと呼ばれています。
コロンブスといえば、タマゴを潰して立てた逸話が有名です。
そんなところから、いつしかタマゴデーと言われるようになったようです。

聖母アバレシーダ祭(ブラジル)

イスパニアの日(スペイン)
スペインの航海士・コロンブスの新大陸発見を記念する日。

コロンブスの日(エクアドル)

スペイン民族の日(エルサルバドル,コスタリカ,メキシコ)

新大陸発見の日(アルゼンチン,チリなど中南米各国)

芭蕉忌.時雨忌,桃青忌,翁忌
俳諧師・松尾芭蕉の1694(元禄7)年の忌日。
時雨の句をよく詠み、10月の別称が「時雨月」であることから「時雨忌」と呼ばれる。
辞世の句は「旅に病んで夢は枯れ野を駆けめぐる」。



西武ライオンズを取得(1978)
1978年10月12日、西武グループがライオンズを買収。
所沢に移転して、九州唯一のプロ野球球団が消滅しました。
ライオンズは最初1949年に西鉄クリッパーズとして出発した。
1951年セリーグを脱退した西日本パイレーツと合併、西鉄ライオンズと名前を変える。

その後1956年に「鉄腕」稲尾が入団。
彼の活躍でこの年からパリーグと日本シリーズを3連覇。
特に58年の日本シリーズでは巨人に3連敗したあと稲尾だけで4連勝。
「神様仏様稲尾様」と言われた。

しかしこの黄金の西鉄ライオンズも三原監督退団後はパッとせず1963年中西監督で1度パリーグを制覇しただけで低迷の時代に入る。
そして1969年日本列島を震撼させる「黒い霧」事件が起きた。

西鉄の主力数選手が野球賭博に絡み、八百長をおこなったことが発覚。
該当選手が球界永久追放となるとともにライオンズは球団イメージを著しく落とす。
「神様」稲尾が建て直しのため監督に就任するも3年連続最下位とどうにもならない成績。
嫌気がさした西鉄は1972年球団を手放す意向を示した。

しかしなんといっても「黒い霧」事件の記憶がまだ生々しい。
誰もライオンズを買おうとしなかった。
このままではライオンズはもう球団解散しかない、という時、当時のロッテのオーナー中村長芳が「誰も買わないというのなら、俺が個人で買う」といって、ほんとうに個人でお金を調達して球団を西鉄から買収。
球団は野球を深く愛する中村氏の熱意のおかげでかろうじて消滅を免れた。

買ったもののやはり個人ではかなり苦しいものがあった。
新しく「太平洋クラブ・ライオンズ」としてスタートした球団は資金不足に苦しみ、成績も少しは上向いたもののかつての黄金時代には比べるべくもなかった。
そして窮余の末、クラウンライターに支援を依頼。
1976年「クラウンライター・ライオンズ」に生まれ変わる。

しかしクラウンライターのような小さな会社には球団は重すぎる。
2年間はなんとか支援をしたものの「これ以上は無理だ」と1978年中村氏に通告。
ここで中村は球団を存続させるため、近年スポーツ界に積極的に投資し、セリーグ球団を創設する準備として「プリンスホテル」の社会人チームを発足させたばかりの西武の堤義明氏と交渉。
堤は将来この球団をセリーグに移動させること含みで球団買収に応じた。

この中村の決断と行動に対してこの6年間何の支援もしなかった地元福岡の政財界は「九州の外に売るなんて裏切者」と非難した。

新たに「西武ライオンズ」として出発したライオンズは堤氏の莫大な投資により、見事に蘇る。
大量に大物選手をトレードで獲得、有望新人も入れて球団創設4年目にして14年ぶりの日本一を達成。
第二期黄金時代を迎えることになる。
西武は1982年から1994年までの広岡・森監督時代にリーグ制覇11回、日本一 8回を成し遂げている。

そして、この第二期黄金時代の主力選手が次々と去ったあとの誰が見ても弱体化した球団を1994年東尾監督が継承。
第三期黄金時代を作るために尽力することになる。
そして東尾は誰もが驚く奇跡をやってのける。
そう強力な選手層を抱えているとは思えない状態での1997,1998年のリーグ連覇である。
特に1998年は4月の開幕後には最下位にもなるほどひどい状態だったところから奇跡の浮上優勝を果たしたのであった。




で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ





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